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平凡リーマンは無難を欲す  作者: 猫枕で寝たい。


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「席替えの距離」

 七月前のオフィスは、少し落ち着かない。


 人が動く。

 席が変わる。

 配線が増える。


 それだけで、いつものフロアが少し別の場所みたいになる。


     ◆


「はい、じゃあ一旦この島ごと動かします」


 総務担当が言う。


 フロアのあちこちで椅子が動き、モニターが持ち上がる。


 宗形 恒一はLANケーブルを避けながら、小さく息を吐いた。


「席替えって、なんでこんな疲れるんだろうな……」


「普段使わない体力使いますからね」


 隣で芦屋が笑う。


 今日は午後の業務時間を使って、軽いレイアウト変更が入っていた。


 新卒受け入れ準備も兼ねているらしい。


「宗形さん、そのモニター危ないですよ」


「あ、すみません」


「見ててヒヤヒヤする」


「力仕事向いてないので……」


「知ってます」


 即答だった。


     ◆


 結局、宗形と芦屋の席は少しだけ移動することになった。


 同じ島ではある。


 ただ、今までより一席分離れた。


「……なんか遠いですね」


 芦屋がぽつりと言う。


「まあ、一席ですけど」


「でも今まで、すぐ横でしたからね」


 宗形は少しだけ周囲を見る。


 確かに距離感は変わった。


 前なら、椅子を少し動かせば画面が見えた。


 今は立ち上がる必要がある。


 たったそれだけなのに、案外感覚は変わるものだ。


     ◆


「宗形くん」


 大参課長が後ろから声をかける。


「あ、はい」


「新卒用端末、来週到着予定です」


「了解です」


「初日は宗形くんと芦屋さん中心でお願いします」


 宗形は軽く頷いた。


 その返事が前より自然になっていることに、自分ではまだあまり気づいていない。


     ◆


 夕方。


 席替え後のフロアは少し静かだった。


 みんな、新しい配置へまだ慣れていない。


「……なんか落ち着かないですね」


 芦屋が言う。


「分かります」


 宗形も頷く。


 キーボードの位置。

 視界。

 周囲の声。


 小さい違いなのに、仕事の感覚が少し変わる。


「宗形さん」


「はい?」


「前の席、ちょっと便利でしたね」


 宗形は少し笑う。


「距離近かったですからね」


「確認しやすかったし」


「確かに」


 そこで会話が少し止まる。


 宗形はふと気づく。


 以前の自分なら、多分こんなことは思わなかった。


 “席が離れて少し不便”。


 それを、ちゃんと不便だと思っている。


 人と働くことに、少し慣れてきているのかもしれない。


     ◆


「まあ」


 芦屋は小さく笑う。


「どうせまた宗形さんの席行きますけど」


「それは別にいいですけど」


「嫌そうじゃない」


「前よりは」


 芦屋が少し目を丸くする。


「お」


「なんですか」


「ちゃんと認めた」


 宗形は少しだけ視線を逸らした。


 前より、人と話すのが楽になっている。


 前より、確認されるのが嫌じゃない。


 前より、隣に誰かいる働き方に慣れてきている。


 それを言葉にするのは、まだ少し気恥ずかしかった。


     ◆


 帰り際。


 窓の外には、少しだけ夏の色が混じっていた。


 湿った風。

 長くなった夕方。

 薄く明るい空。


 季節は少しずつ動いている。


 宗形はPCを閉じながら、小さく息を吐いた。


 三年目の夏が、もうすぐ始まろうとしていた。

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