第37話 再びのアッサママ
転移陣の眩い光が収まると、そこは王都の清涼な空気とは一変した、肺にまとわりつくような濃密な熱気と湿気に満ちていた。南辺境伯領、アッサママ。初めての実地研修がここだった。あれからもう1年だ。
「着いた! さあエル、すぐにギルドで素材の情報を集めて……」
前のめりに足を踏み出そうとした僕の襟首を、背後から大きな手がガシッと掴んだ。
「今日はもう動かん。早々に宿を取って休むぞ」
「……えっ? なんで!? 早く行かなきゃ、ヴィクター先輩も待ってるんだよ!?」
驚いて振り返る僕を、エルはいつになく険しい、鋭い目で見下ろした。
「いい加減にしろ。自分の顔を鏡で見てから言え。徹夜明けで、頭だけで走ってる状態じゃねぇか」
「でも、時間は限られてるし……」
「辺境を舐めんな。ちゃんと体調整えて、魔力の巡りを落ち着かせねぇと、足元の毒虫一匹に気づかず死ぬぞ。……エバー、辺境をそんな浮かれ気分で歩くと、本当にお前、死ぬぞ」
エルの声は低く、そして重かった。
さっきまでの知的好奇心に突き動かされた高揚感が、その一言でスッと冷めていく。そうだ、ここは王都じゃない。一歩街の外へ出れば、そこは魔素が吹き荒れる「最前線」なんだ。
「……ごめん。僕、ちょっと……いや、かなり舞い上がってた」
「分かればいい。お前は魔導具関係になると浮かれポンチになって、生存本能ガキ以下に成り下がるからな。ほら、行くぞ。まずはしっかり食って、泥みたいに眠るんだ」
エルに背中を叩かれ、僕は大人しくその後に続いた。
夕暮れのアッサママの街並みは、どこか幻想的で、同時に深い森の奥からこちらを窺うような、独特の威圧感を放っていた。
翌朝、というより太陽が天高く昇った昼近く。僕は窓から差し込む柔らかい目を覚ました。
昨夜の泥のような眠りが、昂ぶりすぎていた脳をすっかり凪いでくれたようだ。一階の食堂へ降りると、既にひと仕事を終えたような顔のエルが、南国特有の彩り豊かなフルーツを齧っていた。
「……面目ない。エルの言う通りだったよ。先走って、完全にイカレポンチになってた」
席に着くなり僕が深々と頭を下げると、エルは「おう」と短く応えて、器用に果物の皮を剥いた。
「気にすんな。暴走を止めんのも相棒の仕事だろ。……まぁ、あのまま森に入ってたら、今頃お前はどっかの植物の肥料になってたところだぜ」
「テヘヘ……」
僕は照れ笑いを浮かべながら、エルの差し出した冷たい果実を口に運んだ。甘酸っぱい果汁が全身に染み渡り、五感が研ぎ澄まされていく。よし、完全にいつもの「僕」だ。
気分を新たにした僕たちは、アッサママの街の中心にある冒険者ギルドへと足を運んだ。王都のそれとは違い、建物全体が巨大な樹木と一体化したような、生命力溢れる佇まいだ。
「いらっしゃい。……おや、王立学園の学生さんかな? 素材採取の依頼かなにかだい?」
窓口のギルド職員は、僕たちの制服を見て気さくに声をかけてくれた。僕は身を乗り出して、ヴィクター先輩と練り上げた条件を伝える。
「はい! 『常時、極めて高い濃度の魔素に晒され続けても変質しない耐性』を持っていて、かつ『精密な魔導回路を刻むことができそうな特性』を備えた素材を探しているんです。この領内で心当たりはありませんか?」
僕の言葉に、職員は顎に手を当てて「ふーむ」と唸った。
「高濃度魔素への耐性と、回路への適性……。専門的なことは分からないが、そうだな。採取の難易度は跳ね上がるが、『水晶樹』と呼ばれるものなら、君たちの希望に叶うかもしれない」
水晶樹。その名前を聞いた瞬間、僕の魔導具師としての直感がピクリと反応した。
「水晶樹、ですか……」
ギルド職員は手慣れた手つきでカウンターに古い地図を広げ、アッサママの領都からさらに南東――アルバス山脈の麓近くを指し示した。
「そこにはね、まるで水晶で組み上げられたような巨木の森が広がっているんだ。見た目は鉱物のようだが、土から水を吸い上げ、光り輝く水晶の葉を繁らせるれっきとした『樹木』だよ。とにかく硬くてね、並の斧じゃ刃がこぼれるだけだ」
職員の話によれば、水晶樹はこの近辺では最高級の魔導素材として知られているらしい。
「魔術師の杖の素材としては最高峰だ。魔力伝導率が極めて高い上に、自然界の魔素を取り込んで増幅する機能まである。人気はあるが、何せ生息場所がアルバス山脈の麓……つまり、魔素の衝突が一番激しい『最前線』だからね。採取に向かうには、それなりの覚悟が必要だ」
「魔力伝導と、増幅……。まさに僕たちが探していた素材そのものじゃないか!」
僕は地図に釘付けになった。山脈からの跳ね返りが直撃する場所で、崩壊せずに巨木へと育つ。その事実は、この木が途方もない「耐性」と「適応力」を持っている何よりの証拠だ。
「……なるほどな。高濃度魔素を燃料にするなら、それを受け止める器もそいつに慣れてるヤツがいい。理にかなってるぜ」
エルが不敵に笑い、腰の剣の感触を確かめるように拳を握った。
「よし、目的地は決まった。その『水晶の森』へ向かおう!」
僕は職員に礼を言うと、目的地をしっかりと手帳に書き込んだ。




