下つ国からの過客 2
「では、また明日。おやすみなさい」
ウィレイはそう言うと、扉を閉めて出て行った。
同じ部屋でいられるとは思ってはいなかったが、さすがに知らない場所で一人休むのは、洋樹も不安だった。
(……酒でもあれば、良かったな、まだ)
一つ、ため息をついた。
と、ノックの音が聞こえた。
「はい、どうぞ」
「失礼いたします」
サイモンがワゴンを押して入ってきた。
「お嬢様が、こちらをと」
「ありがとうございます」
ワゴンには、グラスと、琥珀色の液体の入った瓶と氷、ソーダらしきものが載っていた。大きめの皿には、一口で食べられそうなサイズの美味しそうなつまみが数種類。
「これは……」
サイモンが微笑んで言った。
「お嬢様が、洋樹様はきっと知らないところで寝付くのは不安でしょうからと」
「そうですか……」
(相変わらず、優しい人だ。貴女にもそばにいてほしいけどね)
「お作りしましょうか?」
「お願いします」
サイモンは瓶の液体をグラスに注いだ。
「それは、ウィスキーですか?」
「ウィスキー……ですか?下つ国では、そういう名前で呼ばれているものなのでしょうか。こちらでは、琥珀酒と呼ばれております。アルコール度の高い蒸留酒です」
「琥珀酒ですか」
「はい」
「こちらでは、一般的にどのようにして飲むのですか?」
「基本的には、氷を入れて飲みます。あとは、水や果実水で割ることが多いですね」
「では、このソーダは……?」
「新しい飲み方かと。お嬢様が、これをお持ちしろとおっしゃってましたので。……あの、つかぬことを伺いますが、これで割ってお飲みになられることが多いのですか?」
「多いですね。ここ何年かは、流行ってます」
「そうですか……」
洋樹は、もう一つ載っていたグラスを持つと、サイモンが作りかけていたグラスのわきに置いた。そして、琥珀酒の瓶をサイモンからとり、空のグラスに注いだ。二つのグラスに氷を入れ、ソーダを注ぐと、添えられていたマドラーでかき混ぜた。
「好みでレモンを入れる人もいますが、……ちょっと味をみてください」
グラスを一つ、サイモンに渡した。
「いただくわけには……」
「ご迷惑かもしれませんが、一口味をみてください。下つ国の飲み方なので、下賤の飲み方なのかもしれませんが」
「そういうわけでは……お客様のお飲み物を私がいただくわけにはいきません」
サイモンは困ったように眉を下げている。
洋樹は、食い下がった。
「お客といっていただけるなら、ご相伴ください。さすがに一人で飲むのは寂しくて」
サイモンは一つ息をつくと、頭を下げた。
「そこまでおっしゃっられては、いただくしかありませんね。では、お言葉に甘えていただきます」
「ありがとうございます」
グラスを互いに少し上げると、グラスを傾けた。
「これは……!」
「お気に召しましたか?」
「はい!シュワッとした泡の向こうから、琥珀酒のやわらかな甘味が」
洋樹はうんうんと頷いた。
「それですよね」
「いや、予想外の美味しさです!……こんな飲み方もあったのですね。いや、美味い」
「お口に合って良かったです」
二人は目を合わせると、ふふっと微笑んだ。
「あの、もう一つお願いが」
「何でしょう」
「もう少し、飲むのに付き合っていただけませんか」
「はい。私でよろしければ」
「ありがとうございます」
二人は、ソファーに座った。
洋樹はまた、グラスに酒を注いで氷とソーダを入れた。
「手慣れてらっしゃいますね」
「いつも、家で父と飲んでいるので。私が作るんです」
「そうでしたか」
サイモンは、「いただきます」とグラスを傾けた。
「いや、本当に美味しい」
「良かったです」
サイモンはよほど気に入ったらしく、二杯目をくいっと飲み干した。
「あの……お疲れのところになんですが、お嬢様は下つ国でどのような感じでいらっしゃったのかをお話しいただけるませんか」
「ま……ウィレイさんですか」
「はい」
サイモンは、グラスを置いた。
「お嬢様は、生まれたときから『秋の御方』となることが決まっておりました」
「その、『秋の御方』というのは、どのようなものなのですか?」
「この世界の……中つ国の秋を司る役目を負う方、というものです」
「秋を」
「はい」
サイモンは、洋樹のグラスをとると、新しい琥珀酒を注いだ。
「秋の御方は、生まれ出たときその手の中に、『秋の宝玉』を握っております。……お嬢様がお生まれになったとき、握っておられました」
「それはどのようなものなのですか?」
「赤いワインに近い深い紅色をしており、覗くとさまざまな光が煌めく何とも不思議な石です。私も長いこと生きておりますが、初めて見ました」
「それは、オパールのようなものですか?」
「いえ。ああ……でも、似てはいます。オパールのあの煌めきの一つひとつが自ら光り輝いているような感じのものです」
「なるほど」
「その宝玉は、お嬢様の手から離すと、消えてしまいました。しばらくしたらまたお嬢様の手の中に握られておりました。石が選んでいるように思われました。何度かそのようなことが繰り返されたのです」
「今はどのように?私は一度もそういうものを見かけませんでしたが」
「はい。あるとき突然輝きを増し、辺りを光で包んだ後に、お嬢様の胸の中へスッと入っていきました。たまたま晩餐の最中でしたので、ご家族の皆様や私どももその様子を見ておりました」
「……すごいですね」
「はい。ああ、これが選ばれた方なのだなぁと思いました」
サイモンは、その光景を思い出して浸っていた。
洋樹は酒を飲むと、話し出した。
「……ウィレイさんは、……『舞』という名前でした。国語の教師として、私のいた学校に赴任してきめした」
「はい」
「私よりずっと年上なので、初めは先輩として接していたのですが……何というか、あの人柄で」
サイモンが頷いている。あの性格を理解してもらえているようだ。
「仕事は人一倍熱心でした。そして、子どもたちは彼女に懐いていました。私は……同じ学年を組むことになり、隣の席になったんです」
洋樹は、酒を飲んで続けた。
「それからの毎日は、本当に楽しかった。何を訊いても、答えがくる。彼女は、博識だった。あ、貴方方のいう下つ国の情報にですよ。この仕事は本当に負担が多くて大変なのですが、彼女といると、不思議と楽になるんです。気持ちが。からかった反応もとても可愛くて、とてもずっと年上とは思えませんでした」
「ほうほう」
「気がついたときには、すっかり彼女の虜になっていました。……毎日、仕事に行くのが楽しみで。今日はどうやって揶揄おうって思いながら過ごしていました。彼女にとっては、生意気な後輩くらいにしか思ってなかったかもしれないけど」
「でも、お嬢様は貴方を『恋人』とおっしゃってましたよね?」
「はい。私の一方的な片思いかと思ってましたが、どうやら両片思いというのだったようです」
「そうでしたか」
「もっとも、周りの人たちは、私の好きオーラに気がついていたかと。最後まで気づかなかったのは、舞先生……ウィレイさん本人です」
「……わかる気がします」
「ありがとうございます」
サイモンは、洋樹に酒を注いだ。
「それで、こちらにいらしたのですか」
「はぁ……それが、本当にどうやって来たのかは自分でもわかりません」
洋樹は、グラスを両手で包んだ。
「舞先生の転勤が決まり、引っ越しの日がきました。離れがたくて、見送りに行ったんです。それで先生のお宅に伺ったのですが、家族の皆さんが……キョトンとしているんです。うちにはそんな子いません、と」
「なるほど」
「びっくりして、職場の仲間にその話をしたら、仲間たちも『え、その人って誰?』と言うんです。誰に訊いても、誰も彼女を覚えていない。存在すら」
「……お嬢様の術は、成功した、ということですね」
サイモンが微笑んだ。
「……そうなんでしょうね。私以外には。何故私には効かなかったのか、わかりませんが」
「確かに」
「最初の頃は、あーだこーだ言ってみたのですが、誰もが『こいつ大丈夫か?』みたいな雰囲気になって。やめました。でも、……忘れられなかった。彼女を……愛してると気がついたのは、そのときでした」
「そうでしたか……」
「今日も、家に帰ってから、父と酒を飲んでたんです。父は先に休みました。もう少し飲んでから寝ようと思って、ふと外を見たら、月がとても綺麗で」
洋樹は、目を閉じた。
「そういえば、舞先生と『月が綺麗ですね』ごっこというか、何というか……やりとりをしたなと……あ、下つ国で、私たちの住む国とは別の国の言葉で、『I love you』という愛の告白の言葉があるのですが、それを私たちの国の言葉に翻訳するときに、『月が綺麗ですね』と訳した人がいたんです。ただ月が綺麗なことに感動した彼女が、『綺麗!』と言ったのですが、それを私が『告白ですか』と揶揄ったときがありまして」
「ほおほお」
「顔を真っ赤にして否定してきたんです。その姿が、とても可愛らしくて……忘れられず」
「わかる気がします」
「それを思いだして、月を眺めていたら、彼女にたまらなく会いたくなって。それで、気がついたら、その、星の道?とかに一人立っていました」
サイモンは、洋樹をじっと見つめた。
(嘘ではないようだ。だが、彼の預かり知らぬところで、何らかの力が働いている)
「そうでしたか……」
「はい」
サイモンは、立ち上がった。もう、夜中を回っていた。
「遅くまで、すみませんでした」
と頭を下げた。
「いえ。付き合ってくださってありがとうございました」
洋樹も頭を下げた。
「では、また明日。ゆっくりお休みください」
「ありがとうございます」
「失礼しました」
サイモンは、部屋を出て行った。
洋樹はグラスを持ち上げたが、
(さすがに飲み過ぎたな)
と、テーブルに置いた。
客間だからだろうか。ベッドは大きく、綺麗な天蓋がかけられている。布団をめくって入ると、柔らかい肌触りの毛布が中にあった。
柔らかいものや硬いものなど、三つあった枕を重ねると、洋樹は毛布を被って横になった。
(いろいろありすぎて、わからん。明日、考えよう)
珍しく思考を放り出して、眠りについた。




