ウィレイの気持ち
「おはようございます、お嬢様」
カルラがカーテンを開けた。
「うぅ……むにゃ……もう少し……」
「ダメです」
「はぅぅ…………」
「洋樹様は、もう起きていらっしゃいますよ」
「!!……はい……」
でも、瞼は半分しか開かなかった。
昨夜の出来事のため、寝るのが遅くなった。
いつもなら、夜の種まきを終えて戻り、お風呂に入ったら寝るというルーティーンだ。
朝は早い方が好きなので、夜遅くまでは起きていることがなかった。よって、かなり眠いのである。
ぼーっとしながら、洗面台へ行き、顔を洗った。
(まだ目が覚めない……)
カルラが着替えの準備を終えて、待っている。
今日は、軽やかな布地の藤色のワンピースだ。
ワンピースといっても、この世界のものは足元までの長さがある。シンプルなものが好きなので、飾りはあまりついていないが。襟元はスクエアカット、Aラインのスラッとしたものである。
ワンピースを着ると、ウィレイは、鏡台に向かった。
「今日は、ハーフアップにしましょうね」
「はい」
カルラは手際良く髪をまとめると、紫の小花の髪留めでとめた。
「さ、できましたよ」
化粧は朝だから薄めに。
「朝食は、サンルームにご用意しております」
カルラは片付けながら言った。
「サンルーム……?」
「はい。爽やかな朝ですから」
「ほー」
珍しいな、と思った。
いつもは、皆揃っても揃わなくても食堂で食べるのに。
「そりゃあ、お嬢様と洋樹様で召し上がれるようにとの奥様のご配慮ですから」
「お母様が?」
「はい」
母は、何を考えているのだろう。
ウィレイは訝しんだ。
確かに洋樹は「恋人」と紹介した。好きかどうかと訊かれたら、迷わず「好き」と答えるだろう。
だが、伴侶……「御配」とすることは、……できまい。どんなに好きだとしても、ここの者ではないのだから。
いずれ、下つ国に帰さねばならないのだ。
皆が思っている以上に、ウィレイは自分の立場を冷静に見ていた。
「秋の御方」は、万人のために存在する。
自分の利益を優先するわけにはいかない。
全てにおいて皆の益となることが求められるのである。
だから……
2年間、洋樹とは、じゃれ合いながら過ごしてきた。本当に楽しかった。
いつもは揶揄ってくるけれど、困ったときはすぐに助けてくれた。苦しんでいるときは、笑わせようとしてくれた。普段人を頼ることのない「舞」だったが、洋樹のことは、心から頼りにしていたのだ。
こんなにも誰かを頼ることがあるだなんて……少しも考えたことはなかった。
中つ国に帰ると決めてからは、別れるのが寂しくてたまらなかった。だが、自分の立場を考えると、そうはいかない。一時の感情に身を任せるわけにはいかないのだ。
だから、潔く忘れることにしたのだ。
いつまでも引きずらないように。
どうして、ここまで来るかな?
ウィレイは、ため息をついた。
サンルームは、明るい日差しで満ちていた。
縦長のガラスが半円状に並び、天井は半円球の形に作られている。
窓際には、植物の鉢が並べられ、陽を浴びてキラキラと輝いて見えた。
丸いテーブルには、淡いクリーム色のクロスがかけられている。縁には、黄緑色の糸で葉の模様の刺繍がなされていた。
テーブルのセンターには、平らな丸いガラスの器に、短くカットされた一重の花が、大小数種類生けられている。
六脚置かれた椅子の一つに、洋樹は座っていた。
「おはよう」
「おはよう。早いのね」
ウィレイも座りながら挨拶をした。
「貴女が遅いんだ」
「すみませんね」
相変わらずの憎まれ口だが、確かにそうだなと思って謝った。
謝ってから、ふと思った。
(遅くなったそもそもの原因は、貴方じゃない)
「ま、そうですがね」
頷きながら、洋樹は言った。
ウィレイは、ギョッとした。
「ちょっと、心読まないでよ」
「当たったんだ」
「……私が何て考えたと思ったの?」
「遅くなったのは、私のせいだ!って考えたかと」
「すごい!当たりよ!」
ウィレイは思わずサムズアップした。
「当たって嬉しいような嬉しくないような……喜んでいいのか微妙だな……」
「フフン」
「……名前、『ウィレイ』じゃなくて『失礼』に変えたらいいんじゃない?」
「キーッ!朝から!」
ウィレイがナプキンを持って臨戦態勢に入ったところに、カルラが朝食を運んできた。
「お嬢様、お行儀が悪いですよ」
「だって!」
「言葉遣いもです。淑女然となさってください」
「くっ……!……はい……わかりましたわ」
ウィレイは、引き下がった。カルラには勝てない。……いや、カルラにも、だ。
ウィレイは、ナプキンを膝に広げた。
テーブルの向こうで、洋樹が肩を揺らして笑っている。
(覚えてらっしゃい!)
プーッと膨らんだウィレイの前に、幾つも皿が置かれた。
「「いただきます」」
ウィレイはハーブ入りの米粉パンを小さく千切ると、スクランブルエッグを載せて食べた。
「何回食べても、うちのスクランブルエッグが一番美味しいわ」
さっきまでプンプンしていたのに、スクランブルエッグであっさり機嫌が直る。安いものだ。
洋樹は、ローストビーフを切り分けて食べている。
そういえば、とウィレイは考えた。
洋樹は、和食でなくてよいのだろうか?
「ねえ、朝ごはん、ご飯でなくて良かったの?お米も頼めばあるわよ」
「大丈夫。まあ、たまには食べたくなるかもしれないけれど。でも、これがこの世界で普通なら、べつにこれで構わないよ」
「そう?」
「ああ。慣れていかないとね」
「…………」
慣れてどうする。
何とも返し難く、それから食べ終わるまで静かに食べていた。
食後のコーヒーを一口飲んで、一息ついた。
「そういえば、昨夜はよく眠れたの?」
「ああ。寝酒を差し入れてもらったのでね」
「へぇ……」
「こっちでは、ハイボールみたいな飲み方はしないんだね」
「うーん……確かに。言われてみれば、そうかも。蒸留酒は、琥珀酒というのだけど、味はほぼウィスキーよね。飲み方としては、ロックか水割り、あと果実水……つまりジュースで割ることが普通かな」
「ソーダも持ってきてくれたから、てっきり割るのが普通かと思ったんだけど、違うんだね」
「そうね。ソーダは、チェイサーみたいな役割なのよ。ロックで飲むとき、そばに置いておくみたいな」
「なるほど」
「味はどうだった?」
「美味しかったよ」
「良かった」
下つ国とほぼ同じような食べ物が多いが、違うものもあるので、そこは少々心配していたのである。
「ところでさ」
「何?」
「毎日、何して過ごしてるの?秋の御方の仕事ってやつ?」
「そうねぇ……ま、それは今のところ夜の種まきだけかな。あとは即位してからになるのよ。だから、昼間はうちの領地の管理運営に関わることとか、代理の仕事とか。あと、術式の練習かな」
「俺……いや、私もいろいろ身に付けたいのだけど、どうすればいいか教えてほしい」
洋樹は頭をかきながら言った。
ウィレイは、小首をかしげて考える仕草をした。
「そうねぇ…………あ!そういえば、経理の手伝いできるかしら?」
「……やったことはないけど」
「計算できればいいのよ。貴方、得意でしょ?確か、フラッシュ暗算すごかったよね」
「……よく覚えてました……じゃない、覚えてたね。もう忘れてると思ってたのに」
「あまりにも速かったからね」
「…………」
「なぁに?その『しくじった』って顔は」
「いや……わかった。やってみる。この世界には、パソコンある?エクセルでやれれば楽なんだけど」
「残念ながらないわ。あればいいけど、世界観的にそういう便利さを求めていないというか」
「なるほど……」
「せめて計算機あればいいのにとは思うわ」
「それもないか」
「ええ」
洋樹は、ちょっと考えたあと、何か言いたそうにしながらウィレイを見ていた。
「どうしたの?」
「あの……」
「?」
「その、『術式』というのは、何か特別な力は必要なの?」
「魔力が必要なものと、必要としないものがあるわ。この世界では、それが有る人と無い人がいるから」
「そうか……それじゃ、ない方を覚えたいときは、どうすればいいか教えてほしい」
「興味があるの?」
「身に付けた方がいいと思うから」
「何故?」
「ここにいるために」
ウィレイは、次の言葉が紡げなかった。
洋樹がニヤリと笑った。
「もしかして、しばらくしたら戻るとでも思ってましたか?」
「……そりゃあ、そうよ……だって貴方は、ここの人じゃないもの。何もかもが初めてというところで、今までのキャリアを捨てて再スタートって大変だもの。会いたいと思ってくれただけで嬉しかったわ。その気持ちと思い出があれば、私は生きていけるから……」
「本当に?」
洋樹は真剣な目でウィレイを見つめた。
「俺がいなくても別にいいと?」
その声は、どうしようもなく、固く強張っている。
「…………」
どう、答えたらいいのだろう。貴方が幸せでいてくれることが、私も幸せだと言えば、わかってくれるだろうか?
秋の御方の恋人になることは簡単と言えば簡単だが、「御配」になるのは、とても大変なことなのだ。
この国での常識や文化に精通し、歴史を熟知し、公式の場に出るための作法やダンスなども身に付けねばならない。御方を守るための武術なども。そして、それらをもとに、御方の仕事をサポートする力も求められるのだ。
御方の婿候補になりそうな男性は、幼い頃からずっとそれらを身に付けるよう鍛えられている。
「いなくてもいいわけじゃないわ。御方の御配になるためには、……今から途方もないくらいのさまざまなことを身に付けなければならないのよ」
「そんなこと、わかってる」
「いいえ。わかってないわ。……私は、自分が好きというだけでは、相手を選べる立場にありません。それが、『御方』としての責任だから」
「……それは、答えじゃないな」
「だって」
「だって何?」
「……その覚悟を決めて立ち向かうのは、私自身じゃないのよ」
「そうだね」
「それを、『側にいてほしいから、やって』なんて簡単に言うことはできないわ」
「やるよ」
「え?」
洋樹は正面からウィレイを見た。
「やるよ。ずっと側にいたいから」
「それは……」
「貴女は、俺が隣にいなくても何ともない……とは思いたくない。でもきっと、いろいろ俺の知らないことがあるから、それを考えてストップをかけるのだろう。俺は、……それでも俺は、側にいたい」
「……貴方のお家の方は、どうするの?」
「うちには、兄が二人いるんだ。俺はいずれ出なきゃならない。その出る先が、ここならな……と。それが、求める『幸せ』だから」
「洋樹先生……」
わかってはいた。
こちらに帰って来るときも、自分の気持ちに蓋をしたのだ。
洋樹は、コーヒーカップを置いた。
「さて、まずは経理に挑戦だな」
そう言うと、立ち上がった。
「あ」
「どうしたの?」
「……あのさ」
「うん?」
「名前を、変えたいのだけど。どうすればいいのかな」
「何故?」
「今の名前だと、何かここにそぐわない気がしてさ。良さそうな名前、考えてもらえないかな」
「……わかったわ。考えてみる」
「ありがとう」
「じゃ、執務に行くとき声をかけてくれる?」
「ええ」
洋樹はら自分が泊められた部屋へと戻っていった。
ウィレイは、さっきまで彼のいた席を、じっと見つめていた。
カルラが片付けるために寄ってきた。
「お嬢様」
ウィレイは、ハッとした。
「なあに?カルラ」
カルラは微笑んで言った。
「お嬢様の負けです」
ウィレイは一瞬何を言われているのかわからなかった。
「負け……?」
カルラは頷いた。
「はい」
「何故?」
「ずっと主導権を握られてましたね」
「……確かに」
「余程のご覚悟かと」
「ええ。どうしたらいいのかしら……」
「お嬢様は、どうなさりたいのですか?」
「私?」
「はい」
私……か。「私」は、どうしたいのだろう……
「あちら様は、人生かけてきましたね」
「そう……ね」
一緒にいて、楽しい。仕事では、背中を預けられる貴重な存在だった。困ったときは、何も言わずにフォローしてくれた。
「腹を括るしかないかな」
「そのようですね」
どう考えても、茨の道だ。あちらが。
だが、進むという。
受けるしかない。
(あと4ヶ月で、即位式だわ。そこまでに、どこまでできるかしら……)
「私は、私にできることを」
そういうと、ウィレイも部屋へと戻っていった。




