第42話 学生の限界を知る
僕は空間収納を起動し、あのアッサママの深部で命がけで手に入れた「水晶樹の枝」をジルゼに渡した。
それまで終始面倒そうに俯いていたジルゼの肩が、枝が手に触れた瞬間にピクリと跳ねた。
「……ッ、これは……」
彼は手にした大ぶりの枝を目の高さまで持ち上げ、指先でその表面をなぞった。神経質そうだった瞳が、まるで獲物を見つけた鷹のように鋭く見開かれる。
「……拾った物じゃないな。この断面は切断したのか? あのアルバス山脈の最深部からよく持って帰れたな。水晶樹を傷つけたら門番が黙ってなかったろうに」
ジルゼの呟きには、先ほどまでの拒絶とは違う、職人としての純粋な驚愕が混じっていた。
「わ、分かるんですか? その通りなんです! 採取するのも、逃げ帰るのも、本当に死ぬかと思いました」
僕が答えると、ジルゼはようやく僕の顔をじろりと見た。その目は相変わらず不健康そうだが、そこには確かな敬意……あるいは、同類への興味のようなものが宿っていた。
「……なるほどな。この密度の結晶構造なら、並の刃が弾かれるのは当たり前だ。……あんたたち、これを使って何を作るつもりだ? 杖か? それとも、ただの美術品か?」
「いえ、街全体を魔素のバイパスで繋ぐための、エネルギー変換器の心臓部です」
僕がヴィクター先輩と練り上げた構想を簡潔に伝えると、ジルゼは喉の奥でククッと小さく笑った。
「変換器、だと……? 狂ってるな。この反抗的な素材を、そんな巨大なエネルギーの通り道にするつもりか。……面白い。アッサママの彫晶師を、単なる研磨屋だと思ってないなら……少し、付き合ってやってもいい」
ジルゼはそう言った。
ジルゼの承諾を得た瞬間、背後で抑えきれない気配を漏らしていたヴィクター先輩が、弾かれたように前へ出た。
「素晴らしい……! ジルゼ君、君のその眼力、本物だね。ならば話は早い。この水晶樹を中核に据えた、我々の設計図を見てくれたまえ!」
先輩は脇に抱えていた図面の束を、ジルゼの作業台の上に豪快に広げた。
それまで「素材」にしか興味を示していなかったジルゼの視線が、緻密に描き込まれた魔導回路へと移る。
「……なんだ、この回路密度は。魔素の流動予測が、百年前のバイパス理論をベースに……いや、さらに多層化されているのか?」
「その通り! だが問題は接続点だ。この水晶樹の結晶軸に合わせて術式を刻まねば、魔素の圧力に耐えきれん。ジルゼ君、君の技術なら、このポイントで魔力を『分岐』させるような細工が可能か!?」
「……正気か? ここで分岐させれば、結晶の内圧が臨界を超える。やるなら、この軸を外して、螺旋状に位相をずらしながら削るしかない……」
「いや、それでは演算速度が追いつかない! 螺旋ではマナの遅延が発生する!」
そこからは、僕とエルが入り込む隙もないほどの、技術者同士の激しい火花が散る論争となった。
「削りの限界」を説くジルゼと、「理想の回路」を譲らないヴィクター先輩。二人は互いに一歩も引かず、作業台を囲んであーでもない、こーでもないと専門用語を怒鳴り散らし始めた。
「……なぁ、エバー。あいつら、放っておいたら明日までやってるぞ」
エルが呆れたように耳を塞ぐ。
結局、議論は数時間に及んだが、水晶樹という「自然の傑作」とバイパス理論という「人工の極致」をどう融合させるか、結論は出なかった。
「……チッ。今日はここまでだ。あんたの言う回路をそのまま刻めば、この枝はただのゴミに変わる。俺も、削りの工程をもう一度見直す必要がある」
ジルゼが不機嫌そうに髪を掻き回し、設計図の写しをひったくるように受け取った。
「うむ。私も、君の指摘した内圧の問題を解決すべく、術式の配置を再計算しよう。エバー君、今日は一旦持ち帰りだ。各自、最善の解を持ち寄って再集結するとしようじゃないか」
熱を帯びた工房。
各々が宿題を抱え、僕たちは後ろ髪を引かれる思いで技術交流館を後にした。
ジルゼの工房に通い詰めてから一週間が経った。けれど、試作機の開発は完全に足踏み状態だった。
ヴィクター先輩の魔素変換回路は図面上では完成している。
ジルゼも、その複雑な術式を水晶樹に刻むことは可能だと言った。だが、最大の問題は「負荷の耐久性能」だった。
演算速度を上げれば水晶樹の内圧が臨界を超えて弾け、圧力を逃がせば変換効率が落ちてバイパスが成立しない。
「ぐぬぬ……。この接続点の魔素密度、どうあがいても理論上の限界値を超えてしまうな」
「……俺の削りでも、これ以上肉厚を薄くはできない。強度が保てないぞ」
ヴィクター先輩とジルゼが、並んで図面を睨みつけながら唸っている。僕も手帳に何百通りのシミュレーションを書き連ねたけれど、どうしても袋小路から抜け出せない。
重苦しい沈黙が工房を支配した。
その時、後ろで退屈そうに水晶の削りカスを弄んでいたエルが、ふと顔を上げた。
「なぁ……これ、なんで一個なんだ?」
「「「…………????」」」
僕と先輩、そしてジルゼの三人が、同時にエルを振り返った。
「なんだよ、みんなして。……俺、難しいことは分かんねぇけどさ。これ一個で全部をどうにかしなくちゃなんないのか?」
「一個で……」
「なきゃ……」
僕とジルゼが呆然と口にする。それを受け、ヴィクター先輩のレンズの奥の瞳が、一瞬でカッと見開かれた。
「……ダメ……な訳がない!!」
先輩が叫び、勢いよく立ち上がった。その拍子に椅子が倒れたけれど、誰も気にしなかった。
「そうだ! そうだよ! 一本の水晶樹で全ての負荷を受け止めるのが無理なら、分散させればいい! 二本、三本と並列に繋いで、魔素の流量を小分けにして処理するんだ! なぜこんな単純なことに気づかなかったんだ!!」
「……なるほど。一個に極限の負荷をかけるから壊れる。なら、一個ずつの負担を減らして、数で補うってわけか。それなら、俺の今の削りの技術でも十分に耐えられる!」
ジルゼも興奮を隠せず、机を叩いた。
たった一個の心臓部。そんな固定観念に縛られていた僕たちの前に、パッと視界が開けたような感覚だった。
「エル、君は天才か!?」
「いや、俺はただ一個じゃ足りねぇなら増やせばいいと思っただけで……」
「それが一番の正解だったんだよ!」
僕は震える手で手帳のページを捲り、新しい「多核型変換器」の構想を書き込み始めた。
「……で、結局何個必要なんだ?」
エルの放った「数を増やせばいい」という至極真っ当な解決策に対し、ジルゼが改めて図面を睨みながら問いかけた。しかし、僕とヴィクター先輩は顔を見合わせ、同時につぶやいた。
「「……分からない」」
「分からない、だと?」
ジルゼが不機嫌そうに眉を寄せる。
「ああ、分からないんだ。一本にかかる魔素の負荷を、複数本でどう『等分』するか、その減衰率の計算式がこの世に存在しない。一本増やすごとに干渉波が複雑に絡み合う。……これは、完全な未知の領域だ」
ヴィクター先輩が、震える手で真っ白な計算用紙を握りしめた。
「ジルゼ君、君が一本削り上げるのにどれほどの時間を要するかは分からないが、実地で実験を繰り返すとなれば、学生の予算や一学士の領分の域を完全に超えてくる」
僕たちは沈黙した。アッサママで命がけで手に入れた水晶樹の枝は一本。これを闇雲に切り刻んで試作を繰り返すには、あまりにリスクが高すぎる。それに、ここから先は学園の工房レベルの設備では、計測すら追いつかないだろう。
「……これ以上の進展には、国を動かす必要がある」
僕は決意を固め、二人の目を見てはっきりと言った。
「先輩、ジルゼ。……この理論を、正式な研究論文としてまとめましょう。ただの学生の遊びじゃない。この『多核型変換器』が王国の、特に辺境の未来を救う可能性があることを証明して、公の協力を仰ぐんだ。王立学園の名において、王宮や騎士団の予算と設備、そして何より『追加の素材確保』のための公的な支援を取り付ける。そうしないと、これ以上の壁は越えられない」
「論文……発表か。王立学園の現役学生が『環境制御の再編』を提唱するのか。……素晴らしい、変態的なまでの挑戦だね、エバー君!」
ヴィクター先輩の瞳に、再び挑戦者としての火が灯った。
「……フン、勝手にしろ。俺は最高の『器』を削り出すだけだ。あんたたちがそのための舞台を整えてくるってんなら、とことん付き合ってやるよ」
ジルゼもぶっきらぼうに言いながら、削りかけの水晶を愛おしそうに手の中で転がした。
「よし。……当然エルも悪いけど論文の執筆に付き合ってもらうよ」
論文なら自分の管轄外だと言う顔をしていたエルに僕はそう言った。
「俺?」
エルは鳩が豆鉄砲食らった様な顔で驚いてる。
「僕達だけだとまた袋小路に嵌る可能性がある。エルの直感と第三者からの視点が必要なんだ」




