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平凡リーマンは無難を欲す  作者: 猫枕で寝たい。


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「本人だけが知らない」

 芦屋 雅は、宗形 恒一という人間をまだよく知らない。


 静かで。

 変に目立たなくて。

 でも、ちゃんと周りを見ている。


 最初は、“少し話しかけづらい人”だと思っていた。


 けれど一緒に働くうちに、その印象は少しずつ変わってきていた。


     ◆


 その日の昼休み。


 芦屋は珍しく、別部署の女性社員と休憩スペースで一緒になっていた。


「芦屋さん、もう部署慣れました?」


「だいぶ」


 コーヒーを片手に笑う。


「最初よりは余裕出てきました」


「宗形くん教育係でしたっけ?」


「あ、はい」


 すると相手は少し納得したように頷いた。


「なら安心ですね」


 芦屋は少し意外だった。


「そういう感じなんですか?」


「え?」


「いや、宗形さんって、静かだから最初ちょっと近寄りづらいタイプかと思ってました」


「あー」


 女性社員は苦笑する。


「それは分かります」


「ですよね」


「でも、ちゃんと助けてくれるんですよね、あの人」


 芦屋は少し黙る。


「前に別案件で一緒だったんですけど」


 女性社員は続ける。


「めちゃくちゃ忙しい時でも、質問投げたらちゃんと返してくれるし」


「あー……」


「あと、“今どこで困ってるか”察するの上手いんですよ」


 芦屋は何となく頷いた。


 それは少し分かる。


 宗形は、“困っている人間”を放置しない。


 別に世話焼きではない。


 むしろ普段は静かだ。


 でも、誰かが詰まっている空気には妙に敏感だった。


     ◆


「あと」


 女性社員が少し笑う。


「大参課長、結構宗形くんのこと見てますよね」


 芦屋は思わず顔を上げた。


「やっぱりそう見えます?」


「見えます見えます」


 かなり即答だった。


「課長、あんまり露骨に褒めないじゃないですか」


「ですね」


「でも宗形くんには、割と細かく声かけてる印象あります」


 芦屋は少し考える。


 確かに最近、大参課長は宗形へよく話しかけている。


 進め方。

 確認。

 レビュー。


 細かいところまで見ている。


「期待してるんじゃないですかね」


 その言葉は、妙に自然だった。


 芦屋はコーヒーへ口をつけながら、ぼんやり思う。


 宗形は、多分そのことに気づいていない。


 自分がどう見られているかに、あまり頓着がない。


 いや。


 正確には、“低く見積もる癖”がある。


     ◆


 午後。


 自席へ戻ると、宗形はモニターと睨み合っていた。


 少し眉間に皺が寄っている。


「……難しそうな顔してますね」


 芦屋が声をかける。


「あ、いや」


 宗形は少し困ったように笑った。


「運用側の認識整理してて」


「また“微妙にズレるやつ”ですか」


「そうです」


「社会ですねえ」


「嫌な言葉だな」


 二人して少し笑う。


 その時、佐倉が後ろから声をかけてきた。


「宗形さん、少しいいですか?」


「あ、はい」


 宗形はすぐにモニターを向ける。


 その動きが妙に自然だった。


 忙しくても、“後でいい?”と突き放さない。


 まず話を聞く。


 多分、そういう小さい積み重ねなのだ。


     ◆


 芦屋は少しだけ、その様子を眺めていた。


 宗形は多分、自分で思っているよりちゃんとしている。


 ちゃんと働いていて。

 ちゃんと周りを見ていて。

 ちゃんと頼られている。


 でも本人だけが、それをあまり理解していない。


「芦屋さん?」


 宗形がこちらを見る。


「あ、すみません」


「どうしました?」


「いや、別に」


 芦屋は小さく笑った。


「宗形さんって、意外と有名なんだなと思って」


「……は?」


 宗形が露骨に嫌そうな顔をする。


「やめてくださいよ、その言い方」


「いや、悪い意味じゃなくて」


「怖いなあ……」


 本気で警戒している顔だった。


 芦屋は思わず吹き出す。


「大丈夫です。

 “質問しやすい人”って言われてました」


 宗形は少しだけ黙った。


 それから、どこか落ち着かなさそうに視線を逸らす。


「……まあ、質問しづらいよりはいいか」


 ぼそっと呟く。


 その声は少しだけ照れくさそうで。


 芦屋はなんとなく思う。


 この人は、多分ずっと“ちゃんとしよう”としてきた人なのだ。


 ただ、それが上手く報われなかった時期が長かっただけで。


     ◆


 夕方。


 フロアにはキーボードの音が静かに響いている。


 宗形はまたモニターへ向かいながら、小さく息を吐いた。


 その横顔は相変わらず少し疲れて見える。


 でも。


 最初に見た頃より、少しだけ柔らかくなっている気がした。


 春の曇り空は、まだ完全には晴れない。


 けれど、その向こう側に薄く光があることを、芦屋は少しずつ知り始めていた。

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