下つ国からの過客 1
ウィレイの家が見えてきた。
「あれが、私の家よ」
遠くから見ても、大きめの家である。家というより、館か小さな城とでも言ったほうがよいのかもしれない。
暗闇でも、その大きさはわかるほどに。
「ずいぶん大きなお家ですね」
「まあね……」
「舞先生って、お嬢様だったんですね」
「そうよ」
ん? あ、呼び方をどうにかしないと。
「あの、私の本当の名前は……」
「『ウィレイ』さんでしょ。知ってます」
「これからは、そう呼んでちょうだい」
「…………」
洋樹は応えなかった。無言の抵抗だ。
(でも、これは引けないわ)
「もし貴方が私の恋人というなら、それは受け入れないといけないことだわ」
重ねて言った。
洋樹はしばらくムスッとしていたが、諦めたように頷いた。
「わかりました」
「それと」
「まだあるんですか」
「その話し方」
片方の眉が上がった。
「丁寧じゃないですか」
「貴方、幾つ?何歳なの?」
「26です」
ウィレイはため息をついた。
「そう……私はこの国では、20歳です。つまり、貴方よりずっと年下なのよ。これまでとは逆なの」
「そうなんですか」
「そうなんです」
「だから、敬語を使うのはやめてほしいの」
「わかりました……じゃない、わかった」
「よろしくね」
「ああ」
あとは……さて、どうやってこの人を受け入れてもらうかだわ……
恐らく、下つ国の人間というだけで皆には拒否されることだろう。でも、ただの恋人というなら、大丈夫かもしれない。結婚するわけではないから……
門を抜け、ファザードが見えてきた。
いつもの帰宅時間なので、外灯が明るく灯されている。
馬車が止まった。
玄関前には、カルラとサイモンが何故か立っていた。
ウィレイは洋樹の腕に自分の腕を絡めると、彼らと向き合った。
「ただいま戻りました」
「「お帰りなさいませ」」
それきり誰も動かず、口も閉じたままだった。
しばらくして、鼻からフッと息を出したサイモンが話し出した。
「お嬢様、そちらの方は?」
ウィレイも口だけ微笑みながら、言った。
「私の恋人、洋樹さんです」
また、静かな時間が訪れた。
カルラが目を伏せると、言った。
「こちらへどうぞ」
「ありがとう」
ウィレイは礼を言うと、洋樹を連れて中へと入った。
カルラは、サロンへと二人を連れて行った。
ノックをすると、中から父が「入れ」と応えた。
「失礼します。旦那様、お嬢様のお戻りです」
「ああ。お帰り……?!」
父は、立ち上がった。
「ウィレイ、そちらは誰だ??」
「私の恋人、洋樹さんですわ、お父様」
「ほう……え??恋人??」
父はかなり動揺している。
(怒りではなく、動揺)
ウィレイは父の反応を冷静に分析していた。
「……どういうことか、話しなさい。私にわかるように」
どうにか気を鎮めながら、父が問うた。
それは、難しいですお父様。
だが、実際彼がここにいる以上、その理由らしきものは話さぬわけにはいかない。
「実は……」
「初めまして。ウィレイさんと以前一緒に仕事をしておりました。水野洋樹と申します」
洋樹が一歩前に出て、頭を下げた。
「ほぉ……一緒にね。君は、教師なのかな」
「はい」
「何を教えているのだね」
「数学です」
「なるほど……」
また、沈黙が訪れた。
(いろいろ気まずい……)
どうも、ここにいる誰もが皆、この状況をどうしてよいか困っているようである。
ノックの音がした。
「どうぞ」
「失礼しますわ」
今度は、母が入ってきた。
後ろからカルラがついて来たところを見ると、とりあえずの状況説明はなされているようである。
「初めまして、ウィレイの母のベルーラですわ。こちらは父のオウトゥクスです。旦那様、まずは御名を」
父は、ハッとして笑顔を貼り付けた。
「やあ、これは失礼した。オウトゥクス・フィ・ラ・シャルトランジェだ」
「まずは、おかけになって」
(さすがお母様。こういうとき、本当に頼りになるわ)
ウィレイは洋樹を連れて、長椅子へ座った。
「カルラ、お茶を」
「かしこまりました」
皆にお茶と軽いお菓子が配られた。
お茶を一口飲むと、母が話し始めた。
「さて、いろいろ伺いたいことがあるけれど……まずは、どうやってこちらにいらしたの?」
直球できた。
洋樹は母の方を向くと、素直に答えた。
「舞先生のことが……ウィレイさんのことが忘れられず、会いたいと思っていたのです。それだけです。気づいたら、星の道でしたか……?そこにおりました」
「そう……そうなのね」
母は、また一口紅茶を飲むと、続けた。
「貴方の住む世界からこちらの世界に来ることは、物理的に難しいことです。こちらからそちらに行くときは、複雑な術を組み合わせて移動します。ただ願ったからといって、そうそう別の次元に来ることはできないものです。つまり」
「誰かが君を手引きしたと考えるのが一番しっくりくるのだよ」
言語能力が回復した父が、入ってきた。
「しかし、私のそばには誰もいませんでした。ただ、月を見ていたんです。彼女を想いながら」
「月を……」
「はい」
確かに、どう考えてもこの状況はあり得ないことだ。
驚き過ぎて、そう判断する力も崩壊してしまったほどに。
それは、ウィレイとしては珍しいことであった。
普段、よく言えば素直、悪く言えば単細胞なのだが、危機管理能力は人一倍高い。危険察知能力も高い。異常な状況に対しては、微細に分析するのが常だ。一見そうは見えないが、ここぞというときの判断力に関しては、恐らくこの家の誰よりも高いものをもっていた。
(言われてみれば、私も何故すんなり受け入れてしまったのかしら……今更だけど、どう考えても異常事態よね、これ)
母はウィレイを見つめていた。娘の判断力からいって、何故安易にこの状況を受け止めているのかが不思議だったからである。だが、今日は、これまでだ。
「今日はもう遅いから、明日にしましょう」
「「はい」」
一旦、それぞれで再考することにし、休むことになった。




