第41話 水晶樹という素材
王都への転移陣が復旧するまで、さらに二日を要した。
破壊されてからわずか五日での復旧。
普段は「お役所仕事」なんて揶揄されることもある王都の魔導具師たちだが、今回ばかりは不眠不休で回路を繋ぎ直したのだろう。その凄まじい苦労と執念が、再起動した陣の眩い輝きから伝わってくるようだった。
素材採取のためにアッサママへ飛び出してから、結局、僕たちが学園に戻ってきたのは十日目のことだった。
学園の門をくぐり、いつもの造形学科の教室へ向かうと、そこには今か今かと待ち構えていたヴィクター先輩の姿があった。
「ああ、無事だったか! 二人とも、素材は……いや、まずは無事で何よりだ」
先輩は僕たちの顔を見て安堵の溜息をつくと、すぐに声を潜めて窓の外を指差した。
「二人がいない間に、王都の警備体制が格段に上がったよ。街のあちこちに検問所が設けられ、騎士団の巡回も倍増している。……表向きは『国境封鎖を前にした不法入国者の取り締まり』となっているが、どうもそれだけじゃない緊張感が漂っているんだ」
先輩はまだ、僕たちがアッサママでレオ様を救出したことは知らない。ルヴィア様からも「公にはしない」と口止めされている。王太子の息子が攫われかけたなんて事実が広まれば、それこそ国中がパニックになるからだ。
「……検問所、そんなに多いんですか?」
「ああ。魔導回路のハッキング対策まで一新されているよ。キノババの閉鎖期限が迫っているせいか、王都全体がピリピリしている。……まぁ、なんだ。それより持ち帰った『お宝』は見せてもらえるのかい?」
先輩の期待に満ちた目がキラキラしている。僕はエルと顔を見合わせ、そっと空間収納を起動した。
「ええ。ホント大変だったんですよ、……これです」
僕が取り出した『水晶樹の枝』が、薄暗い教室の中で淡い光を放つ。それを見た瞬間、先輩は狂喜乱舞した。
「す、す、水晶樹の実物ッ!? 本物か! 本当に本物なんだな!! 素晴らしい、この多面体構造の結晶密度! 外部からの魔素を屈折させ、内側で増幅・定着させるこの天然の共鳴回路……ッ!」
ヴィクター先輩は狂喜乱舞し、触れるか触れないかの距離で枝を凝視した。一度も実物を見たことがないはずなのに、その知識量は異常だった。
「これだよエバー君! 文献によれば、水晶樹は高濃度魔素を吸い上げる際、不要な不純物を結晶構造で濾過し、純粋な魔力へと変換する性質がある! つまり、これ自体が天然の変圧器であり、バイパス理論における『最強の器』としての条件を……ぐ、あ、あ、カハッ……!」
一気に、しかも凄まじい熱量で捲し立てたせいで、先輩は顔を真っ赤にして胸を押さえ、酸素不足で膝をついた。
「おい、死ぬぞ先輩! 落ち着け!」
「ひぃ、ひぃ……す、すまない……。だが、これだけの高純度素材を目の前にして、落ち着いていられる魔導具師がいるはずもないだろう……ッ!」
床で喘ぎながらも、その瞳は獲物を狙う肉食獣のように、水晶の枝から片時も離れなかった。
「先輩、実はこの水晶樹、一つ大きな問題があるんです」
僕の言葉に、ヴィクター先輩はまだ荒い息を整えながらも、不思議そうに首を傾げました。
「問題? 素晴らしい純度じゃないか、何が不満なんだね?」
「めちゃくちゃ硬いんですよ、これ」
横からエルが、自分の大剣の刃こぼれを思い出すような顔で補足すると、先輩は「ぬッ……」と声を詰まらせた。
「これ、アッサママでは魔術師の杖になるって聞いてきたんですけど、先輩、加工の仕方って分かります?」
僕の問いかけに、先輩は腕を組み、うなり声を上げる。
「むぅ……確かに私も水晶樹は資料で知ってはいる。だが加工となると話は別だ。これほど硬質で、かつ繊細な魔導回路を内包した素材を扱えるのは、おそらく王宮魔導具師のなかでも一握りだろう。さすがに『実験』と称してぶっつけ本番で挑むには、この素材は貴重過ぎるな」
「そうですね……僕も、あの虫地獄へは当分行きたくないです」
僕が心底嫌そうに肩をすくめると、エルが呆れたように僕たちを見ました。
「じゃあどうすんだ? せっかく命懸けで持ってきたのに、ただの飾りか?」
「……学園のツテを使って、王宮魔導具師の誰かを紹介してもらうしかないか。だが、彼らは今、厳戒態勢の王都で忙殺されているはずだ。一学生の個人的な研究に付き合ってくれるかどうか……」
ヴィクター先輩が沈痛な面持ちで考え込んでしまった。沈黙が流れる中、僕はふと思いついたことがあって声を漏らしました。
「うーん、あ……」
「何か思いついたのか、エバー?」
「うーん、アッサママ辺境伯に尋ねたらどうかなって、一瞬思ったんだけど。でも、流石に一学生が辺境伯にそんな私的なお願いをするなんて、無理だろうな~……あはは……」
僕は自分の考えがあまりに飛躍しすぎていることに気づいて、力なく笑って誤魔化した。
でも、昨日までのあの怒涛の展開を思えば、あながちゼロではないかもしれない——なんて、期待しすぎだよね。
「とりあえず、手紙だけでも書いて送ってみれば?」
エルのあまりに軽い提案に、僕は目を丸くした。
「……エルって、時々そういうところが本当に豪胆だよね。相手は、あの南の最果てを統べる辺境伯だよ?」
「うむ。だがエバー君、エルの言う通り、可能性がある場所には片っ端から協力の手紙を送ってみるのも一つの手だ」
ヴィクター先輩までもが、顎に手を当てて真剣に頷き始めた。
「そうそう。『火山のことは火竜に訊け』って言うだろ? 水晶樹の扱いは、それがある土地の連中に訊くのが一番手っ取り早いはずだ」
エルのもっともらしい――それでいて辺境育ちらしい――例え話に、僕は思わず苦笑してしまった。確かに、自分たちだけで悩んで時間を溶かすよりは、当たって砕けろで動いた方が「僕たちらしい」のかもしれない。
「分かったよ。アッサママ辺境伯……まぁ一度はお会いしているし、ダメ元で書いてみるよ。……『水晶樹の加工が得意な魔導具師を知りませんか?』ってね」
僕は空間収納から便箋を出し、丁寧に、けれど僕たちの切実な熱意が伝わるようにペンを走らせ始めた。
数日後、学園の事務局を通じて僕のもとに一通の手紙が届いた。
重厚な封蝋には、南辺境伯家の紋章が刻印されている。まさか本当に返信が来るとは思わなかったヴィクター先輩が、横で「本物か!? 本物の辺境伯の私信か!?」と、自分のことのように騒いでいる。
「……どれどれ」
僕は緊張で指先を震わせながら、封を切った。
『エバー・メイル殿、エル殿
先日は息災で戻られたとのこと、何よりである。
さて、貴殿らからの問いにあった「水晶樹の加工」についてだが。確かにあの素材は、並の技術では傷一つ付けることは叶わぬ。
幸いなことに、我がアッサママには、代々水晶樹を専門に扱う「彫晶師」の一族が仕えている。彼らの技術は、魔力を帯びた水流と特殊な研磨剤を用いて、水晶の「理」に沿って形を整える独特なものだ。
貴殿らの熱意と、我が領への貢献に免じ、一族の中でも特に腕の立つ若手を一人、紹介しよう。折りよく、彼は研究のために現在、王都の「南領技術交流館」に滞在している。
名はジルゼ。少々気難しい男だが、腕は確かだ。この書状を携えて訪ねるが良い。
貴殿らの研鑽が、王国の未来を照らす灯火となることを期待している。
アッサママ辺境伯 より』
「……やった。道が開けたよ!」
僕は手紙を高く掲げた。
エルの「とりあえず送ってみれば?」という豪胆な一言が、本当に王都の分厚い壁をぶち抜いてしまったんだ。
「彫晶師ジルゼ……。王都にいるなら、今すぐにでも会いに行けますね!」
「うむ! まさかアッサママの秘伝技術に触れられるとは……エバー君、エル君、君たちの人脈は一体どうなっているんだね!?」
ヴィクター先輩が驚愕と興奮で鼻息を荒くする中、僕とエルは顔を見合わせて小さく笑った。
アッサママ辺境伯からの紹介状を添えてアポイントメントの手紙を出すと、翌日には「南領技術交流館へ来られたし」という短い返信が届いた。
僕とエル、そして興奮で一睡もできなかったらしいヴィクター先輩の三人は、王都の隅にあるその施設を訪ねた。
案内された工房は、アッサママ特有の湿り気のある土と、何かが削れるキーンという高い音が微かに漂っている。
「……あの、辺境伯閣下のご紹介で伺った、学園のエバー・メイルですが」
僕が声をかけると、奥の作業机で小さな塊を弄んでいた人影が、ゆっくりとこちらを向いた。
彫晶師ジルゼ。
そこにいたのは、僕たちと歳の変わらない十八歳の青年だった。
ひどく猫背で、視線は常に自分の手元か足元に落ちている。ボサボサの髪の間から覗く瞳は、外界の光を拒絶するような神経質そうな光を宿していた。
「……辺境伯の、使いか」
掠れた、湿り気のある声。
ジルゼは僕たちの顔を見るわけでもなく、ただ僕の手にある紹介状を奪い取るように受け取ると、面倒そうに視線を走らせた。
「……王立学園の学生が、水晶樹を扱いたい、と? ……笑えない冗談だ。あんな気難しい素材、素人が触れば一瞬で弾け飛んで……あんたたちの命ごと、塵になるぞ」
歓迎とは程遠い、冷たい拒絶の言葉。
だが、その指先は無意識に、机の上に置かれた削りかけの水晶を慈しむように撫でていた。
「……だが辺境伯様の紹介だ。一度は話しを聞いてやる。水晶樹を出してみろ」
ジルゼは相変わらず俯いたまま、骨張った手を僕の方へと差し出してきた。




