祠
黒い靄が、神龍の巨体を完全に覆っていた。
先ほどまで黄金に輝いていた瞳は、今や闇に染まっている。
神龍は苦しそうに頭を振り、何かに抗うように爪を床へ突き立てた。
ガリガリと石を削る音が、広間へ響く。
『グ……ォォ……。』
低いうなり声。
そこに、先ほどまでの威厳と理性は感じられない。
ツバキは神龍を見上げたまま、拳を握りしめていた。
『我を……救ってくれ……封印が……。』
神龍が最後に残した言葉。
その意味を考える間もなく――。
悠真の目の前に、青いウィンドウが現れた。
⸻
【クエスト発生】
神龍を救え。
報酬:????
⸻
「……!」
悠真は表示を見つめた。
(倒すではなく、救う。)
その一言で迷いが消えた。
「みんな!」
フィルとツバキが悠真を見る。
「神龍を助けよう!」
「はい!」
「ええ!」
その瞬間――。
『グォォォォォォォォォッ!!』
凄まじい咆哮が広間を震わせた。
「うっ……!」
悠真の身体が硬直する。
先ほどまでとは違う。
身体の奥底から、圧倒的な恐怖が湧き上がってくる。
逃げろ。
勝てない。
殺される。
そんな感情が頭の中を埋め尽くした。
その瞬間――。
⸻
《精神耐性》
⸻
「……!」
(これ……ガーディアンを倒した時に手に入れた……!)
恐怖は消えていない。
それでも――身体は動く。
悠真は顔を上げた。
「フィル!」
「ツバキさん!」
二人を見る。
フィルは杖を握ったまま震え、ツバキも神龍を見上げたまま動けずにいる。
「二人とも!!」
「……!」
二人が我に返った。
「みんな! ガード体勢!」
邪龍が大きく息を吸い込む。
その口元へ、禍々しい黒い魔力が集まり始めた。
「来る!」
悠真は剣を構える。
「アースエンチャント!」
大量の土が剣を包み込む。
悠真はその剣を地面へ突き刺した。
「魔力障壁!」
半透明の障壁が三人の前へ展開される。
「アースウォール!」
フィルも巨大な土壁を作り出した。
ツバキは床へ両手をつく。
「――(錬成)!」
神殿の床が隆起し、さらに分厚い石壁が作り出された。
次の瞬間――。
邪龍の口から黒いブレスが放たれた。
ドォォォォォォン!!
「ぐっ……!」
三重の防御と黒いブレスが激突する。
石壁が軋む。
亀裂が走る。
ボロボロと表面が崩れていく。
「まだ……続くのか!」
「もちませーん!」
フィルが叫ぶ。
黒いブレスは一向に弱まらない。
ツバキが歯を食いしばった。
「だったら……!」
再び床へ手を叩きつける。
「――(錬成)!」
邪龍の顎の真下。
神殿の床から巨大な石柱が一気に突き上がった。
ゴォンッ!!
石柱が邪龍の顎を直撃する。
『グォッ!?』
邪龍の頭が跳ね上がった。
黒いブレスが三人から逸れ、天井を直撃する。
「今です!」
「ああ!」
悠真が地面を蹴った。
「瞬歩!」
一瞬で邪龍との間合いを詰める。
「アースエンチャント!」
剣を大量の土が包み込み、巨大なロングソードへ変化した。
「はああっ!」
ザシュッ!
土の大剣が邪龍の身体へ突き刺さる。
「浅い……!」
致命傷には程遠い。
それでも確実に攻撃は通っている。
悠真は剣を引き抜き、すぐさま《瞬歩》で距離を取った。
「フィル!」
ツバキが叫ぶ。
「浄化魔法は!?」
フィルは首を横に振った。
「普通の浄化魔法じゃ無理です!」
「もっと上級の浄化魔法じゃないと……!」
「使えるの!?」
「まだ試したことがありません〜!」
フィルは黒い靄に覆われた邪龍を見上げる。
「それに、詠唱にもすごく時間がかかります!」
「それでも構わないわ!」
ツバキは迷わなかった。
「やって!!」
「……分かりましたー!」
フィルはポーチから一本の小瓶を取り出した。
ツバキから預かっていた魔力上昇薬。
栓を抜き、一気に飲み干す。
「うっ……。」
フィルの身体から魔力が溢れ出した。
そして、光属性の魔導書を開く。
「悠真さん!」
「お願いします!」
「分かった!」
悠真は邪龍を見据える。
「ツバキさん!」
「石の柱をたくさん出してください!」
「分かったわ。」
ツバキが床へ手をつく。
「――(錬成)!」
ゴゴゴゴゴゴ――!
一本。
二本。
三本。
巨大な石柱が次々と立ち上がり、邪龍を取り囲んでいく。
「いくぞ!」
「ウィンドエンチャント!」
風の魔力が悠真の剣と身体を包み込む。
地面を蹴った。
「瞬歩!」
一瞬で最初の石柱へ。
そのまま柱を蹴る。
次の柱へ。
さらに次へ。
風をまとった悠真が、石柱から石柱へ飛び回る。
『グォォォッ!』
邪龍の巨大な爪が迫る。
悠真は柱を蹴った。
直後――。
バガァンッ!
今までいた石柱が粉々に砕け散る。
だが、悠真はすでに次の柱へ移っていた。
さらに蹴る。
邪龍の頭上を飛び越える。
「はっ!」
ザシュッ!
一撃。
すぐさま別の柱へ。
邪龍が振り返る。
だが、そのときにはもう悠真はいない。
「……凄い。」
ツバキが思わず呟いた。
悠真の動きを追いきれない。
邪龍が苛立ったように尻尾を振るう。
ドゴォォン!
石柱がまとめて破壊された。
「壊させない!」
ツバキが再び床へ触れる。
「――(錬成)!」
砕けた岩が集まり、再び石柱へと姿を変える。
悠真が飛ぶ。
邪龍が壊す。
ツバキが直す。
そして、その後方では――。
フィルが光属性の魔導書を読みながら、必死に詠唱を続けていた。
「フィル!」
「まだか!?」
「あと……もう少しですー!」
(もう少し……!)
悠真は柱を蹴った。
邪龍の爪をかわす。
次の柱へ。
そして再び蹴り出した。
邪龍の首元すれすれを通り抜ける。
その瞬間――。
「……?」
悠真の視界の端に、黒いものが映った。
着地する。
すぐに次の柱へ飛び移りながら、もう一度邪龍の首元を見る。
(あれは……。)
岩のような鱗。
その中に一枚だけ、逆向きに生えた鱗がある。
そして――。
そこだけが異常なほど黒く染まっていた。
「まさか……!」
悠真の脳裏に、先ほどの光景が蘇る。
ツバキが投げた浄化薬。
黒い靄は確かに薄くなった。
「ツバキさん!」
「龍の首元!」
「黒くなってる逆鱗に、浄化薬を!」
「!」
ツバキも邪龍の首元を見る。
「あれが……!」
すぐに腰のポーチから浄化薬を取り出した。
だが、邪龍までは距離がある。
ツバキが床へ手をつく。
「――(錬成)!」
一本の細い石柱が斜めに伸びていく。
その先端へ薬瓶を乗せる。
「届け!」
石柱が一気に伸びた。
薬瓶が弾き飛ばされる。
そして――。
パリンッ!!
命中。
浄化薬が黒い逆鱗へ降りかかった。
『グギャァァァァァァッ!!』
「……!」
今までとは明らかに違う悲鳴。
黒い逆鱗から大量の靄が噴き出した。
「やっぱり!」
悠真が叫ぶ。
その瞬間――。
「できましたー!!」
フィルが魔導書から顔を上げた。
広間全体へ、膨大な光属性の魔力が広がっていく。
「いきます!」
フィルは杖を高く掲げた。
「――サンクチュアリー!!」
眩い光が広がった。
フィルを中心に巨大な光のサークルが形成され、邪龍の巨体を包み込んでいく。
『グォォォォォォォォッ!!』
邪龍が暴れる。
黒い靄が光を押し返そうと膨れ上がる。
「くっ……!」
フィルの腕が震え始めた。
「フィル!」
「まだ……です!」
光と闇がぶつかり合う。
邪龍の身体から黒い靄が剥がれる。
しかし、再び逆鱗から溢れ出す。
「そんな……!」
「負けません……!」
フィルは歯を食いしばった。
「神龍さんから……!」
杖を握る両手に力を込める。
「離れてくださいー!!」
光が一気に強くなる。
『グォォォォォォォッ!!』
邪龍の咆哮。
ツバキは祈るように神龍を見つめていた。
「お願い……。」
「戻ってきて……!」
悠真も叫ぶ。
「フィル!」
「もう少しだ!」
「はいー!!」
光のサークルがさらに輝きを増す。
黒い靄が少しずつ薄くなる。
翼から消える。
四肢から消える。
そして最後に残ったのは――。
首元の黒い逆鱗。
光が集中する。
黒い逆鱗から、最後の邪気が激しく噴き出した。
『グォォォォォォォォォォッ!!』
神殿全体を震わせる咆哮。
そして――。
黒い靄が光の中へ溶けるように消えていった。
『グ……ォォ……。』
神龍の巨体がゆっくりと傾く。
ドォォォン……。
静寂。
「はぁ……はぁ……。」
三人の荒い呼吸だけが、広間へ響いていた。
やがて《サンクチュアリー》の光が消えていく。
そこに横たわっていたのは――。
黒い靄をまとった邪龍ではない。
岩のような鱗。
穏やかな表情。
本来の姿を取り戻した神龍だった。
そのとき――。
悠真の目の前に、青いウィンドウが現れた。
⸻
【クエスト達成】
神龍を救え。
報酬:《属性耐性》
⸻
(……属性耐性?)
悠真が表示を見つめる。
すると、その意味が自然と頭の中へ流れ込んできた。
火、水、風、土、木、光、闇――。
属性を持つ攻撃に対する耐性を得る。
(なるほど……。)
これまで以上に強力な魔法や攻撃と戦うことになるのなら、役に立つ力なのは間違いない。
悠真が表示を見つめていると、それは静かに消えていった。
「……やった?」
悠真が呟く。
「たぶん……。」
フィルはその場へ座り込んだ。
「もう魔力、空っぽです〜……。」
ツバキが神龍へ近づいていく。
「ツバキさん!」
悠真が呼び止める。
「大丈夫よ。」
ツバキは神龍の傍らへ膝をついた。
ハイポーションを取り出す。
「今度は……私が助けます。」
神龍の傷へ静かにかけた。
淡い光が巨体を包み込む。
しばらくして――。
黄金の瞳が、ゆっくりと開いた。
神龍は身体を起こした。
『我を救いし適合者よ。』
ツバキが神龍を見上げる。
『汝は我に、その力を示した。』
『ゆえに、我が力をそなたへ授けることができる。』
『だが――受け取るか否かは、そなた自身が決めよ。』
「待ってください。」
ツバキは真っ直ぐ神龍を見つめた。
「なぜ私が適合者なのですか?」
「なぜ、力を示す必要があったのですか?」
「そして……。」
「あなたは、なぜここに存在しているのですか?」
神龍はしばらく沈黙した。
やがて、重々しく口を開く。
『我は――祠を守りし存在。』
「祠……?」
『そうだ。』
『だが、詳しくは我にも分からぬ。』
『我に残されているのは、ここより下に存在する祠を守るという使命のみ。』
「ここより……下?」
三人が顔を見合わせる。
『汝らは試練を乗り越えた。』
『ゆえに――祠への立ち入りを許そう。』
そして神龍は、再びツバキへ黄金の瞳を向けた。
『さあ。』
『我が力を受け取るか?』
「……。」
ツバキはすぐには答えなかった。
三人は少し離れ、顔を合わせる。
フィルは興奮を隠しきれない。
「受けた方がいいですよ!」
「きっと古代魔法です!」
「古代魔法……。」
ツバキは自分の手を見る。
悠真は静かに口を開いた。
「ツバキさんの気持ちに任せます。」
「ただ……。」
昨夜、ツバキから聞いた話を思い出す。
「昨日の夜の話を聞いて、俺は思いました。」
「これは、ツバキさんにとって必要な力なんじゃないかって。」
ツバキが悠真を見る。
「もっと多くの人を救いたいんですよね?」
「……。」
ツバキは静かに目を閉じた。
夫を救えなかった、あの日。
母と続けてきた錬金術。
そして――。
国で待っているスズ。
自分には、まだ救える命がある。
ツバキはゆっくりと目を開いた。
「……分かりました。」
神龍を真っ直ぐに見つめる。
「受けます。」
『……よかろう。』
『我の側へ。』
ツバキはゆっくりと神龍へ近づいた。
巨大な頭の前へ立つ。
神龍が黄金の瞳を閉じた。
その瞬間――。
神龍の身体が眩い光に包まれた。
「……!」
土色の光が無数の粒となり、広間へ舞い上がる。
その光は、ゆっくりとツバキの周囲へ集まり始めた。
腕へ。
身体へ。
そして――。
ツバキの胸の奥へ。
「……あっ。」
次々と光が吸い込まれていく。
悠真とフィルは、ただその光景を見つめていた。
やがて――。
最後の光が、ツバキの中へ消えていった。




