「会議中につき」
会社という場所では、“タイミングが悪い”ことがよく起こる。
いや、むしろタイミングが良い方が珍しい。
忙しい時に限ってチャットが鳴り、
帰ろうとした瞬間に電話が来て、
上司が捕まらない時に限って問題が起きる。
宗形 恒一は、それを社会人三年目で嫌というほど学んでいた。
◆
『至急確認お願いします』
そのチャットが飛んできたのは、木曜の十五時過ぎだった。
送り主は客先担当。
宗形は嫌な予感を覚えながら内容を開く。
『本日反映分、データ不整合の可能性があります』
「うわ……」
思わず声が漏れる。
「どうしました?」
隣の芦屋が顔を上げた。
「データ不整合疑惑です」
「嫌な単語だ」
「かなり」
宗形はすぐにログを確認する。
だが、そのタイミングでさらに追撃が来た。
『大参課長、現在会議中です』
社内チャットだった。
宗形は一瞬だけ天井を見た。
こういう時に限っていない。
◆
フロアの空気が少しざわつき始める。
客先対応。
データ確認。
影響範囲調査。
周囲の視線が少しずつこちらへ集まってくる。
「宗形さん、どうします?」
芦屋が落ち着いた声で聞いてくる。
宗形は数秒だけ考えた。
頭の中で状況を整理する。
まず、まだ“疑惑”の段階。
障害と決まったわけではない。
なのに先走ると、余計に混乱する。
「……まず事実確認します」
宗形はチャットを開きながら言う。
「佐倉さん」
「は、はい!」
「本日リリース分の差分確認お願いできますか」
「あ、はい!」
「芦屋さん、ログ側見てもらっていいですか」
「分かりました」
言葉にすると、不思議と頭が整理されていく。
宗形は客先チャットへ返信を打った。
『現在確認中です。
まずは事象整理の上で共有いたします』
断定はしない。
不用意に安心もさせない。
大参課長の言い回しを、少しだけ思い出していた。
◆
二十分後。
「宗形さん」
芦屋が画面を向ける。
「これ、多分更新タイミングですね」
「タイミング?」
「データ連携自体は正常です。
ただ、参照側が旧データ読んでる時間帯があります」
宗形はログを追いながら頷く。
「あ……なるほど」
バッチ更新と参照タイミングが噛み合っていない。
不整合ではない。
表示タイミングの問題だ。
「佐倉さん、差分どうです?」
「リリース内容問題なさそうです!」
「ありがとうございます」
宗形は小さく息を吐いた。
大丈夫そうだ。
完全な障害ではない。
なら、次に必要なのは“説明”だった。
◆
「……宗形さん」
芦屋が少し感心したように言う。
「普通に回してますね」
「え?」
「いや、もっとバタバタするかと思ってました」
宗形は少し困ったように笑った。
「こういうの、多いので」
「慣れって怖いなあ」
「“慣れたくない知識”ランキング上位ですよ」
二人して少し笑う。
その時だった。
「状況、どうなっていますか」
落ち着いた声が後ろから聞こえた。
大参課長だった。
宗形は椅子を回す。
「あ、更新タイミングの問題でした。
データ不整合ではなさそうです」
「なるほど」
大参は宗形の画面を確認する。
数秒だけ沈黙。
それから、小さく頷いた。
「整理できていますね」
宗形は少しだけ固まる。
「客先への説明も、その方向で問題ありません。
あとは再発防止として、参照タイミングだけ調整しておきましょう」
「はい」
大参はさらに周囲を見渡す。
「佐倉さん」
「は、はい」
「差分確認、助かりました」
「あ、いえ……!」
「芦屋さんも、ログ確認ありがとうございます」
「いえ」
全員へ自然に声をかける。
宗形はそれを見ながら、ぼんやり思う。
この人は、“チームで回す”のが上手い。
だから誰か一人だけが潰れない。
◆
騒ぎが落ち着いた頃には、時計は十七時半を回っていた。
フロアにも、いつもの空気が戻り始める。
「宗形さん」
芦屋がコーヒー片手にこちらを見る。
「なんか今日、“ちゃんと中堅社員”って感じでしたね」
「やめてください」
「いや本当に」
芦屋は少し笑う。
「落ち着いてましたし、指示も分かりやすかったです」
宗形は返事に困る。
自分では、ただ“面倒が大きくならないようにした”だけだった。
無難に収めたかった。
それだけだ。
「でも」
芦屋は続ける。
「宗形さん、多分そういうの向いてるんですね」
向いている。
その言葉は少し不思議だった。
宗形は窓の外を見る。
曇り空。
春の終わりかけの空。
気づけば自分は、“無難にやり過ごす方法”ばかり覚えていた。
けれど。
その積み重ねが、誰かの役に立つこともあるのかもしれない。
蛍光灯の白い光が、静かなオフィスに落ちている。
宗形は冷めかけたコーヒーを飲みながら、小さく息を吐いた。




