休日の湖
カーテンの隙間から差し込む朝日が、神崎悠真の瞼を優しく照らした。
ゆっくりと目を開くと、見慣れた自室の天井が目に入る。
「……朝か。」
昨夜の出来事が頭をよぎる。
夢の中で訪れた王都。
初めての依頼。
ウルフとの戦い。
そして、リシェルの家で別れた直後、現実へ戻ってきたこと。
夢だったとは思えないほど鮮明な記憶。
悠真は枕元へ視線を向ける。
そこには、一枚のカードが静かに置かれていた。
王都冒険者ギルドカード。
昨夜見たものと何一つ変わらない。
恐る恐る手に取る。
冷たい感触。
表面に刻まれた自分の名前。
夢の中だけのはずだった証が、確かに現実に存在している。
「……本当に持ち帰ってきたのか。」
思わず苦笑する。
何度見ても現実味がない。
だが、今日は考えても答えは出ない。
「今日は休みなんだから、楽しもう。」
カードを机の引き出しへしまい、悠真は身支度を始めた。
今日は久しぶりに、富士五湖へSUPをしに行く約束をしている。
相手は幼馴染の陽菜だ。
恋人ではない。
だからこそ、何でも気軽に話せる大切な友人だった。
◇
待ち合わせ場所の駐車場では、すでに陽菜が手を振っていた。
「おはよう、悠真!」
「おはよう。待たせた?」
「ううん。私も今来たところ。」
そう言って笑う陽菜は、車からSUPボードを降ろし始める。
「今日は最高の天気だね!」
「風もほとんどないし、絶好のSUP日和だな。」
「でしょ? だから早く来たかったんだ。」
二人は笑い合いながら湖畔へ向かった。
朝の湖は静かだった。
水面には富士山が映り込み、まるで鏡のように澄んでいる。
「やっぱり、この景色は何度見ても飽きないな。」
「うん。仕事の疲れも吹っ飛ぶよね。」
ボードを水面へ浮かべ、それぞれゆっくりと漕ぎ始める。
パドルが水を切る音だけが、静かな湖に響いた。
◇
湖の中央付近まで来ると、陽菜が笑いながら声を掛ける。
「悠真、なんか今日うまくない?」
「そうか?」
「全然グラついてないじゃん。」
言われてみればそうだった。
以前なら少し体勢を崩していた場面でも、今日は自然と身体が反応する。
体幹が安定している。
視線もぶれない。
(身体強化……。)
夢世界で得たスキルが頭をよぎる。
偶然だろうか。
それとも、本当に現実へ影響しているのか。
考えても答えは出ない。
「最近、仕事で鍛えられてるからかな。」
適当に笑ってごまかす。
「ふーん? じゃあ私も組立工になろうかな。」
「それはおすすめしない。」
「即答なんだ。」
二人は顔を見合わせて笑った。
◇
穏やかな時間が流れる。
湖面には小さな波紋が広がるだけ。
風もない。
鳥の鳴き声だけが遠くから聞こえてくる。
その時だった。
――ゆらり。
視界の先で、空気がわずかに揺らいだ。
まるで真夏の陽炎のように、景色が歪む。
「……?」
悠真は思わずパドルを止めた。
揺らぎは一秒にも満たない。
瞬きをした次の瞬間には、何事もなかったかのように消えていた。
「どうしたの?」
陽菜が不思議そうに尋ねる。
「いや……。」
悠真は目を細め、もう一度その場所を見る。
青空。
静かな湖。
揺れる木々。
どこにも異常はない。
「気のせい、かな。」
「疲れてるんじゃない?」
「そうかもな。」
そう答えたものの、胸の奥に小さな違和感が残る。
あれは見間違いだったのか。
それとも――。
悠真はもう一度だけ、何もない空を見上げた。
そこには、いつもと変わらない夏の青空が広がっていた。




