「席が近いだけ」
人間関係というものは、案外“席順”に左右される。
隣にいるから話す。
近いから頼む。
目が合うから雑談する。
社会人になってから、宗形 恒一はそれを妙に実感するようになった。
もし芦屋 雅の席が今より遠かったら、多分ここまで話していない。
そんな気がしていた。
◆
「宗形さん」
午前十時過ぎ。
隣から声が飛んでくる。
「このログ、ちょっと見てもらっていいですか?」
「あ、はい」
宗形は椅子を寄せる。
最近、この動作がかなり自然になっていた。
最初の頃みたいな、“教育係としてちゃんとしなきゃ”という変な力みも減っている。
「ここなんですけど」
芦屋が画面を指差す。
「レスポンス遅延、やっぱり夜間帯だけ偏ってますよね」
「ですね」
宗形はログを追いながら頷く。
「バッチタイミング被ってるかもです」
「あー……やっぱり」
二人でモニターを見ながら、小さく考え込む。
その空気が妙に自然だった。
無理に会話を繋げなくてもいい。
沈黙が気まずくない。
最近、宗形はそのことに少し驚いていた。
◆
「そういえば」
ログ確認の途中、芦屋がぽつりと言う。
「宗形さんって、お昼いつも鮭おにぎりですよね」
「……よく見てますね」
「席近いので」
当然みたいに返される。
「飽きないんですか?」
「もう考えるの面倒で」
「末期社会人だ」
「否定できない」
芦屋が少し笑う。
「でも宗形さん、“生活壊れてる感”はないですよね」
「急に評価軸どうしたんですか」
「IT業界って、結構いるじゃないですか。
エナドリとカップ麺で生きてる人」
「あー……」
宗形は少し考える。
「まあ、胃腸弱いので」
「現実的だ」
また小さく笑う。
本当に、ただそれだけの会話だった。
でも宗形は思う。
社会人になると、“ただそれだけ”が案外難しい。
目的のない会話。
意味のない雑談。
そういうものを、いつの間にかしなくなる。
◆
昼休み。
佐倉が珍しくこちらへやってきた。
「宗形さん、今いいですか?」
「あ、はい」
「昨日のSQL、ちゃんと動きました!」
どこか嬉しそうに言う。
宗形は少し笑った。
「なら良かったです」
「あと、“WHERE条件先見る”癖つけてみます」
「それ大事です」
佐倉は何度も頷いている。
その様子を見ていた芦屋が、少し感心したように言った。
「完全に先輩ですね」
「やめてください」
「いや、本当に」
芦屋はサンドイッチを片手に続ける。
「ちゃんと“質問してよかった”空気作ってます」
宗形は少し返事に困る。
そんなつもりはなかった。
ただ、自分が新人の頃、質問するのが怖かっただけだ。
「宗形さんって、“昔困ってた人”感ありますよね」
「なんですかその言い方」
「いや、なんとなく」
宗形は苦笑する。
否定はできなかった。
◆
午後。
小規模改修のレビューは、思ったより順調に進んでいた。
認識合わせ。
仕様確認。
影響範囲整理。
地味だが、大事な作業。
「宗形くん」
その時、大参課長が声をかけてくる。
「少しよろしいですか」
「あ、はい」
宗形は立ち上がる。
会議室へ入ると、大参は資料を軽く見ながら言った。
「今回の進め方ですが、かなり安定していますね」
「……ありがとうございます」
「周囲への確認タイミングも悪くありません」
静かな声だった。
褒めているのに、変に軽くない。
「以前より、“自分だけで完結させようとする感じ”が減りましたね」
宗形は少し黙る。
最近、色んな人から似たようなことを言われる。
自分では、あまり実感がない。
「まあ」
大参は小さく笑った。
「三年目くらいで、その辺りを覚える人は多いです」
「……そういうものですか」
「ええ。
全部自分で抱えるには、仕事は少し長すぎますから」
その言葉は妙に大参らしかった。
静かで。
少し疲れていて。
でも、前を向いている。
◆
自席へ戻ると、芦屋がこちらを見る。
「怒られてました?」
「なんでですか」
「会議室呼ばれると、ちょっとそう見える」
「レビューの話です」
「ならよかった」
芦屋は安心したようにコーヒーを飲む。
宗形はその様子を見ながら、ふと思う。
この人とは、多分まだ“席が近いだけ”だ。
ただ隣で働いているだけ。
けれど。
そういう距離感だからこそ、救われる瞬間もあるのかもしれない。
窓の外では、曇った春空がゆっくり流れていた。
季節は少しずつ進んでいる。
気づかないくらい、ゆっくりと。




