「確認しておきます」
仕事ができる人間ほど、“確認”を面倒くさがらない。
新人の頃、大参課長にそう言われたことがある。
当時の宗形 恒一は、その意味がよく分かっていなかった。
確認なんて、手間だ。
聞かなくても分かることもある。
急いでいる時ほど、省略したくなる。
けれど社会人三年目になった今なら、少し分かる。
面倒だからこそ、やるのだ。
◆
「宗形さん」
午前中。
芦屋がモニターを見たまま声をかける。
「運用側から返事来ました」
「あ、ありがとうございます」
宗形はチャットを開く。
今回の小規模改修。
規模自体は大きくないが、確認先がやたら多い。
運用。
インフラ。
他チーム。
コードを書くより、確認連絡の方が時間を使っている気すらする。
「……社会人って感じですね」
宗形がぼそっと呟く。
「分かります」
芦屋が少し笑う。
「開発というより調整」
「それです」
二人して苦笑する。
だが実際、仕事とはそういうものだった。
誰か一人が優秀でも回らない。
ちゃんと確認して、認識を揃えて、事故を減らす。
派手ではないが、大事な仕事だ。
◆
昼前。
宗形は運用担当とのチャットを見ながら、小さく眉を寄せた。
『認識としては旧仕様のままと理解しています』
「……あれ」
「どうしました?」
「これ、多分認識ズレてる」
宗形は資料を見返す。
今回の修正では、出力形式自体は変わらない。
ただし、null時の扱いだけ少し修正している。
細かい変更だ。
だからこそ、伝わりづらい。
「芦屋さん、これどう見えます?」
宗形は画面を向ける。
芦屋は数秒確認して、小さく頷いた。
「確かに、相手“変更なし”で認識してそうですね」
「ですよね……」
宗形は軽く頭を押さえる。
こういう“微妙な認識差”が、一番面倒だった。
誰も悪くない。
でも後からズレる。
「……確認します」
宗形はチャットを打ち始める。
『念のため確認ですが、今回null時の出力仕様のみ変更があります。
添付サンプルご確認いただけますでしょうか』
送信。
数分後。
『認識漏れていました。ありがとうございます』
返信が返ってくる。
宗形は小さく息を吐いた。
「危なかった……」
「気づかなかったら面倒でしたね」
「絶対後で“聞いてない”になるやつです」
芦屋が苦笑する。
「宗形さん、そういう察知早いですよね」
「いや……」
宗形は少し考える。
「多分、“揉めそうな空気”に敏感なだけです」
「それ、大事な才能では?」
「嫌な才能だなあ」
宗形は苦笑した。
◆
午後。
修正内容のレビュー中。
佐倉が少し困った顔で声をかけてくる。
「宗形さん、この条件分岐なんですけど」
「あ、はい」
「これって、“今後増える可能性あるならEnum化した方がいい”とかあります?」
宗形は画面を見る。
少し考える。
「……ありますね」
「やっぱりですか」
「今は二パターンだけですけど、増えそうな匂いするので」
「匂い」
「“後から増えるやつだな”っていう」
佐倉が少し笑う。
「経験則ですね」
「嫌な方向の経験則です」
宗形は自分で言いながら、少し不思議だった。
昔なら、多分ここまで即答できなかった。
正解が分からなくて。
怒られない答えを探して。
必要以上に迷っていた。
けれど最近は、“今できる最適”を考えられるようになってきている。
それが成長なのか、単なる慣れなのかは分からない。
◆
夕方。
「宗形くん」
大参課長が静かに声をかける。
「運用側との認識合わせ、確認しました」
「あ、ありがとうございます」
「良かったと思います」
宗形は少し目を瞬かせる。
大参は資料へ視線を落としながら続けた。
「大きな障害というのは、細かい認識差から始まることが多いので」
「……はい」
「“確認しておきます”を面倒がらなくなったのは、良い変化ですね」
宗形は少し黙る。
新人の頃。
確認ばかりしていた自分を、少し格好悪いと思っていた。
もっとできる人は、迷わないと思っていた。
けれど今は分かる。
迷わない人間なんて、案外いない。
みんな確認して、整理して、失敗を減らしながら進めている。
「ありがとうございます」
宗形がそう返すと、大参は小さく頷いた。
「期待しています」
静かな声だった。
押しつけがましくない。
けれど、不思議と背筋が伸びる言葉だった。
◆
外はもう夕暮れだった。
曇り空の隙間から、少しだけ薄い光が差している。
宗形はその空を見ながら、ぼんやり思う。
無難に生きたい気持ちは、今でも変わらない。
怒られたくないし、失敗もしたくない。
でも。
“ちゃんと確認しておく”。
そういう地味な積み重ねで、誰かの仕事が少し楽になるなら。
それは案外、悪くないのかもしれなかった。
オフィスの蛍光灯が、今日も静かに白く光っている。




