第29話 先輩達の進路とグランド王国史
ミレイユ先輩の決闘から数日。
学園の廊下ですれ違う先輩は、まだ「あわわ」と言うことはあっても、以前のように肩を縮めて怯えるような仕草はすっかりなくなっていた。
やっぱり、自分の力で理不尽を跳ね除けた経験は、何よりの自信になるようだ。
二年生からは、各学期末の試験3回に集約される代わりに、膨大な量のレポート提出が課される。
というわけで、僕たちはいつもの図書室に集まっていた。
メンバーは僕とエル、そして共同開発仲間のヴィクター先輩と、エルの「弟子」になったミレイユ先輩だ。
「……ふぅ。魔導回路の熱伝導率のレポート、やっと半分です」
「俺なんて、まだタイトルしか書いてねぇぞ。ミレイユ先輩、ここの身体操作の数式、もう一回教えてくれ……」
ペンを置いた僕の隣で、エルが頭を抱えている。
ミレイユ先輩は「はい、ここはですね……」と、以前よりずっと落ち着いた雰囲気でエルの机へ歩み寄っていった。
そんな中、ふとした拍子に話題は先輩たちの「卒業後の進路」になった。
「ヴィクター先輩は、やっぱり卒業したら研究職ですか?」
僕が尋ねると、先輩は分厚い眼鏡を光らせて頷いた。
「ああ。私は宮廷魔導具師の採用試験を受けるつもりだよ。王宮の地下にある巨大な魔導炉、あれを一度この目で解析してみたいんだ」
「……変態的……いえ、先輩らしい目標ですね」
さすがは魔導具オタク。最高峰の現場を目指すのは納得だ。
「ミレイユ先輩はどうされるんですか?」
エルが顔を上げると、先輩は少し照れくさそうに、でも真っ直ぐな瞳で答えた。
「私……王都騎士団の採用試験を受けようと思っているんです。戦術学科で学んだ論理と、エルさんに教えてもらった実戦の力を、誰かを守るために使いたいなって」
あの弱気だった先輩が、王都の治安を守る最前線を目指すなんて。
そんな二人を見ていたら、ヴィクター先輩がふと真面目な顔で僕たちを見た。
「エバー君、エル君。……君たちも二年生だ。今のうちに言っておくけれど、卒業して所属が決まってしまったら、そう簡単には他領へなんて行けなくなるよ」
「えっ、そうなんですか?」
「手続きが面倒になるからね。……だから、学園にいる間に、なるべくあちこちへ行って、自分の目で国内を見ておいた方がいい。実地研修だけじゃなくて、休暇を利用してでもね」
ミレイユ先輩も深く頷く。
「そうですよ。自分の足で稼いだ経験は、将来どんな部署に行っても、あなたたちの武器になりますから」
先輩たちのアドバイスを聞きながら、僕とエルは顔を見合わせた。
卒業したら、僕たちはルヴィア様と一緒にジジーアスへ行くことが決まっている。そうなれば、王都はおろか、キョウオジンやキノババへ行く機会だって、今よりずっと減るはずだ。
「……エル、僕たち、まだ見てない場所、たくさんあるね」
「ああ。……よっしゃ、次の長期休暇は、先輩たちの言葉通り、もっと遠くまで足を伸ばしてみるか!」
卒業後の自分たちの姿を少しだけ想像して、僕はまたレポートにペンを走らせた。
先輩たちの背中を追えるのも、あと一年。
僕たちが「学生」として自由に動ける時間を、一秒も無駄にはできないと感じた。
レポートの山と格闘しているうちに、話は僕たちの「次の目的地」についての相談に発展した。まだ二年生の一学期だけど、先輩たちの言う通り、動けるうちに動いておきたい。
「とりあえず、休みを利用してどこか行くなら、どこがおすすめですか?」
僕の問いかけに、まず口を開いたのはヴィクター先輩だった。
「そうだね……王都周辺の公爵領とかはどうかな? 中央の魔導回路のハブになっている都市も多いし、資料も豊富だよ」
「……ふぇ、ヴィクター君らしいですねぇ。二人はグランド王国の成り立ちとかは、もう授業で勉強したわよね?」
ミレイユ先輩が、首を傾げながら僕たちを見た。僕はこれまで旅してきた土地の感触を思い出しながら答える。
「はい。王都から辺境に向かうほど、大地のマナ……霊脈が不安定になる。それを各辺境伯家が楔となって抑え込んでいる、っていう構造ですよね?」
「そう! まさにそこだよ!」
ヴィクター先輩が、眼鏡の奥の目をカッと見開いて机に身を乗り出した。
「かつてこの未開の地を切り拓き、荒れ狂う霊脈を鎮めてグランド王国を建国した、伝説の十人の英傑たち! 彼らが各地に遺したとされる『楔の遺構』……これこそ、魔導具師なら一度は拝んでおくべきオーバーテクノロジーの塊なんだ!」
「……十人の英傑ねぇ。それって、子供が寝る前に聞かされるおとぎ話なんじゃないんですか?」
エルが飽きたようにペンを回しながら鼻で笑った。キョウオジンの野生児にとって、古い歴史の話はあまり現実味が湧かないらしい。
「おとぎ話なんかじゃありませんよぉ。実際、辺境伯領の成り立ちには彼らの功績が深く関わっていますし、王都の地下にある魔導炉だって、その一部だと言われているんですから」
ミレイユ先輩が一生懸命に補足してくれる。
かつての英傑たちが、どうやってこの国を作ったのか。
ジジーアスやキノババ、キョウオジンで僕たちが見てきた「強すぎる力」の源流が、そこにあるのかもしれない。
「……十人の英傑、か」
僕が手帳の白紙のページを見つめていると、ヴィクター先輩が不敵に笑った。
「もし興味があるなら、その『始まりの場所』を調べてみるといい」
「……剣士に魔法使い、それに料理人や医者、鍛冶師……。各分野のプロが集まった開拓団か」
僕は手元の古い資料を捲りながら、その序文に書かれた「十人の開拓冒険者」の記述に見入っていた。
「へぇ、料理人に鍛冶師か……。ただ強いだけじゃ、こんな厳しい土地で国なんて作れねぇってことだな。理に適ってやがる」
エルが珍しく感心したように頷く。ジジーアスでの過酷な野営や、キョウオジンの灼熱の中での自炊を経験してきた僕たちには、その重要性が痛いほど分かる。
「そうなんですぅ。この八千メートル級の絶壁を越えてきた彼らが、暴走していた魔素を『霊脈』として再編した……。その終端を守るために各地に赴いたのが、今の辺境伯家のご先祖様たちなんですよ」
ミレイユ先輩が、誇らしげに胸を張る。
「……なるほど。王都から離れるほど霊脈が不安定なのは、そこが『霊脈の末端』だからなんですね。だからジジーアスやキョウオジンの魔獣はあんなにデタラメに強いんだ」
ヴィクター先輩が、眼鏡をキラリと光らせた。
「その通り! そして、王都に残った二人が王家の始祖となったわけだが……エバー君、この序文には続きがある。実は、彼らが霊脈を制御するために打ち込んだ『楔』の技術こそが、現代の魔導具の全ての源流だという説があるんだよ」
「……楔の技術……」
僕は、かつてキノババで見た巨大な転移陣や、ジジーアスの城壁に刻まれていた古い術式を思い出した。あれが一千六百年以上前の英傑たちが遺した遺産。
「……なぁ、エバー。お前、さっきから変な顔してるぞ」
「……いや、なんでもない。ただ、僕たちが暮らしてるここが『おとぎ話の続き』なんだと思うと不思議な気がしてさ」
僕は王国史のページを閉じ、ペンを握り直した。
レポートの課題をこなす手は、この国の根源にちょっと触れたせいか微かに震えていた。




