「夏が来る前に」
七月が近づくと、会社の空気は少しだけ変わる。
湿った梅雨の空気の中に、どこか落ち着かない感じが混ざり始めるのだ。
人事異動。
組織変更。
新人配属。
そういう話が、少しずつフロアを漂い始める。
◆
「宗形さん」
昼前。
芦屋がチャットを見ながら声をかける。
「今年、新卒入るらしいですよ」
「へえ」
宗形はモニターを見たまま返す。
「この部署?」
「らしいです」
「……大変そうだな」
「他人事みたいに言う」
芦屋が少し笑う。
宗形はコーヒーへ口をつけた。
七月前のオフィスは、少しだけ騒がしい。
席替えの話。
研修の話。
受け入れ準備。
去年までなら、宗形はそういう空気から少し距離を置いていた。
関わると面倒が増える。
正直、そう思っていた。
◆
「宗形くん」
午後。
大参課長が声をかける。
「あ、はい」
「少し時間いいですか」
会議室。
冷房が少し強かった。
大参は資料を軽く見ながら口を開く。
「来月から、新卒が一名こちらへ来る予定です」
「はい」
「まだ正式ではないですが、宗形くんにもフォローをお願いする可能性があります」
宗形は一瞬だけ黙る。
“フォロー”。
便利な言い方だな、と少し思った。
多分、実質教育係に近い。
「……俺ですか」
「はい」
大参は静かに頷く。
「最近の進め方を見ていて、適任だと思っています」
宗形は返事に少し困る。
適任。
昔の自分なら、絶対言われなかった言葉だった。
「もちろん、芦屋さんにも協力いただくつもりです」
大参は穏やかに続ける。
「一人で抱える必要はありません」
その言葉が妙に自然で、宗形は少しだけ肩の力を抜いた。
◆
会議室を出る。
「なんでした?」
芦屋が聞く。
「来月、新卒入るらしいです」
「あー、やっぱり」
「フォロー頼まれるかもって」
芦屋は一瞬だけ目を丸くして――それから少し笑った。
「ちゃんと先輩ですね」
「やめてください」
「いやでも、本当に」
宗形は苦笑する。
先輩。
その言葉に、未だに少し違和感がある。
気づけば三年目。
でも自分の感覚は、まだどこか“新人の延長”みたいな部分が残っていた。
◆
「宗形さん」
芦屋がふと言う。
「最初の頃より、説明かなり分かりやすくなりましたよ」
「……そうですか?」
「はい」
芦屋は頷く。
「前は“正解だけ言う”感じだったんですけど」
「うわ、嫌だなそれ」
「今はちゃんと、“なんでそうなるか”まで話してくれるので」
宗形は少しだけ黙る。
言われてみれば、確かに変わったかもしれない。
前は、とにかく最短で終わらせたかった。
説明も。
確認も。
仕事そのものも。
でも最近は、“相手がどう受け取るか”を前より考えるようになっていた。
「まあ」
宗形は小さく息を吐く。
「聞かれる側になると、色々分かるので」
「完全に先輩の発言だ」
「やめてくださいって」
二人して少し笑う。
◆
夕方。
雨は止んでいた。
窓の外には、少しだけ夏っぽい光が見える。
宗形はモニターを閉じながら、ぼんやり思う。
三年前。
自分が配属された頃は、毎日余裕がなかった。
怒られないように。
迷惑をかけないように。
それだけで精一杯だった。
でも今は。
誰かへ説明して、
確認して、
一緒に進めることが少し増えている。
それは、多分悪い変化ではない。
「宗形さん」
芦屋が帰り支度をしながら言う。
「来る子、どんな人ですかね」
「さあ」
宗形は少しだけ笑った。
「まあ、無難な人だと助かります」
「宗形さんらしいなあ」
窓の外では、雲の切れ間から少しだけ夕日が見えていた。
梅雨はまだ終わっていない。
けれど、夏はもう近くまで来ていた。




