貴方に名前を 1
侯爵家の朝は早い。
大人数の朝食の支度もあるが、その前に皆、訓練をする。老若男女の区別なく。
とは言っても、男性は剣術と体術、女性は体術と暗器の訓練が多い。
さすがにウィレイたちは朝早くには訓練をしないが、それぞれひと通りの武術訓練はしている。
「武の家」というわけではなく、中つ国で戦争が起きるわけでもない。たまさかに碌でもないことが起きることがあるため、鍛えておくだけだ。
基本、悪い人間は少ない。
だが、いないわけではなく、高位の家や役もちの家への嫌がらせをする不届者もいる。
最終的には、そういった者は下つ国に落とされるのである。だから、下つ国という場所に対するイメージがよろしくはないのだ。
訓練が終わると、朝食の支度が始まる。
キッチンは、料理長を筆頭に戦場と化す。
今朝のメインは、皮をパリッと焼いたチキンである。温野菜が添えられている。
スープには、数種類の野菜がトロトロになるまで煮込まれ、自家製のベーコンで塩味が足される。
パンは、バターをたっぷり練り込んだクロワッサンと米粉のもっちりとした丸パン、全粒粉の蒸パンが供される。
ウィレイには、必ずスクランブルエッグがつく。卵料理は、それぞれの好みに合わせて作られている。優秀な料理人たちである。
自家製シャルキュトリーの盛り合わせとフルーツ、ヨーグルトが添えられて、「朝食」の完成だ。
朝食の配膳準備が整ったところで、家人たちは起こされる。
ウィレイは、今日は早くに目が覚めていた。
遠くから聞こえる朝練の音を聞きながら、読みかけの本の続きを読んでいた。
ちょうど本を読み終えたとき、カルラがノックをした。
「失礼します」
「おはよう、カルラ」
「おはようございます、お嬢様。お早いですね」
「ええ。カッコウの鳴き声が響いて起きちゃったわ」
「そうでしたか」
「3時に鳴くの、やめてほしいわ」
「目覚ましが要らず、よいではありませんか」
「ぶー!」
「また子どもみたいに」
ぶーぶー言いながら洗面を終え、カルラに身支度を整えてもらう。
「今日のご予定は、午前中に執務を。午後、マーロン様がいらっしゃるそうです。お茶会の準備は、サロンになさいますか?それとも、外になさいますか?」
「そうねぇ……天気も良いから、外にしようかしら」
「かしこまりました」
「よろしくね」
「はい」
朝食は、昨日と同じくサンルームであった。
(お父様もお母様も、気を遣っているのかしら)
洋樹は先に席についていた。新聞を読んでいる。
「おはよう」
「ああ、おはよう」
ウィレイも席についた。
「新聞、読めるのね」
洋樹は片方の眉を上げた。
「指輪のお陰だな」
「そうでした」
すっかり忘れていた。ウィレイが頼んで作ってもらったのに。
指輪のお陰で、この国の言葉に不自由しないようだ。さすがはマーロン師である。
「何かおもしろい記事はある?」
「そうだな……」
洋樹は新聞を閉じた。
「この国ではほぼ犯罪がないようだ。人がちゃんといるのに、不思議だね。欲がないわけではないだろうに」
「そうね……ゼロではないわ。でも、皆わざわざしでかすことはないかも」
「なるほど」
朝食が運ばれてきた。
食べながら、ウィレイが言った。
「今日だけど、私は午前中に執務があるからそちらに行くわ。貴方には経理をと頼んでいたけど、こちらの世界について知っておいてほしいことがあるから、先に勉強をしてくださいな」
「わかった。午前中にそれをすればいいんだな」
「そうよ。今日は、この国の仕組みを」
「それはありがたいな。知りたかったから」
食後のコーヒーをゆっくり飲みながら、まずは今日一日の話をした。
「歴史の先生がいらっしゃるから、成り立ちから教わってね。そのあと、トレーニングを……剣術と馬術かな、とりあえずは」
「剣術って、剣道と似てる?」
「そうね、似てるわ。剣道やってたよね確か?」
「ああ。まあただどこまで通用するか」
「それも試しておかないとね」
「そうだね」
「馬は初めて?」
「もちろん」
「じゃあ今日はきっと普通の馬ね」
「……普通じゃない馬って何?」
「天馬よ天馬」
「天馬?」
「ペガサスよ。空を飛ぶやつ」
「……それも嗜みってやつ?」
「まあね……やめておく?」
「いや、やる」
ウィレイは密かに笑った。さすが負けず嫌い。この調子だと、意外といろいろ身に付けそうだわ。
「ねぇ、悪いこと考えてない?」
「いいえ。何故?」
「そんな顔してるから」
洋樹はニヤリと笑った。
「ひどいわね!」
「その悪だくみの顔がね」
「キーッ!」
怒らせて楽しんでる、こいつ。悪趣味だ!
下つ国にいたときも、そうだった。
いつも、その先を読んでいながらわざと振ってくるのだ。そして、笑う。ウィレイが本気で怒っているのを、面白そうに見ているのである。
(悪趣味男め)
「今、俺のこと『悪趣味』って思っただろう?」
「……そんなことないもん」
「悪趣味でもいいけど、それ言ったら自分に返ってくるんだからな」
「!!意地悪!!」
どうしてこの男は、私を怒らせたいのか。
怒らせて楽しんでいるって、悪趣味以外の何者でもない。……でも、悪趣味な男に好かれた私は、一般的にいったら残念な人??
朝から血圧が上がるウィレイだった。
プンプンしながら、執務室へ向かった。
この国では、爵位や長などの役こそあるものの、極端な身分制度による差別などはない。
領地では、「耕作人」という田畑を作る役目の者はいるが、彼らはその仕事を魔力や術式を使って行うため、さほど労苦はない。
町場でも、店や市場はあるが、皆好きでやっている者がほとんどで、生活するのに困るようなことはない。
ただ、「秋の御方」による「実り」をもたらす施術がなければ、作物は実らない。
ウィレイは秋に向けて、「実り」の配分にかかっていた。地域差のないように配分する。なかなか難しいところだ。だが、皆が公平に利益を得られるようにするのが、国を守るうえでも大切なことである。
稀に、欲を出して自分の領地へ多く配分せよという輩がいるのだが、基本無視する。あまりにしつこく要求する場合には、逆に配分を減らすこともある。ただ、そういう者から下手に減らすと、下つ国からしれっと吸い上げ、下つ国の「実り」が不足して餓死者が出てしまう。
そこまでして利益を得ようという者は、処分の対象となる。領地や店などを没収のうえ、下つ国の病ませた土地行きだ。
どんなに豊かで良いところであっても、足ることを知らない者はいる。そして、そのために堕ちていくのだ。
秋の御方は、厳密にいうと処罰までは行わない。
王家に注進し、そちらの専門の機関がそれを担うのである。ただし、正面きって戦いを挑んできたときは、容赦なくたたきのめす。いや、「完膚なきまで」徹底的にだ。それをやりおおせる力も、秋の御方の「力」の一つなのである。
ノックの音がした。
「どうぞ」
「失礼いたします」
「あら、サイモン」
「お茶をお持ちしました」
「ありがとう」
ソファーの方のテーブルに、お茶とお菓子が置かれた。
「お嬢様。一つお話ししてもよろしいでしょうか」
「ええ。何?」
「洋樹様のことです」
「…………」
……何だろう……
「実は私、洋樹様と御酒をご一緒させていただきました。それで」
「それで……?」
「なかなかの御仁かと思いまして」
「はい?」
「下つ国にも、あのような御仁がいらっしゃるとは」
「……何をもってそう判断したの?」
「ま、酔われたときのお人柄ですかな」
「サイモン……」
「ホッホッホッ。ジジイですが、老婆心から申し上げます。きっちりと鍛え上げて差し上げてくださいませ。さすれば、お嬢様の御配として相応しくなりましょう」
「……下つ国から来たのよ?皆がそれを受け入れてくれるかしら?」
「それを覆すくらい役にたつ人に仕上げればよろしいかと」
「言ってくれるわね。ハードル高過ぎるわ。……でも……」
「このままですと、お嬢様があまりお好きではない方を御配にすることになられるかもしれませんよ」
「そうよね……」
秋の御方の御配。それは、希望者が多いことだろう。自領が豊かになる確約を得ることだし。爵位の下の家なら、秋の御方に見合う叙爵がなされるだろうし。
「まずは、洋樹様のこちらでの御名を早目にご用意なされることがよろしいかと」
「……そうね。そして、どこか彼を養子にしてくれる奇特な方を探さないと」
「左様でございます」
ウィレイは冷めた紅茶を飲み干すと、また書類の整理にかかった。




