第21話 正面じゃ勝てない
「おい久瀬! 三人まとめて相手にする気かよ!」
風切疾風が声を上げると、久瀬景虎は荷車の前で足を開いた。
三月二十一日。央都の合同養成所では、忍課程と侍課程による模擬護送が始まろうとしていた。前日の密書試験で偽物を持ち帰った疾風は、今日こそ得点を取るつもりでいる。
景虎は白い羽織を脱ぎ、稽古着の袖をまくっていた。その隣には赤銅色の肌をした鬼、ガンマルが立っている。
「三人でも四人でも来い。荷を渡すつもりはない」
「若、威勢がよいのう。じゃが、その言い方では皆が本気になるぞ」
「本気で来なければ稽古にならん」
ガンマルは白い眉を上げ、大げさに胸を張った。
「よかろう! わしも久瀬家の名に恥じぬ働きを見せようぞ!」
「お前は少し声を落とせ」
「おお、これは失礼!」
疾風は二人を見比べた。
「……何か余裕そうで腹立つな」
「お前が勝手に腹立ててるだけだろ」
肩に乗った鎌鼬のナギが答えた。
今日の課題は、小さな木箱を指定された場所まで護送することだった。
木箱には重り代わりの砂袋が入っており、荷車の荷台へ綱で固定されている。右後ろの角には赤い荷札が下がっていた。
護送側は景虎とガンマルの一組。
襲撃側は疾風を含む忍課程の四人だ。
赤い杭から白い杭まで荷車を運び切れば護送側の成功。襲撃側はその間に赤い荷札を取れば得点になる。
巌堂玄蔵は訓練場の端に立ち、両組へ確認を取った。
「襲撃側に渡すのは木の棒と盾だけだ。人体への強い打撃は禁止。護送側も刃を立てるな」
疾風は受け取った木棒を振り、重さを確かめた。
棒の先は丸く削られている。強く打てば痛いだろうが、普通の刀と違って相手を切ることはできない。
「それと、よく聞け」
玄蔵が採点板を叩いた。
「採点するのは赤い杭から白い杭までだ。終了の合図が鳴ったら、試験用の荷には触るな。護送側はそのまま器材庫へ返却すること」
「白い杭までが勝負ってことだな」
「そうだ。合図の後は試験ではない」
疾風は頷いた。
荷車の通る道には、低い木柵と曲がり角が設けられていた。片側には使わない盾が積まれ、反対側には空の荷車が二台止めてある。
道幅はそれなりにあるが、荷車が中央を通れば左右の空きは狭くなる。
「ナギ。あの札、見えるか?」
「右後ろの角だな。紐で釘に掛けてある」
「引っ張れば取れそうだな」
「そこまで近づければな」
ナギはガンマルを見た。
「あの鬼が道を塞いだら、横を抜けるのも難しいぞ」
「なら両側から行けばいいだろ」
「相手もそれくらい考えてるだろうよ」
襲撃役の一人が木の盾を構えた。
「俺が正面から行く! お前らは左右へ回れ!」
「待てって。相手は久瀬だぞ!」
疾風が声を掛けたが、男はすでに前へ出ていた。
残る二人も棒を構え、盾の左右に付く。
疾風は少し離れた位置で足を止めた。
「……とりあえず見ようぜ」
「珍しく慎重だな」
「昨日、朱莉に散々言われたからな!」
合図の鐘が鳴った。
*
最初の襲撃役が正面から踏み込んだ。
木棒が景虎の胸元へ伸びる。
景虎は半歩だけ体をずらし、棒の先を避けた。続いて左側の男が荷札へ回り込もうとする。
「若! そろそろわしの出番じゃな!」
「ああ。頼む」
景虎が手を差し出した。
ガンマルはその掌へ大きな手を重ねる。
赤銅色の巨体が縮み、四尺もの刃を持つ大太刀へ姿を変えた。身幅が広く、刀身の厚い、並の人間なら持ち上げるだけでも苦労しそうな刀だ。
景虎は両手で柄を握った。
刀身の重さに体を引かれる様子はない。足を開き、切っ先を少し下げたまま、正面の三人を見据えている。
「おい、何だよあれ!」
襲撃役の一人が声を上げた。
「でけえ刀だな……!」
疾風も思わず身を乗り出した。
ナギが耳元で言った。
「あれがガンマルの武器の姿か。振るには広い場所が要りそうだな」
「正面なら十分広いぞ」
「だから相手もここで構えたんだろ」
盾を持った男が足を踏み出した。
「三人で押せ! 振り下ろす前に近づくんだ!」
両側の二人も盾の陰へ寄った。
三人が固まって進めば、大太刀を横から差し込む隙はなくなる。盾を先頭にしたまま、荷車まで押し込むつもりなのだろう。
景虎は退かなかった。
左足を前へ出し、膝を深く曲げる。
疾風はその足元を見た。
力を入れた瞬間、左の足袋が土を押しつぶした。大太刀の先がわずかに持ち上がる。
「刃は寝かせるぞ、ガンマル」
『承知した、若!』
刀からガンマルの声が響いた。
景虎の体が前へ出る。
「久瀬一刀流・山颪!」
大太刀が頭上から落ちた。
刃先は立っていない。
広い刀身の平らな部分が先頭の木盾を打ち、その衝撃で盾を持つ男の両腕が後ろへ押し戻された。
「うわっ!」
男の足が浮いた。
後ろへ倒れかけた体が、すぐ脇にいた二人へぶつかる。三人は互いの足を引っかけながら後退し、最後にはまとめて地面へ転がった。
木棒が一本、板の上を滑っていく。
「いってえ!」
「おい、立てるか!」
「盾が……腕がしびれる!」
疾風は目を丸くした。
三人とも当て布のおかげで大きな怪我はなさそうだが、盾を持っていた男は指を開いたり閉じたりしている。
景虎は大太刀を戻し、三人の様子を確かめた。
「続けられるか?」
「……ああ! 次はばらけて行く!」
「なら来い」
景虎は再び荷車の前へ立った。
疾風は思わず笑った。
「すげえな! 三人まとめて転がしたぞ!」
「笑ってる場合か。俺たちも襲撃側だろ」
「分かってるって。でもあれはすげえだろ!」
ナギも景虎の足元を見つめた。
「刀が盾に当たるより先に、体が前へ出てたな。あれじゃ盾を置いても押し返される」
「真正面から止めるのは無理そうだな」
「それにあの刀、横を抜けようとする奴にも届くぞ」
疾風は大太刀の長さを目で測った。
ガンマルの刃は長い。自分がナギと契装して加速しても、一度に進めるのは三間までだ。しかも加速中に曲がることはできない。
正面へ飛び込めば、景虎の間合いに自分から入ることになる。
「……こりゃ正面じゃ勝てねえな」
「今さら気づいたのかよ」
「だったらほかの道を探す!」
大太刀からガンマルの声が響いた。
『小僧! お主は来ぬのか!』
「行くなら違う道だよ!」
『ほう! 聞こえのよい逃げ口上じゃのう!』
景虎も笑った。
「風切。お前の番はまだ残っているぞ」
「分かってる! でも同じ所へ突っ込むほど馬鹿じゃねえ!」
疾風は木柵に沿って横へ回った。
終点の白い杭までは、途中で道が一度曲がる。荷車がそこを通るときには速度が落ちるはずだった。
だが、景虎も曲がり角を気にしている。
荷車を動かすときにはガンマルを元の姿へ戻し、二人で周囲を確かめていた。襲撃役が近づけば荷車を止め、ガンマルが大太刀になる。
その切り替えに無駄がない。
「ナギ。あの曲がり角で横へ出たらどうだ?」
「登れる柵はあるな。でも向こうからも足が見えるぞ」
「一回試してみる」
疾風は低い木柵へ片足を掛けた。
その瞬間、景虎がこちらを向いた。
「そこに登れば足が見えるぞ、風切」
「もう見えてんのかよ!」
「見せているのはお前だ」
疾風は足を下ろした。
正面で転がされた三人は、今度は間を空けて襲いかかっている。しかし景虎は一人ずつ位置をずらして受け流し、荷札のある右後ろへ誰も通さなかった。
大太刀を振り回しているだけではない。
荷車を背にする位置を崩さず、相手が進める道を狭くしているのだ。
「……あいつ、守るのもうまいな」
「荷を取らせないのが仕事だからな」
「ちくしょう。ちょっとくらい隙を見せろよ!」
疾風ももう一度横へ回った。
だが景虎が先に動き、刀の届く位置へ立つ。足を止められた疾風の横を、別の襲撃役が走り抜けようとした。
その棒も大太刀に弾かれた。
結局、誰も赤い荷札へ手を掛けられなかった。
終了の鐘が鳴る。
「護送側、成功! 襲撃側はここまで!」
玄蔵の声が訓練場に響いた。
白い杭の内側には、赤い札を付けたままの木箱があった。
*
「ちくしょう。何も取れなかったじゃねえか」
疾風は貸与された木棒を返却箱へ置いた。
ほかの襲撃役たちは当て布を外し、水場へ向かっている。最初に盾を持っていた男は、まだ腕を振っていた。
「そりゃあの刀を見ればな」
ナギが肩へ戻ってきた。
「正面から行った三人は近づけもしなかった。お前も横へ回れなかったし」
「分かってるよ」
「だったら今日は負けだな」
「……いや、待て」
疾風は荷車を見た。
景虎はガンマルを元の姿へ戻し、木箱の綱を点検している。
試験は終わった。
だが、荷車を器材庫へ戻す作業はまだ残っている。
「ナギ。荷運びって、届けたあとも仕事があるよな」
「片づけや返却があるからな」
「だったら帰り道も見張らなきゃいけねえんじゃねえか?」
ナギは疾風を見上げた。
「お前、何考えてる?」
「まだ赤い札が付いてるだろ」
「……付いてるな」
「取れる場所があるかもしれねえ」
ナギの尾が止まった。
「待て。採点は白い杭までだぞ」
「分かってる。だから点にはならねえ」
「それなら取っても意味がないだろ」
「意味はある」
疾風は景虎の背中を見た。
「久瀬に一つくらい取り返したい」
「また余計なことする気かよ」
ナギの声が低くなった。
疾風は返却箱の横へ積まれた盾を指した。
その先には器材庫の裏へ回る細い道がある。訓練の前に見回ったとき、荷車が通る道と途中で交わっているのを確かめていた。
「正面から追いかけたら負ける。でも先に行って待つならどうだ?」
「……抜け道を使うのか」
「おう。箱には触らねえ。札を外したらすぐ返す」
ナギはしばらく考えた。
「玄蔵先生は、合図が終わったら荷に触るなって言ってたぞ」
「札を取るだけだ。壊したりはしねえよ」
「そういう話じゃねえと思うけどな」
「嫌なら俺だけでやる」
ナギは疾風をにらんだ。
「俺が嫌だって言ったら、やめるんだろ」
疾風は口を閉じた。
数日前の面接で、ナギが何を答えたか覚えている。
相棒が無理だと言ったら、別の方法を探す。
「……やめる」
「なら、俺にも考えさせろ」
ナギは器材庫へ続く道を見た。
「試験の得点にしようってわけじゃねえんだな?」
「ああ。久瀬に一回、参ったって言わせたいだけだ」
「だったら札は傷つけるなよ。元に戻せるように取れ」
「おう!」
「あと、俺が角から先を見る。相手が来るまでは勝手に動くな」
「乗った!」
二人は盾の陰へ回った。
器材庫の裏道には人一人が通れるほどの幅しかなく、片側には木箱が積まれている。足元の石畳は途中で土へ変わり、端には小さな水溝が通っていた。
疾風は土のある側を選んで進んだ。
石を踏めば靴音が響く。荷を運んでいたころから、音の出る足場はできるだけ避けている。
道の先でナギが立ち止まった。
「ここだな」
器材庫の角から、荷車の帰り道が見えた。
白い杭のある終点から、荷車は緩い坂を下ってこちらへ向かってくる。その途中には車輪が一度乗り越える低い段差があった。
段差を越えるとき、荷車は必ず速度を落とす。
「いい場所だな」
「もう少し奥へ隠れろ。向こうから肩が見えるぞ」
疾風は積まれた空箱の陰へ移った。
ナギは低い位置から道を確かめている。
「来たぞ」
景虎とガンマルが荷車を押していた。
景虎は左側で荷台を支え、ガンマルは右側の車輪を見ている。二人ともさっきの試験とは違い、周囲を警戒する構えではなかった。
しかし荷箱から目を離しているわけでもない。
揺れが大きくなれば、すぐに綱を押さえられる位置にいる。
「あいつら、帰り道でもちゃんと荷を見てるな」
「だから札を取るなら一瞬だぞ」
ナギが赤い荷札を指した。
箱の右後ろの角で、紙が小さく揺れている。
紐は釘の頭へ一重に掛かっているだけだった。
「釘から外せばいい。切る必要はねえな」
「そうだ。手も痛めるなよ」
「分かってる」
荷車が段差へ近づいた。
ガンマルは右前の車輪を浮かせようと、少し前へ回った。景虎は反対側で木箱が傾かないよう肩を添える。
二人の体が荷車の前方へ寄る。
右後ろの札だけが、疾風のいる角へ近づいてきた。
「……今だ」
ナギが小さく言った。
疾風は空箱の陰から身を乗り出した。
右手を伸ばし、荷札の紐へ指を掛ける。
釘の頭を越えるように持ち上げると、紐がするりと外れた。
紙の角が包帯へ触れたが、傷は痛まなかった。
荷車を押す二人は、まだ車輪の段差に気を取られている。
疾風はそのまま身を引いた。
「よし……!」
「風切!」
景虎の声が飛んだ。
疾風は足を止めた。
景虎は荷車の横に立ち、こちらを見ている。
だが追っては来なかった。
木箱が傾かないよう綱を押さえ、車輪が段差を越えるのを待っている。
疾風は赤い荷札を高く掲げた。
「取ったぞ、久瀬!」
「いつの間に……!」
「お前が正面に強えのは分かった。だから正面には行かなかったんだよ!」
ガンマルが大きな声で笑った。
「はっはっは! 若、見事に横を取られたのう!」
「ガンマル、先に車輪を戻せ」
「おお、そうじゃった!」
ガンマルが荷車を支える。
景虎は綱の張りを確かめてから、疾風へ向き直った。
「……風切、だったな」
「何だよ。今朝も呼んでただろ」
「名前は覚えている。今の手口も覚えたということだ」
疾風は胸を張った。
「次は試験中に取ってやる!」
「なら私も守り方を考え直そう」
景虎の口元がわずかに緩んだ。
その顔を見て、疾風はようやく一つ取り返した気になった。
「ほらよ!」
疾風は歩いて荷札を返した。
景虎は紙と紐を確かめ、破れた場所がないことを確認する。
「傷はないな」
「当たり前だろ。俺は運び屋だぞ」
「運び屋なら、持ち主の許可もなく札を外すな」
「細けえこと言うなよ!」
「返却の帳面に必要なんだ。細かくもなる」
景虎は荷札を元の釘へ掛けた。
ガンマルが再び荷車の前へ回る。
二人は木箱を確かめてから、器材庫へ歩き出した。
疾風はその背中を見送り、ナギへ顔を向けた。
「な? 取れただろ!」
「取れたな」
「俺たちもやりゃできんじゃねえか!」
「そうだな。あとは怒られるだけだ」
「……何でだよ」
「後ろ見ろ」
*
「風切。ナギ。こっちへ来い」
振り返ると、玄蔵が採点板を持って立っていた。
隣には見習いの記録係もいる。荷車の返却を確認するため、器材庫へ向かっていたらしい。
「今のは誰の指示だ」
玄蔵の声は低かった。
疾風は赤い荷札が戻された荷車を見た。
「俺が考えた。ナギにも相談した」
「そうか」
玄蔵は採点板へ目を落とした。
「試験はどこまでだと説明した」
「白い杭まで」
「終了の合図が鳴ったあとは?」
疾風は口を閉じた。
朝の説明を思い出す。
合図の後は、試験用の荷に触るな。
「……荷に触るなって言われた」
「分かっていて触ったんだな」
「でも箱は動かしてねえし、札だってちゃんと返したぞ!」
「壊したかどうかを聞いているんじゃない」
玄蔵は荷車の方を見た。
景虎とガンマルは、器材庫の前で返却の順番を待っている。
「試験中なら悪くない手だ。正面で勝てない相手に対して別の道を探した。先回りして荷札だけを外した手際もいい」
「だろ!」
「だが、それは採点の外だ」
疾風の声が止まった。
「終了後は、護送役も襲撃を想定していない。荷車を片づける者、器材庫へ戻す者、それぞれ仕事が変わっている。そこで勝手に手を出せば事故につながる」
「久瀬は気づいたぞ!」
「気づかなかったら奪ってよかったのか?」
玄蔵はすぐに問い返した。
疾風は答えられなかった。
「今回は荷札だけで済んだ。だが景虎が追いかけ、荷車から手を離していたらどうなる」
疾風は先ほどの場面を思い出した。
荷車の車輪は段差を越える途中だった。景虎が木箱を押さえていなければ、荷が傾いていたかもしれない。
「……でも、あいつは追ってこなかった」
「だから問題にならなかった。それは景虎の判断だ」
ナギが疾風の肩から降りた。
「俺も一緒にやった。角から先を見たのは俺だ」
「分かっている。二人とも記録する」
玄蔵はナギへも目を向けた。
「お前たちが相談して動いたことは評価する。だが二人で決めたからといって、試験の規則まで変わるわけではない」
疾風は荷札を取った指を見た。
紐を外すだけだった。
箱には触っていない。
だから問題ないと思っていた。
「……ちゃんと返したぞ」
「返したことも記録する」
玄蔵は採点板の紙を一枚めくった。
「だが、終了の合図を無視した事実は残る」
「それで減点か?」
「違う」
疾風は顔を上げた。
玄蔵は採点板へ筆を走らせた。
「今回の護送課題は不合格だ」
「はあっ!?」
疾風は思わず一歩前へ出た。
「俺、荷札を取ったんだぞ!」
「採点の外でな」
「でも取れたことには変わりねえだろ!」
「その腕前は認める。だが、決められた時間を守れない者に荷は任せられん」
玄蔵は紙を抜き取った。
そこには疾風とナギの受験番号が並んでいる。
その横に、赤い文字が記されていた。
『不合格』




