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エバー・メイルの領地改革  作者: 小兎


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第43話 論文の行方


「よし。……当然、エルも悪いけど論文の執筆に付き合ってもらうよ」


論文なんて自分の管轄外だ、という顔で欠伸をしていたエルに僕ははっきり告げた。


「俺?」


エルは、まさに鳩が豆鉄砲を食らったような顔で固まっている。


「僕たち専門家だけで突き詰めると、また理屈の迷路に入って袋小路に嵌まる可能性があるんだ。エルの『なんで一個なんだ?』っていうような直感と、知識に縛られない第三者の視点が、この論文には不可欠なんだよ」


「……まじかよ。剣振ってる方が百倍楽だぜ」


そうぼやきながらも、エルは僕の隣に椅子を引き寄せた。


そこから、四人による怒涛の論文作成が始まった。


ヴィクター先輩が理論を構築し、ジルゼが加工限界のデータを出し、僕がそれを魔導回路の設計に落とし込む。

そしてエルが「これじゃ現場の奴は分からねぇ」「もっと単純にできねぇのか」と、容赦なく「理屈の壁」をぶち壊していく。


当然、作業は一筋縄ではいかなかった。


複雑怪奇な数式を前にジルゼが匙を投げかけたり、ヴィクター先輩が理想を追いすぎて回路が物理法則を無視し始めたり……。

さらには追い打ちをかけるように、地獄の学期末テストまで襲いかかってきた。


昼間は試験勉強、夜は研究論文。


図書室の隅で、四人並んで力尽き、誰の足だか手だか分からない状態で雑魚寝した夜も一度や二度じゃない。


「……できた……のか?」


ある朝、窓から差し込む初夏の光の中で、ヴィクター先輩が震える手で最後の一枚を重ねた。


インクの匂いと、四人の執念が詰まった分厚い束。


「ああ……形になった。ようやく、出口が見えたよ」


僕が答えると、隣で机に突っ伏していたエルが「飯……」と力なく呟いた。


季節はいつの間にか巡り、夏季休暇はもう目の前まで迫っていた。





提出されたその論文は、王立学園の教員棟に、文字通り「爆弾」として投げ込まれた。


「……何だ、これは。冗談にしては悪質すぎるぞ」


最初に目を通した学術会議の老教授は、震える手で眼鏡を拭き直した。だが、二度、三度と読み進めるうちに、その顔からは血の気が引いていった。


「おい、すぐに環境制御学科の主任を呼べ! それから魔導幾何学の権威もだ! 今すぐだ!!」


数時間後、会議室は「阿鼻叫喚」という言葉が相応しい地獄絵図と化していた。


「馬鹿な! 百年間、誰も解けなかったアルバス山脈のフィードバック定数が、こんな……こんな稚拙に見える『多核分散型マルチコア』という屁理屈で解決できるはずがない!」


「しかし見ろ、この演算回路の並列処理! 学生が組んだとは信じがたいが、論理的な破綻が一つもない! むしろシンプルすぎて、なぜ我々が気づかなかったのかと吐き気がするぞ!」


教授たちは机を叩き、互いの胸倉を掴まんばかりの勢いで怒鳴り合った。


「素材はどうするんだ! 高濃度魔素に耐えられる器など存在しない!」


「……ここを見ろ。アッサママの『水晶樹』を特殊加工して使うと書いてある。しかも、その加工手順の付録が……アッサママの秘匿技術そのものじゃないか! 一体どこの誰がこんな情報を引っ張ってきた!?」


一人の若手教授が、最後の一枚に記された著者名を見て、椅子から転げ落ちた。


「エバー・メイル……ヴィクター・フラン……エル……ジ、ジルゼ……。学生と10代!? 冗談でしょう、この論文1つで、王国の百年の魔導史がゴミ箱行きですよ!?」


「認められるか! こんなもの認めたら、我々が今まで教えてきた『辺境不可侵の理』が根底から覆る!」


「だが、認めざるを得ない! 数式が、結果が、ここにあるんだ!」


廊下まで漏れ聞こえる教授たちの絶叫。


「あり得ん!」「天才か狂人か!」「誰が予算を出すんだ!」


会議室から飛び出してきた教授は、泡を吹いて倒れた。


王立学園始まって以来の、醜くも熱い大論争。


僕たちが寮の自室で泥のように眠っていた頃、学園の権威たちは、自分たちの常識が音を立てて崩壊する恐怖と興奮に、一晩中身を焼き尽くされていた。



学園内での阿鼻叫喚から数日。事態は一介の教育機関の手を離れ、王都グランヴェルの中心、王城の奥深くにまで到達していた。


「……信じがたいが、これが学園から上がってきた最終報告か」


王城の円卓会議室。居並ぶのは、軍務、内政、そして魔導の頂点に立つ王国の重鎮たちだ。その中央で、国王アルバート陛下が厚みのある論文の束を、重々しく机に置いた。


「百年にわたり、我らが『どうしようもない天災』として諦めていた辺境の環境を、学生風情が制御可能だと言い切った。……諸公、これをどう見る」


重鎮たちの間には、言葉にならない緊張が走っていた。


「……理論上、欠陥は見当たりません。それどころか、キノババ封鎖を目前にした今、この『魔素の動力化』が実現すれば、王国の国力は大陸の他国を圧倒することになるでしょう」


「しかし、素材の確保にアッサママの聖域を荒らし、挙句に国家予算の数年分をこの『試作機』に投じろと言うのですか! 狂気の沙汰です!」


「……狂気か。だが、この論文にはアッサママ辺境伯の私印がある。領主自らが素材の提供と加工への協力を示唆しているのだ。これはもはや、一個人の妄想ではない」


軍務を統括する次男ライオネル殿下が、鋭い眼光で論文を睨みつける。

一方で、内政を担う王太子エドワード殿下は、レオ様を救われたあの日の二人の眼差しを思い出し、静かに口を開いた。


「父上。彼らはアッサママで、不可能を可能にしました。……私は、この『若き狂気』に賭けてみる価値があると考えます。鎖国へと踏み出す我が国にとって、これは神が与えたもうた盾と矛になり得る」


検討会議は深夜にまで及んだ。


王宮魔導具師たちが血眼になって数式を再検証し、騎士団長たちが辺境の戦略地図を書き換える。


王国の最上層部。百年の停滞を良しとしてきた大人たちの常識が、エバーたちが書き上げたインクの跡によって、今まさに、凄まじい軋み音を立てて動き出そうとしていた。

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