帰り道
夏の日差しが少しずつ傾き始める。
湖畔には炭の香ばしい匂いが漂い、網の上では肉がじゅうじゅうと音を立てていた。
「やっぱり外で食べると美味しいね。」
陽菜が紙皿を手に笑う。
「景色もごちそうだからな。」
悠真も笑い返し、焼き上がったソーセージを皿へ乗せた。
SUPを楽しんだ後のバーベキュー。
身体を動かしたあとの食事は格別だった。
「仕事、最近どう?」
「相変わらずだよ。忙しいけど。」
「悠真って昔から真面目だから、無理しそうで心配なんだよね。」
「そんなに働き詰めじゃないよ。」
「ほんとかなぁ?」
陽菜はじっと悠真を見つめる。
「でも、今日はなんか元気そうだった。」
「そう見えた?」
「うん。SUPも前より上手くなってたし。」
悠真は苦笑した。
夢世界で手に入れた《身体強化》。
もちろん口にするわけにはいかない。
「最近、体を動かしてるからかな。」
「ふーん。」
陽菜は深く追及することなく、缶ジュースを口に運んだ。
こういう距離感が心地いい。
昔から何も変わらない。
恋人ではない。
けれど、一緒にいて気を遣わない大切な幼馴染。
そんな時間が、ゆっくりと流れていく。
◇
夕焼けが湖を赤く染め始めた頃、二人は後片付けを終えた。
「今日はありがと。」
「こっちこそ。」
「また来ようね。」
「ああ。涼しくなった頃もいいかもな。」
「約束だからね。」
陽菜は笑顔で手を振り、自分の車へ向かっていった。
悠真もSUPボードを積み込み、運転席へ乗り込む。
エンジンをかける。
カーナビには、自宅までの帰り道が表示された。
「さて、帰るか。」
アクセルを踏み込み、車は静かに走り出した。
◇
峠道へ入る頃には、空はすっかり茜色から群青色へ変わっていた。
街灯は少なく、ヘッドライトだけが前方を照らしている。
窓の外では、ヒグラシの鳴き声が静かに響いていた。
昼間、湖で感じた違和感が頭をよぎる。
空気が一瞬だけ揺らいだ、あの感覚。
「……気のせい、だよな。」
そう呟いた、その時だった。
ドンッ!
「っ!」
鈍い衝撃が車体を揺らす。
悠真は反射的にブレーキを踏み込んだ。
タイヤが短く鳴き、車は路肩で停止する。
「何だ……?」
シートベルトを外し、ハザードランプを点灯させる。
懐中電灯を持ち、ゆっくりと車を降りた。
夜の山は静かだった。
聞こえるのは虫の鳴き声だけ。
フロントバンパーを照らす。
擦れたような跡はある。
だが――。
「いない……?」
ぶつかったはずの動物が見当たらない。
道路にも血痕はない。
毛も落ちていない。
鹿なら、この程度で走り去れるとは思えない。
首を傾げながら周囲へライトを向ける。
その時。
ガードレールの向こう。
草むらが、小さく揺れた。
ガサッ……。
悠真は息を呑む。
光を向ける。
しかし、そこには風に揺れる草しかなかった。
「……逃げたのか。」
自分に言い聞かせるように呟く。
気のせいだったのかもしれない。
そう思い、車へ戻ろうとした、その瞬間。
森の奥から、低く短い鳴き声のようなものが聞こえた。
「……グルルッ」
犬とも、鹿とも違う。
聞いたことのない声。
悠真は思わず足を止めた。
だが、それ以上の音は聞こえなかった。
◇
「……帰ろう。」
そう呟き、車へ乗り込む。
エンジンをかけ、再び走り出す。
ルームミラーには、暗い山道だけが映っていた。
誰もいない。
何もいない。
そう思うことにした。
けれど胸の奥に残る違和感だけは、消えることがなかった――。




