貴方に名前を 2
「……以上が、建国までのお話です」
先生が、指示棒を閉じた。
洋樹は頭を下げて言った。
「ありがとうございます。しかし、本当に神様がいるなんて思ってもみませんでした」
先生は首を傾げた。
「ほう。それは何故ですかな?」
「私のいた国……ここでいう下つ国では、神様に祈るという習い?みたいなのがあります。でも、祈ったからといって願いが叶うわけではない。それが皆にとっていいことであってもです。逆に、本当に神様はいるのか?と思うようなこともあるんです」
「なるほど」
「わざわざ戦争を起こす人もいます。火種のないところに火を起こす人とか」
「それは、もしかしたら、こちらから堕とされた人かもしれませんね」
「確かに」
そうだ。
こちらから堕とされる人もいるのだ。
「この国には、基本的に悪い者はおりません。が、どんな集団にも必ず外れる者はおります」
「働きアリの法則」
洋樹が呟いた。
「え?」
「そういう法則が、下つ国ではあります。どんな集団にも2割は働かないものがいるという」
「……奥深い言葉ですね。2割とまではいきませんが、確かにそうです。さすがに上つ国にはいませんが。ここは、……そうですな、1割くらいでしょうかな」
「それは何故生まれるんですか?この国では、身分差はあっても貧困ではないようですが」
「ごく稀に、自分の欲望を制御できない輩が生まれてくるのです。その一派というか、一家族というか」
「なるほど」
先生は、かけていた眼鏡をとり、丁寧に拭き始めた。
「……そんな人にとってみれば、秋の御方は、ぜひ手に入れたいものなのですよ。より豊かになるために必要なのでね」
「……気をつけます」
「お願いします。では、今日のところはこれまでで。この後は、何かあるのですか?」
「剣術と馬術と言われてました」
「ほほぅ。剣術は初めてですかな?」
「いえ、何というか……私の国でも、剣道といって剣術のようなものがあるのですが、それを少しはかじっていたので」
「剣道。どのようなものですか?」
「竹刀という……竹で作られている刀で戦うというか。階級があって、上に上ると木刀や居合刀を用いた試合なども行います」
「なるほど。ちょっと好奇心がくすぐられますね。どのようにするのか、見に行ってもいいでしょうか?」
「はあ。でも、こちらの国の剣術を学ぶ時間かと」
「いやいやいや。何となくですが、まずは力試しになると思いますよ」
「はあ……では、ご一緒にどうぞ」
「ありがとうございます」
洋樹は、歴史の先生を伴ってリュークに案内され、鍛錬場に向かった。
鍛錬場は、侯爵家の個人的なものにしては広いところだった。
半屋内の形で、さまざまな武具が壁一面に収納されている。
鍛錬場には、3人のガタイの良い男たちがいた。
一際大きな男が、入ってきた洋樹たちに頭を下げて迎えた。
「ようこそ、シャルトランジェ家の鍛錬場へ。私は、教官を務めております、デュナミです」
「よろしくお願いします。水野洋樹と申します」
「見学させてもらいますよ、デュナミ」
デュナミは微笑んだ。
「これはこれはシュネシスではないですか。珍しいね、あんたがここに来るなんて」
「たまには本以外にも興味がわくこともあるのですよ」
「いいことだ。一緒にやるかい?」
「いえ。見るだけで」
「残念だな。ところで、洋樹さんとやらは、剣を握ったことはありますか?」
「剣はありません。刀というものはあるのですが」
「ほぅ。……どうしますか?実際に剣でやる前に、木刀で体を慣らしていくでよいでしょうか?」
「はい、よろしくお願いします」
「わかりました。……おい、木刀を二本持ってきてくれ」
「はい」
弟子らしき人が、壁の収納から木刀を取り出してきた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
「では」
といって、デュナミは弟子にもう一振を渡した。
「まずはこやつと肩慣らしを」
「はい。お願いします」
弟子は、教官ほど体格がよくはなかったが、それでもがっしりとしている方であった。洋樹の方が細身に見えた。
「構えて」
デュナミが言った。
弟子は木刀を握って正面に構えた。
洋樹も、正眼の構えで向かった。
歴史の先生……シュネシスは、目をキラキラさせて見ていた。
(いい構えだ)
デュナミはそう見ていた。だが、弟子には敵うまい。
「始めよ」
初めに仕掛けてきたのは、弟子の方だった。洋樹は打ち込まれた太刀を先でくるりと躱したかと思うと、上に弾き飛ばした。
あっという間に勝負がついた。
「あれ、もう終わり?」
シュネシスは、あっさりと木刀を失った弟子を見て言った。
弟子の方も、何が起きたのかわからないようであった。打ち込んだと思ったら、もう木刀が手から離れていたのである。
「そこまで」
「ありがとうございました」
互いに礼をして、下がった。
デュナミは、腕を組んで言った。
「これは……」
意外にも、下つ国からの客人は腕が立った。
まさか弟子があっさり負けるとは思ってもみなかったのである。
「ふむ……それでは、今日はまず、剣を振ることから始めますかな。重さと持ち具合に慣れるために」
「はい」
デュナミは武具収納に向かうと、剣を選んだ。
洋樹の体に見合った物を選ぶと、手ずから洋樹に渡した。
「素振り、というのはやったことがありますか」
「はい」
「では、これを使って素振りを。今日は……そうですな、100回で止めておきましょう」
「わかりました」
洋樹は素振りを始めた。
体幹が良いのか、重いはずの剣を振っても、重心がずれない。
(細身なのに、良い体だな)
デュナミは、鍛えがいがありそうな新たな弟子を、嬉しそうに見ていた。
素振りが終わり、挨拶をして休憩することになった。
「いや、ずいぶん鍛えてあるようですな」
デュナミが言った。
「いえ。そんなことはありません。この諸刃の剣は、やはり重くて大変です。振り回せるようになるには、まだまだ未熟ですね、私は」
「そんなことはありませんよ」
シュネシスが言った。
「驚きましたよ。まさか100回振っても手が震えていないなんて」
「プルプルしてますよ」
洋樹は笑いながら言った。
シュネシスはゆっくりと首を振った。
「デュナミが初日からこんなにやらせるなんてね。それもまた驚きました」
デュナミが片眉を上げた。
「どういう意味だね、シュネシス」
「そういう意味だよ、デュナミ」
シュネシスは眼鏡を外すと、またハンカチで磨きながら言った。
「お前さんは、育てるのが上手だ。それは、その相手の力をしっかり見極めることができるからだろう?そのお前さんが、重たい剣を持たせた上に、100回も振らせたんだ。普通ならそれは、無理な回数のはずなのに」
デュナミは、鼻をフンッと鳴らした。
「できると思ったからだ。そして実際できただろう?」
「ああ、そうだね。それもまた驚いたよ」
「鍛えがいのある方のようだな」
「本当だね」
洋樹は黙って二人の会話を聞いていた。
(まだまだスタートだ)
彼は、決して驕ったりすることはなかった。
馬術も習う予定であったが、馬術の先生が急遽予定が入ってしまったため、午前中の習い事はここまでとなった。
客間に戻った洋樹のところに、サイモンが来た。
「汗をかかれたでしょう。湯浴みをなさいませ」
「ありがとうございます」
確かに、素振りで汗をかいていた。
用意された服を持って、浴場に行った。
温泉のように広い湯船に浸かって、洋樹はふうっと息を吐いた。
(どれくらいのことを身につければ、いいのだろうか……)
下つ国にいたときは、舞先生はずっと年上だった。でも、そんなことを気にしたことはなかった。彼女に意識してもらいたくて、イタズラをしたり意地悪をしたり。でも、困っているときは、誰よりも早く助けに入った。振り向いてもらえるよう、ずっと努力していたと思う。……それが本人には伝わっていなかったような気がするけれど。
この国に来てからも、やはり振り向いてもらうために……いや、ここにいるため、彼女の隣に立つために、自分を磨かなくてはならない。だが、世界が違いすぎて、何をどうすればいいかわからない。
「ただ、ずっと側にいたいだけなのにな……」
それがどれだけ難しいことであるのかすら、わからなかった。
風呂から上がり身だしなみを整えると、昼食の時間となった。
昼食は、来客用の食堂に連れて行かれた。
大きな扉を開けて入ると、ウィレイの他に見たことのある人が座っていた。
「改めて紹介するわ。こちら、私の師匠のマーロン師です」
「よろしくお願いします」
洋樹は頭を下げて挨拶をした。
(そうか、指輪の人だ)
「うむ」
マーロンも、頭を下げて返した。
「マーロン様ったら、午後からお茶の予定だったのに、待ちきれなくてもういらしたのよ」
「待ちきれなくてって」
マーロンは笑った。
「いや、確かに待ちきれなかったわい。何せ、このウィレイが心惹かれた男と話してみたくてな」
「なっ!!ちょっと師匠!!やめてください!!」
ウィレイの顔が真っ赤に染まった。
「今更何を照れているんだ?そなた、この男のために私に指輪を作れと言ったじゃないか」
「……それはそうですけど」
「これまで、どんな育ちもできも良さげな男からアピールされても全く靡かなかったそなたがな」
「もう!!」
ウィレイはテーブルに突っ伏した。
「お嬢様、お行儀が悪いですよ」
カルラが淡々と突っ込んだ。
「今は無理!」
「ダメです」
「くっ!!」
(どうして私の周りは皆容赦なく突っ込むのかしら……)
「突っ込みどころ満載だからだろう」
洋樹が言った。
「そんなことないもん!……そんなこと、ありませんわ!」
「言い直しても間に合ってませんよ、お嬢様」
「ひどい!」
ウィレイは頬を膨らませた。
マーロンが笑った。
「ほら、そんなところだ。そなたが地を出しているなんてな。普段なら完璧に取り繕えるのに。だから、そんな状態にさせる人間に興味がわいたんだよ」
「師匠……」
「ありがとうございます」
洋樹が礼を言った。
「何で御礼を言うのよ?」
「言うでしょ。貴女をこんな面白い状態にさせた人として認められたのだから」
「それ、ちっとも褒めてない!」
「はいはい」
マーロンは、カルラに向かって言った。
「いつもこんななのか?」
カルラは頷いた。
「そうでございます」
「こりゃ、見ていて飽きないな」
「全くでございます」
「ええい、見せ物じゃないわ!もう!」
またしても、ウィレイはプンプン怒っている。
カルラはしょうがないという風にため息をつくと、料理の配膳を始めた。
「お嬢様、お嬢様のお好きな前菜の盛り合わせですよ」
ウィレイは皿を見た。
「……美味しそうね」
「もちろんでございます。鴨のスモーク、人参のムース、きのこのガレットに彩野菜のピクルスです。それから、蕪のグリルに生ハムを添えたものも」
「いつもながら、侯爵家の食事は美味そうだな」
「ありがとうございます」
カルラは、パンのサーブを他の侍女に任せ、スープ皿の準備に入った。
美味しい食事のおかげで、しばらく穏やかな時間が流れていった。
食事後、サロンに場所を移して、コーヒーを飲んだ。
ウィレイはコーヒーの香りを楽しみながら、話をどう切り出そうかと考えていた。
マーロンはコーヒーカップを置くと、ウィレイに向かって言った。
「さて、何から話そうと思っているんだね?」
ウィレイもカップを置いた。
「そうですね……幾つかあるのですが……まずは、名前ですかね」
「名前か」
「はい。ここで暮らすというなら、必要かと」
「そうだな……」
ウィレイには、まだ迷いがあった。
本当に、洋樹をここに置いてよいのか。
自分の立場を考えると、洋樹を御配にすることは、難しい。乗り越えなければならない壁が、多すぎる。
でも。
他の誰かが隣に立つことが想像できない。いや、したくない。
背中を預けられる安心と喜びは、きっと彼の他には与えてもらえない。
でもでも。
彼がこの国で暮らすということは、もう下つ国には戻してあげられないということだ。私の安寧のために、彼が得られたかもしれない幸せを奪うのは……嫌だ。
「俺は、貴女の側にいたい。そう願ったことが叶って、ここにいる。その気持ちは変わらない」
「…………うん」
「だから、名前だって別に何でもいい。ここにいるためなら」
「うん」
マーロンが口を開いた。
「ウィレイ、自分の気持ちを認めてはどうだ。そなたの好きな男が、ここにいるというのだ。そなたは恐らく、この男がいろいろ苦労することを見越して踏み出せずにいるのだろう?だが、それを覚悟しているように見えるぞ。その気持ちは大切にするべきではないのか」
「はい……わかってはいるんです」
マーロンは続けた。
「名前をつけてやろう、私が。そうすれば、誰も文句は言うまい」
「師匠……」
「可愛い弟子のためだ。それと、もう一つ。私の養子にすれば良かろう」
「それは……」
マーロンはニヤリと笑った。
「そうすれば、さすがの王家も口を出せまい」
「ご存じでしたか」
「そりゃな。これでも中つ国一番の魔術師だからな」
「でも……」
「ウィレイよ。秋の御方の背負うものは、決して楽なものではない。春も夏も冬も、それぞれ大変ではある。だが、この国の豊穣の秋は、万物の豊かさに通じるものだ。そなたがしっかり仕事をするためには、そなたを心から大切に思い、支えられる者が必要となる」
「はい」
「そなたが全幅の信頼を寄せ、共に歩みたいと思うのなら、それが何より優先事項だろう。この世の秋を守るために、少し手を貸すだけだ。そう思えばよい」
「師匠……」
マーロンは、手をヒラヒラ振った。
「そのうち、『お義父様』と呼ばせてやろう」
「!!」
ウィレイは、マーロンを見た。そして、洋樹を見た。
自分のために、……自分を守るために、こんなにも考えてくれている。そんな価値がないなんて言ったら、バチが当たるわね。
自分が一人で被ればよいと思っていた。
皆が笑顔でいるためなら。
側で、こうして支えてくれる人がいるんだ、私。
ウィレイは立ち上がると、マーロンに向かって礼をした。
「ありがとうございます、師匠」
それから、洋樹の方を向いて、礼をした。
「ありがとう」
マーロンは、うんうんと頷いた。
「決まりだな。では、我が養子となるよう契約だ。そして、名を授けよう……私から」
洋樹は立ち上がると、マーロンに礼をした。
「ありがとうございます。……よろしくお導きください」
「下つ国には、帰れぬぞ」
その声も顔も、厳しかった。
「覚悟のうえです」
マーロンは、契約の術式を組み立て始めた。
手元から、複雑な紋様が浮かび上がる。
「今日からそなたは、『アリストス』だ。我が養子となるから、姓はない。アリストスよ、この光の上に手をかざせ。そして、『我が名はアリストス』と言って、言葉の刻印をせよ」
「はい」
洋樹はマーロンの側に行くと、組み立てられた術式をじっと見た。中心に浮き上がった光の上に、左手をそっとかざした。
息を一つ、吸った。
「我が名は、アリストス」
かざされた手から体に向かい、光が伸びてきた。
光はやがて全身を覆い、一瞬閃光を放つと、ふっと消えていった。
「……済んだな」
マーロンは、アリストスの肩に手を置いた。
「アリストスよ、我が子よ。ウィレイの御配となるべく、我が下で努力せよ」
「はい。……義父上」
「アリストス」は、頭を下げた。
マーロンが笑った。
「こりゃいいな。『義父上』か!うんうん。我が子よ、明日から午後は私のところへ来て修行せよ」
「修行ですか」
「そうだ。生まれつきの魔力はないのだから、術式をしっかり身につけろ。そなたとウィレイのために」
「わかりました。よろしくお願いします」
「我が家でも暮らせるよう、部屋は用意しておく。ウィレイと喧嘩したときは、遠慮なく来るがよい」
マーロンがニヤリと笑った。
「ちょっ……師匠!喧嘩する前提ですか??」
「そりゃするだろう。そなたが素の自分を出せる相手なのだから」
「ひどい!」
「いや、デフォルトでしょ」
「くっ!ひろ……アリストスまで!」
マーロンは、うーんと伸びをした。
「やれ、大きな仕事が一つ済んだな。では、これから王家に行って、報告してくるかな。ウィレイよ、傍から邪魔される前に、婚約しておくのだぞ」
「はい。……でも、大丈夫でしょうか……」
マーロンは、ウィレイの頭をポンポンと軽く叩いた。
「アリストスは、私の養子だ。名前も、私がつけた。父と母には、そう伝えるがよい。彼らは、そなたの幸せを一番に考えることだろう」
「ありがとうございます、師匠」
「では、また来る。アリストスよ、明日からだぞ。ウィレイに案内してもらえ」
「はい。よろしくお願いします」
「うむ。ではな」
マーロンはマントを翻すと、スッと消えた。
ウィレイは、アリストスの側に行くと、その手を取った。
「……ありがとう」
アリストスは、微笑んだ。
「こちらこそだ」
取られた手を握り直すと、ウィレイを抱きしめた。
「これで、ずっと貴女の側にいられる」
ウィレイは顔を真っ赤にしてオロオロした。
「あ、あの……」
「どうしたの?いつもなら、『キーッ』ってなるところなのに」
「い、意地悪!」
「意地悪だよ。これからも。貴女のその困った顔が見たいからね」
「悪趣味!」
「どっちが?」
どっちがって……どっちもだ。自分の扱いが難しい女と、そんな女を喜ぶ男と。
「私を貴女の御配にしてもらえますか、ウィレイ」
「はい、……アリストス」
「これで婚約になる?」
「『誓約』の術式をしたらね」
「すぐしよう。できる?」
「ええ」
ウィレイは、両手で球を包むような形を作った。
その中に、誓約の術式を組み立てていく。
文字の中に、光が浮かぶ。
光は、やがて球体へ変化していく。
「私、ウィレイ・リュー・シャルトランジェは、アリストスを御配とし、魂の片割れとして生涯愛してまいります」
ウィレイは、アリストスを見つめた。
「同じように詠唱して」
アリストスは頷いた。
「私、アリストスは、ウィレイ・リュー・シャルトランジェの御配として、魂の片割れとして生涯愛してまいります」
アリストスが言い終わると、光が二人を優しく包んだ。そして、ゆっくりと二人の体の中へ消えていった。
「これで、完了よ」
アリストスは、黙ってウィレイを抱きしめた。




