第31話 この国のカタチ
翌朝、僕たちは案内役の事務官さんに連れられて、領地の心臓部とも言える「魔導灌漑管理塔」を訪れた。
見上げるような石造りの塔の周囲には、幾筋もの水路が血管のように張り巡らされている。その水路に沿って、等間隔に配置された魔導クリスタルが淡い青光を放ち、広大な畑へと規則正しく水を送り出していた。
「――よし、流速安定! 第四区画の土壌湿度、規定値クリア。完璧ね!」
塔の基部にある巨大な制御盤の前で、快活な声が響いた。
そこにいたのは、燃えるような赤毛をポニーテールにまとめ、顔に可愛らしいそばかすを散らした、僕たちと年齢の変わらない女性だった。
「あ、学園の研修組? いらっしゃい! 私はフレア・フェルメール。ここ、フェルメールの灌漑システムエンジニアをやってるの」
フェルメール。
つまり彼女は公爵家の方――つまり、この領地の令嬢だ。それなのに、動きやすそうな作業服の袖を捲り、手にはグリスと魔力インクが混じったような汚れがついている。
「令嬢がエンジニア……?」
僕が驚いて呟くと、フレアさんは白い歯を見せて笑った。
「変かしら? でも、この複雑な魔導回路を組み合わせて、領地中の植物に命の水を届けるの。最高にエキサイティングな仕事よ、まさに天職ね! あ、でもお母様には、いつもため息をつかれてるんだけどねぇ」
フレアさんは制御盤のレバーを器用に操作しながら、苦笑いを浮かべた。
「『フレア、そんな魔導具の油にまみれてないで、早く夫となる人を見つけなさい』って、会うたびに言われちゃうのよね。お見合いの話も山積み。でも、私に言わせれば、気難しい貴族の相手をするより、素直に反応してくれる回路設計をいじってる方が、よっぽど有意義だわ!」
その言葉に、僕は親近感を覚えざるを得なかった。隣を見ると、魔導具オタク仲間のヴィクター先輩がここにいないのを、エバーとして心の底から惜しいと思った。
「……気持ち、すごく分かります。僕も魔導具を作るのが好きなので」
「あら、君、話せるじゃない! この並列接続されたマナ・レギュレーターの美しさ、分かる?」
フレアさんが嬉しそうに身を乗り出してくる。
それを見ていたエルが、「うわ、ヴィクター先輩
と同じ匂いの奴が出てきた……」と言いたげに頬を掻いていたけれど、フレアさんの解説は、専門的でありながら土地への愛に溢れていた。
王都近郊の豊かな実りは、こうした「技術を愛する人」の熱意と、緻密に組まれた魔導システムによって支えられているんだと感じた。
「これ、仕組みはすごくシンプルなのよ」
フレアさんはそう言って、塔の中心に設置された巨大な円筒状の装置を叩いた。中では、王都グランヴェルの中心部から引かれた「高濃度魔素」が、溜池のように深く、静かな青い光を湛えている。
「ここが心臓部。王都から流れてくる純度の高い霊脈をこの塔に一度引き込んで、ここで農業に最適な濃度まで調整するの。濃すぎると植物が魔物化しちゃうし、薄いとただの水だもんね。調整が終わった魔素は、この塔を中心に円環状に広がった水路を伝って、領内をぐるぐると循環していくってわけ」
彼女の説明は明快だった。王都の圧倒的な魔素の恩恵を、技術で「飼い慣らして」再分配する。辺境の死に物狂いな開拓とは対極にある、完成された円環のシステムだ。
「……なるほど。高濃度の魔素をそのまま使わず、一度ここで『薄める』ことで安全と効率を両立させているんですね。この制御盤の裏側、どうやって調整してるんですか?」
僕が身を乗り出して覗き込もうとすると、フレアさんは悪戯っぽく人差し指を口に当てた。
「あ、そこから先は『ブラックボックス』。魔導回路の詳細は極秘事項なの。お母様からも、これだけは口を滑らせちゃダメって厳しく言われてるんだから」
「……極秘、ですか」
確かに、これだけの広大な農地を支えるシステムの要だ。他国やテロリストに狙われないためにも、術式の詳細は秘匿されているんだろう。
「ま、中身が見えなくても、結果は畑を見れば一目瞭然でしょ? この循環システムのおかげで、フェルメール領の作物は一年中、王国の食卓を支え続けられるのよ」
フレアさんは誇らしげに胸を張った。
僕の故郷のジジーアスやキョウオジンでは、魔素は「抗うべき荒波」だった。けれどここでは、それは「制御された血流」として大地を巡っている。
「……エバー。俺、中身は分かんねぇけど、この水の流れを見てるとキョウオジンの荒ぶるマグマが嘘みたいに思えるぜ。王都の近くってのは、本当に『理』が通ってんだな」
エルの言葉に、僕も頷いた。
ブラックボックスの中にある、建国の「楔」から続く高度な術式。それを守り、運用するフレアさんのようなエンジニア。
この豊かな風景は、僕たちが想像もできないほど緻密な計算と、徹底した秘匿技術の上に成り立っている。僕は手帳の余白に、彼女から聞いた「循環」のイメージ図を書き添えた。
「……なるほど。王都の恩恵をこうやって丁寧に配っているんですね」
感心しながらも、僕はふとした疑問を口にした。
「でも、不思議です。僕の故郷のジジーアスなんですが……どうして辺境には、この灌漑システムの様なものが無いんでしょうか? あそこも一応、王国の一部ですよね」
もし北の果てにこれがあれば、作物が凍りつくことも、土を耕すのに魔法で氷を砕く必要もないはずだ。ところが、フレアさんは不思議そうに首を傾げた。
「? あるわよ?」
「……えっ、あるんですか!?」
思わず大きな声が出てしまった。隣でぼんやりしていたエルも「はあ!?」と目を見開いている。
「あるわよ。同じような管理塔がジジーアスにも、キョウオジンにだって。建国の時、霊脈を安定させるために、十人の英傑たちが各地に打ち込んだ『楔』……それがこのシステムの原型なんだから」
フレアさんは当たり前のように言って、遠くの地平線を見渡した。
「ただ、王都に近いここは霊脈は流れて行くだけだから『循環』させて利用できるけど、辺境は中央から流れてくる高濃度魔素を本来はアルバス連峰山脈に流すんだけど、山脈からフィードバックされてぶつかり合ってしまっているの。辺境にシステムが無ければ、山脈から押し寄せる強烈な魔素を防げなくて、大地が崩壊するわ。システムはちゃんと『防壁』としても機能してるわ。辛うじて人が住めてはいるでしょう?」
……あって、あの環境なのか?
僕は背筋に冷たいものが走るのを感じた。
あの、呼吸をするだけで肺が凍りそうなジジーアスの寒波も、魔獣がデタラメに強いあの過酷な環境も。あれでもなお、システムが「防壁」として機能し、魔素をせき止めた結果だというのか。
「……じゃあ、もしジジーアスやキョウオジンの塔が止まったら、どうなるんですか?」
「考えたくもないわね。たぶん、一瞬で人が住めない死の土地に戻るわ。……だからこそ、辺境伯家の人たちは命がけでそこを守っているのよ」
フレアさんは少しだけ真剣な顔をして僕たちを見たけれど、すぐにまた明るい笑顔に戻った。
「さぁ、研修会の時間は限りがあるわ、次のセクションに行くわよ!」
スタスタと歩き出す彼女の背中を追いかけながら、僕は隣のエルと顔を見合わせた。エルの顔も、さっきまでの能天気さは消え、故郷の過酷な風景を思い出しているようだった。
「あ、……そうか。だから、あんなに食糧が届いてたんだ」
僕の呟きに、フレアさんは深く頷いた。
「そうよ。フェルメール領をはじめとする内地の領地は、無償で辺境に食糧や物資を援助しているわ。だって、あなたたちの故郷が『壁』として踏ん張ってくれているから、私たちはここで安心して種を蒔けるんですもの。場所は違っても、みんなでこのグランド王国という一つの土地を守っているのよ」
彼女の言葉で、点と線が繋がった。
ジジーアスに定期的に届く、王都直送の質の良い小麦。キョウオジンの過酷な現場を支える、王都からの大量の冷却符。
それらは「商売」ではなく、この国を維持するための、文字通りの生命線だったんだ。
「……だから、あの時もあんなに早かったのか」
エルが思い出したように言った。去年の秋、東のキノババでテロが起きた際、王都の騎士団は驚くべき速さで救援に駆けつけた。
「そう。キノババが抜かれたら、大陸からの脅威だけじゃなくて、霊脈の防壁まで崩壊して王国全体が死に体になる。だから中央は、辺境の危機には全力で、迅速に動くの。それがこの国の、目に見えない一番大事なルールなんだから」
フレアさんはそう言って、眩しそうに広大な農地を見渡した。
「私たちはここで美味しいものを作って送る。あなたたちは向こうで、この国が壊れないように守る。……持ちつ持たず、でしょ?」
「……持ちつ持たず、か」
僕は、ジジーアスで食糧配給の荷解きをしていた兵士たちの顔を思い出した。
彼らは知っていたのかもしれない。自分たちが受け取っているのは、内地の誰かが自分たちのために精一杯育てた「応援」なのだと。
「よし、エバー! 俺、この研修でもっと気合入れるわ。自分たちが何に支えられてるか分かったら、適当には出来ねぇよな!」
エルが力強く拳を突き出した。
僕も、胸の奥が熱くなるのを感じた。
「……そうだね。お互いに命を預け合っているんだもんね」
僕の言葉に、フレアさんは「その通りよ」と満足げに頷き、僕たちが着ている制服を指差した。
「だからこそ、あなたたちがそこにいるんでしょ? グランド王立学園は、ただの『お勉強』の場所じゃない。国中の優秀な子供たちを集めて、将来この国の血の巡り――つまり中枢を担う人間を育てるための場所なんだから」
彼女の言葉が、すとんと胸に落ちた。
どうして学園が、これほどまでに座学より「実地研修」を重視しているのか。その本当の理由がようやく分かった気がした。
「王都の学生は辺境がどれほど過酷な『壁』であるかを知り、辺境の学生は中央がどれほど懸命に『糧』を送り出しているかを知る。自分の領地だけしか知らない人間には、この国の舵取りは任せられないわ」
「……だから、わざわざ僕たちをここに連れてきたんですね」
「ええ。あなたたちは将来、それぞれの故郷へ帰るのでしょう? なら、そこで兵士たちに食べさせる麦が、どんな思いで育てられ、どんなルートで運ばれてくるのか……それを知っているのと知らないのとじゃ、守る時の覚悟が違うはずよ」
フレアさんはそう言って、僕とエルを交互に見た。その瞳には、一人の技術者としての誇りと、この国を愛する者としての確かな意志が宿っていた。
「へへっ、まいったな。ただの旅行気分だったのが、急に背筋が伸びちまったぜ」
エルが照れくさそうに首の後ろを掻きながら笑う。
僕も同じ気持ちだった。手帳に書き留めてきた情報の重みが、一気に変わった。
この学園での学びは、全てが「グランド王国」という巨大な生命体を維持するための、実践的な訓練なのだ。
「フレアさん、続きを教えてください。僕たちが将来、ジジーアスの壁の上で『この麦はあそこで作られたんだ』って胸を張って言えるように」
「いい返事ね! さあ、次は流通の要、魔導保冷コンテナの心臓部を見せるわよ。ヴィクターに自慢できるようなネタを仕込んであげるわ!」
軽やかに笑って歩き出すフレアさんの背中を、僕たちはさっきよりもずっと力強い足取りで追いかけた。




