第28話 ミレイユ先輩の決闘
二年生の授業は、一学年目の「基礎」とは打って変わって、やりたいことの解像度がどんどん上がっていく。
「ヴィクター先輩! この振動増幅回路、もう一段階小型化できませんか?」
「エバー君、それは変態的……いや、天才的な発想だ! 転移台座の空間干渉技術を流用して、登録した魔力波長のみに音声を同期させる……。これだ、これこそが歴史を変える『トークボード』だよ!」
ヴィクター先輩と僕は、工房に籠もって新魔導具の開発に没頭していた。僕がジジーアスで作ったあの非効率な転移台座をベースに、先輩の精密な回路設計を組み込む。
紙を送るのではなく、魔力に乗せて「声」を届ける。特定の相手とだけ繋がる、僕たちだけの秘密の通信機。
試作機が「ジ……」と鳴って、隣の部屋にいる先輩の声が聞こえた瞬間、僕は飛び跳ねて喜び隣りの部屋にいた先輩も戻って来るなり2人で手を取り合って歓喜した。
「次は距離と登録人数の研究だよエバー君!」
一方、エルが通う身体操作の講義の方では、不穏な影が差し込んでいた。
「……あ、あの、エルさん。その、今日は……裏口から帰ってもいいでしょうか……」
授業が終わるなり、ミレイユ先輩が震える声でエルの袖を引いた。顔色は青ざめ、視線は絶えず入り口の影を怯えるように彷徨っている。
「……あわわ、ごめんなさい。また、彼が……フェリクスさんが、来ているみたいで……」
聞けば、騎士爵家の長男だというフェリクスという男が、ミレイユ先輩に執拗に求婚しているらしい。騎士爵は一代限りの名誉職。その息子である彼は、将来は平民になる身だ。だから、男爵家の跡取りであるミレイユ先輩との結婚を「逆転のチャンス」だと思っているんだろう。
しかもその男、お断りされているのに「女に家を継がせるのは不自然だ」「僕が導いてあげないと君はダメになる」なんて、聞いているだけで吐き気がするようなモラハラを繰り返して付きまとっているのだという。
教室の重厚な扉を乱暴に開けて入ってきたのは、あの騎士爵家の長男、フェリクスだった。
放課後エルがミレイユ先輩から、筋肉の収縮率と魔力の流動グラフについて熱心に教わっていた、その最中だ。
「あ、あわわ……フェ、フェリクスさん……」
「……いい加減にしろよ、ミレイユ。君のようなひ弱な女が、難解な身体操作の講義に出たところで何の意味がある? 騎士科は遊び場じゃないんだ」
ミレイユ先輩がビクッと肩を震わせ、持っていた羽ペンを落とす。フェリクスはエルのことを汚物でも見るような目で見下すと、さらに言葉を重ねた。
「おまけに、こんな薄汚い庶民の男と教室で密会か。男爵家の跡取りとしての自覚も、僕の婚約者としての自覚も足りないようだな」
その瞬間、教室の空気がピリリと凍りついた。
僕が横で「……僕もいるんだけど」とツッコミを入れる隙もないほど、フェリクスの態度は不遜だった。
「……こ、婚約者じゃありません! 勝手なこと言わないでください!」
震える声。でも、ミレイユ先輩は机を叩いて立ち上がった。
「エル君は、あなたなんかよりずっと……ずっと素晴らしい人です! 誰よりも真剣に魔法を学ぼうとしている、私の大切なお友達なんです!」
「なっ……! 婿に入ってやろうという僕の好意を無にするのか! 平民の肩を持つとは、正気かミレイユ!」
フェリクスの怒鳴り声が教室に響く。
隣でエルが「……あ? 誰が薄汚いって?」と、今にも椅子を蹴飛ばして立ち上がりそうな殺気を放ち始めた。それを制するように、ミレイユ先輩がさらに一歩前へ踏み出す。
「エル君に……エル君に謝ってください! 今すぐ取り消さないなら……決闘です! 私はあなたを許しません!」
「……ミレイユ先輩」
エルの驚いたような声が漏れる。
あわあわと指先を震わせ、今にも泣き出しそうな顔。でも、その瞳には、自分のためではなく『友人の誇り』を守ろうとする、見たこともないほど強い意志の光が宿っている。
「……ハッ! 決闘だと? 面白い、その細腕で僕に何ができるか、大勢の前で分からせてやるよ!」
フェリクスが鼻で笑って背を向ける。
嵐のような静寂が残された教室で、ミレイユ先輩はそのまま力なく椅子に座り込み、真っ赤な顔で「ふぇぇ……言っちゃいましたぁ……」と頭を抱えた。
「……ミレイユ先輩、本当にいいんですか? 僕が影から『重力』で奴を地面に埋めてもいいんですよ?」
僕が小声で提案すると、横に立っていたエルが僕の肩を力強く叩いた。
「よせ、エバー。ミレイユ先輩は弱くねぇ。ただ、本当の戦い方……実戦経験が足りないだけだ。……先輩、準備はいいっすか。あんたの『論理』を『暴力』に変える方法、俺が叩き込んでやるよ」
「……は、はいぃ! 頑張りますぅ……!」
エルは不敵に笑うと、ミレイユ先輩を連れて演習場の中央へ向かった。
ミレイユ先輩は情けない声を上げているけれど、その瞳には、モラハラ男に踏みにじられ続けた誇りを取り戻そうとする、静かな炎が宿っていた。
特訓が始まった。
エルがわざと荒っぽい魔力の奔流を見せ、ミレイユ先輩がそれを「論理」で受け流し、最小限の力でエルの体勢を崩していく。
ミレイユ先輩は「あわわ、そこは、魔力が……こう、一点五倍の流速でぇっ!」と叫びながら、エルの懐に鋭く飛び込んだ。
「へっ、いいぜ先輩! そのタイミングだ!」
「先輩、そこだ! 筋力じゃねぇ、関節の魔力流動を狙え!」
「は、はいっ! ええと、流速を一点二倍、角度は……ええいっ!」
ミレイユ先輩はあわあわしながらも、エルの無茶苦茶な攻撃を、驚くほど精密な魔力操作でいなしていく。
エルの「野性の勘」と、ミレイユ先輩の「緻密な計算」。
最初は泥だらけになって転がっていた先輩だったけど、三日目を過ぎる頃には、エルの太い腕を最小限の力で弾き飛ばすようになっていた。
「……すごいな。エルが『論理』を理解し始めてるし、先輩は『実戦』の呼吸を掴んでる」
数日後。
エルの荒っぽい一撃を、ミレイユ先輩は最小限の動きで受け流し、逆にエルの肘の関節を軽く突いて、その巨体をぐらつかせた。
「……よし。先輩、今のっすよ! 論理で相手の力を奪う……それが『ちっちゃい先輩』の戦い方だ」
「は、はい……! なんだか、魔力の流れが、景色みたいに見えてきました……!」
泥だらけの制服のまま、先輩が小さく、でも力強く拳を握る。
一方のフェリクスは、そんな特訓も知らずに「女の悪あがきだ」と周囲に言い触らしているらしい。
「エル、準備は万端だね」
「ああ。……エバー見てろよ、ミレイユ先輩の『勝利』を」
ミレイユ先輩が、自分自身の力で自由を勝ち取る決闘の日。
その日は、もうすぐそこまで来ていた。
決闘当日。演習場の観客席は、物珍しげに集まった大勢の生徒たちで埋め尽くされていた。貴賓席にはルヴィア様の姿もあり、その隣では僕が、新学期の不穏な空気を吹き飛ばそうと拳を握っていた。
「ハハッ! ミレイユ、今ならまだ間に合うぞ。僕の足元に跪いて、将来の夫に逆らったことを謝るなら、大勢の前で恥をかかせずに済ませてあげよう」
中央に立つフェリクスは、騎士爵家伝来だという装飾過多な剣を抜き放ち、最低な笑みを浮かべていた。
「君のような女は、家名と僕の愛に守られていればいいんだ。勉強なんてして、こんな野蛮な真似をするなんて……本当に、僕がいないと君はダメになるな!」
その言葉に、観客席の女子生徒たちから「最低……」という呟きが漏れる。
対するミレイユ先輩は、足先を震わせながらも、エルの特訓で泥だらけになった修練着を纏い、真っ直ぐに前を見据えていた。
「あ、あわわ……そ、そんな愛……いりません! わ、私は、私の力で、あなたを……拒絶しますぅ!」
「……不遜な! 思い知らせてやる!」
逆上したフェリクスが、魔力任せに突進してきた。騎士爵家特有の力押しの剣技。でも、今のミレイユ先輩には、その魔力の流れが「遅すぎる景色」に見えているはずだ。
「行けッ、ミレイユ先輩! 奴の勢いを全部吸い取れ!」
隣でエルが、観客席の柵を壊さんばかりに身を乗り出して叫んだ。
「そこだ! 今だ! ぶっ飛ばせぇぇッ!!」
「ひゃいっ!」
ミレイユ先輩が、突っ込んでくるフェリクスの腕を、吸い付くような柔らかな動きで掴んだ。次の瞬間、一点五倍の流速で計算された魔力が先輩の指先からフェリクスの重心を突き上げる。
ドッシャアァァァン!!
「なっ……がはぁっ!?」
フェリクスは自分の勢いのまま空中で一回転し、無様に地面に叩きつけられた。
「あ、あれ……? うまく、投げられましたぁ!」
「ミレイユ、このっ……! まぐれ当たりがぁ!」
顔を真っ赤にして立ち上がるフェリクス。でも、そこからはもう、ミレイユ先輩の独壇場だった。
フェリクスが斬りかかれば、先輩はあわあわと避けながらその腕を取り、円を描くようにして彼を宙へ舞わせる。
ドスン! バキッ! ドッシャアァァン!!
「あわわ、ごめんなさい! でも、流速の計算が、合っちゃいましたぁ!」
何度も、何度も、地面に叩きつけられるモラハラ男。エルの「論理を暴力に変える」特訓は、先輩の精密な頭脳を、最強の合気術へと変えていたんだ。
「いいぞ先輩! 最高だ! あんなゴミ、もっと派手に地面に叩きつけてやれ!!」
エルの熱すぎる声援が演習場に響き渡る。
最後は、フェリクスが自暴自棄になって放った大振りの一撃を、ミレイユ先輩が完璧な重心移動で受け流し、そのまま彼の体をお手玉のように高く放り投げた。
「……はぁ、はぁ。……決着、ですぅ!」
演習場の中央、地面に何度も叩きつけられたフェリクスが、ついには白目を剥いて力なく横たわった。
ミレイユ先輩は息を切らし、今にも泣きそうな顔で、でも真っ直ぐに立っていた。エルの「論理を暴力に変える」特訓の成果。先輩は襲いかかるフェリクスの勢いを利用して、まるで紙屑のように彼を何度も投げ飛ばし、最後には完全に失神させた。
一瞬の静寂の後、貴賓席から凛とした声が響き渡った。
「この決闘の勝敗は、ミレイユ・フォン・アウグストゥス嬢の勝利とする」
立ち上がったのは、ルヴィア様だ。いつものキラキラした笑顔は影を潜め、王族としての圧倒的な威厳を纏いながらゆっくりと演習場へ降りてきた。
「……さて、負けたフェリクス。君には約束通り、エルへの謝罪をしてもらう。そして、ミレイユ嬢には今後一切近寄らないこと」
ルヴィア様は、這いつくばるフェリクスの耳元で、逃げ場のない冷徹なトーンで言葉を重ねた。
「もちろん、勝手に求婚を続けることも、婚約者だと嘘を吹聴することも、本日限りで禁止です。……いいかな? この決闘の判定を下したのは私、ルヴィア・ラ・フォン・グランドだということを、ゆめゆめ忘れないように」
それは、単なる決闘の判定じゃない。逆らえば王族への不敬に問われる、事実上の「最終宣告」だった。
「……ひ、ひぃっ。……申し訳、ございませんでした……」
気絶寸前のフェリクスが絞り出すように謝罪し、這うようにして逃げ出していく。
その背中を見送ると、エルが豪快に笑ってミレイユ先輩の肩を叩いた。
「やったな先輩! 最高に格好良かったぜ!」
「ふぇぇぇ……エルさぁん、怖かったですぅ……!」
腰を抜かして座り込む先輩を、エルが脇から支える。ルヴィア様が再び柔和な笑顔に戻って、僕たちに歩み寄ってきた。
「エル、よく彼女を支えたね」
二年生になって最初の「事件」は、ルヴィア様のデカすぎる釘と共に、最高にスカッとして終わったのだった。




