第23話 冬季休暇
キノババでの事件から月日は流れ、年末年始を迎えようとしていた。
二学期の期末試験も、ルヴィア様の地獄の直前対策のおかげで、僕は全科目満点で首席、エルは実技と戦術理論で次席をキープ。
掲示板の前で「相変わらずだな、あいつら……」という溜息混じりの声を背中で受け流すのも、なんだか慣れっこになってしまった。
そして、やってきたのは年末年始。
ジジーアスまで片道一週間の僕たちにとって、わずか一週間の冬季休暇での帰省は物理的に不可能だ。大人しく寮で魔法の研究でもして過ごそうと思っていたら、とんでもない落とし穴があった。
「……えっ、閉鎖?」
「ああ。冬場は配管の凍結防止と魔導炉の点検で、一週間だけ寮を完全に閉めるんだ。各自、宿を確保するようにって、掲示板に書いてあっただろ?」
寮監のアッシリア・モルゲン様の無慈悲な通告に、僕とエルは寄宿舎の玄関で呆然と立ち尽くした。
「エバー、聞いてねぇぞ! 宿屋なんて、この時期どこも満員か、ぼったくり価格じゃねぇか!」
「エルだって見落としてたじゃないか!」
エルの言う通りだ。年末年始の王都は、各地から集まる観光客や商人で賑わい、手頃な宿は一ヶ月前から予約で埋まっているのが常識らしい。
「ど、どうしよう。公園で野営……は、王都の衛兵さんに怒られちゃうし……」
「これだから『現場』を知らねぇ王都の坊ちゃん学園はよぉ!」
慌てて二人で荷物をまとめ、雪がちらつき始めた王都の街へ飛び出した。
一軒目、「満室」。二軒目、「一泊金貨一枚(高すぎる!)」。三軒目、「馬小屋なら空いてる」。
「馬小屋はさすがに……僕の魔導書が馬に齧られちゃうよ」
「贅沢言ってらんねぇけど、せめて屋根と壁がある場所を探さねぇと……!」
結局、日が暮れる寸前まで駆けずり回り、ようやく下町の路地裏に見つけたのは、看板が半分外れかかった古い宿屋『すすり泣く幽霊亭』。名前は不吉だけど、背に腹は変えられない。
「二人一室、屋根裏部屋でいいなら一週間貸してやるよ。ただし、暖房の魔石は別売りだ」
無愛想な店主から鍵を受け取り、埃っぽい屋根裏に辿り着いた頃には、二人ともすっかり疲れ果てていた。
「……はぁ。首席と次席の冬休みが、屋根裏部屋のサバイバルになるなんてね」
「いいじゃねぇか。屋根があるだけマシだろ? それにほら、エバー。ここ、窓から王城の尖塔がよく見えるぜ」
エルが指差した先、再建が進む王城が夜の闇に白く浮かび上がっていた。
あの中にいるルヴィア様も、きっと今頃は王族としての忙しい年末を過ごしているんだろう。
「……よし、エル。一週間、ここで『冬の特訓』だ。宿代を浮かせるために、ギルドで簡単な依頼も受けよう」
「おう! ついでに美味い屋台飯も食い尽くしてやるぜ!」
冷たい隙間風が吹き抜ける屋根裏部屋で、僕たちは肩を寄せ合って笑った。
華やかな貴族たちの新年会とは無縁だけど、僕とエルのドタバタな冬休みは、これはこれで悪くない幕開けだった。
「……よし、エル。この『角ウサギの捕獲依頼』にしよう。王都の新年には欠かせない食材らしいから、今が一番の稼ぎ時だよ」
『すすり泣く幽霊亭』の埃っぽい屋根裏部屋を拠点に決めた翌日、僕たちは冒険者ギルドで一番人気の依頼を分捕ってきた。
角ウサギの肉は、王都の正月料理「角ウサギの香草焼き」のメイン食材。この時期、ギルドはこれ一色になる。
ところが、いざ狩場である近郊の森へ行ってみると、そこはもはや戦場だった。
「おい、そこは俺の獲物だぞ!」
「あっちにもこっちにも冒険者が……これじゃウサギが逃げちゃうよ」
右を見ても左を見ても、冒険者たちが網を構えて右往左往している。これでは効率が悪すぎる。
「エバー、こんな場所で粘っててもラチがあかねぇ。もっと奥、誰も行かねぇ深いトコまで行くぞ」
「そうだね。エル、足場の重力を軽くするから一気に跳んで!」
僕たちは『身体加速』と『重力軽減』を組み合わせて、他の冒険者たちが「魔獣が強すぎる」と避ける森の最深部まで一気に突き進んだ。
「……あ、いた。エル、あそこ!」
茂みの奥に、巨大な影があった。
通常の角ウサギは柴犬くらいの大きさのはずだけど、そこにいたのは小柄な牛ほどもある、白銀の毛並みに黄金の角を持つ個体だった。
「……なぁ、エバー。あれ、ちょっと『角』が豪華すぎねぇか?」
「うん……角ウサギの上位種、『キング・ホーン・ラビット』だね。ランクB相当の……」
「ま、ウサギはウサギだ。新年の縁起物には丁度いいだろ!」
エルがそう言うが早いか、稲妻のような踏み込みで一閃。
僕も逃げられないように周囲の重力を数倍に跳ね上げ、あっという間にその巨体を仕留めてしまった。
「……はい、依頼のブツを持ってきたよ」
ギルドのカウンターに、ドサリと銀色に輝く巨体を置く。
受付のお姉さんは、僕たちと獲物を交互に見て、ペンを落とした。
「……あの、メイル君。依頼したのは、普通の、あの……可愛いサイズの角ウサギだったんだけど」
「えっ、でもこれも、角ウサギですよね?」
「角ウサギの、王ですね。……というか、これ、新年の料理にするには肉が引き締まりすぎてて、普通の包丁じゃ刃が立ちませんよ」
周囲の冒険者たちも「なんだあのバケモノ……」「それを二人で担いで来たのかよ……」と引きつった顔でこっちを見ている。
結局、上位種ということで通常の十倍以上の高額査定がつき、依頼自体は文句なしの『達成』になった。お財布は一気に潤って、屋根裏部屋の暖房代を気にしなくて済むようになったけれど……。
「……なぁ、エバー。普通の角ウサギの香草焼き買わないか?」
「そうだね。僕たちが食べたいのは、この鋼鉄みたいな筋肉じゃなくて、柔らかい香草焼きだもんね」
僕たちは、ホクホクの金貨を握りしめながら夕暮れの市場へと向かった。
ギルドでもらった予想外の高額報酬を握りしめて、僕とエルは年末の熱気に包まれた市場へと繰り出した。
「やっぱりこっちの方が正月らしいね、エル!」
市場は、もう歩くのも大変なほどの人、人、人だ。あちこちの屋台から肉が焼ける香ばしい匂いと、威勢のいい掛け声が響いている。
僕らのお目当ては、さっきの「鋼鉄みたいな上位種」じゃなくて、ちゃんとお店の人が美味しく焼いてくれた「普通の」角ウサギの香草焼きだ。
「おう、エバー! あっちの屋台、すげぇ並んでるぞ。あそこが美味いんじゃねぇか?」
「本当だ。よし、並ぼう!」
僕たちはワクワクしながら人混みをかき分けて進む。あまりに人が多いので、僕はエルの服の裾を掴んで離れないように必死だった。
その時、僕の腰のあたりに何かが「カチッ」と触れたような気がしたけれど、それよりも屋台から漂ってくるハーブのいい匂いに意識が持っていかれてしまった。
「あ、エル! あのタレの焦げた匂い、最高だよ!」
「全くだ! 奮発して一人一本ずつ買おうぜ!」
僕たちが幸せな気分で香草焼きを二本買い、アツアツの肉に齧り付いているその背後で……実は、ちょっとした惨劇が起きていたなんて、僕らはこれっぽっちも気づいていなかった。
僕の財布を狙って魔法のハサミを差し出したスリは、僕が無意識に身に纏っていた『防御結界』の反動で指の骨をピシッと鳴らして悶絶していたし。
エルの懐に手を突っ込もうとしたひったくりは、エルが肉の匂いに釣られて「おっ!」と急加速したせいで、その豪腕に弾き飛ばされて隣の魚屋の樽に頭から突っ込んでいた。
「……ん? 今、なんか後ろで『ぎゃっ』て聞こえなかった?」
口の周りをタレだらけにした僕が首を傾げると、エルは骨までしゃぶり尽くしながら、のんきに答えた。
「あー、人混みだから誰かが足でも踏まれたんじゃねぇか? それよりエバー、この肉、ジジーアスのより柔らかくて最高だわ!」
「そうだね、やっぱり王都の味付けは洗練されてるよ!」
その後も、僕たちの「金貨が詰まった財布」を狙って、何人かの犯罪者が挑んできたらしい。
けれど、一人はエルの無自覚な肘打ちで気絶し、もう一人は僕が足元のぬかるみにかけた『摩擦軽減』の魔法にハマって、そのまま排水溝まで滑っていった。
「王都の人はみんな急いでるって聞いてたけど、本当だね。さっきの人も、滑るようにどっか行っちゃったし」
「忙しい街なんだろ。ほら、次はあっちの果実飴だ!」
僕たちは一度も振り返ることなく、平和そのものの顔で食べ歩きを続けた。
無自覚な「返り討ち」。
犯罪者たちの悲鳴は、賑やかな新年の喧騒の中へと虚しく消えていった。
市場で買い込んだ食べきれないほどの御馳走を抱えて、僕たちは『すすり泣く幽霊亭』の屋根裏部屋へと戻った。
「よし、並べるぞエバー! 豪華だな、おい!」
ガタつく木机の上に、冷めないように魔法で保温しておいた角ウサギの香草焼き、飴色の照りがついた焼き鳥、それから奮発して買った高級なチーズと果実水。狭い屋根裏部屋が、一瞬で王都の縮図のような香りに包まれた。
「ジジーアスだったら、今頃は外で盛大に焚き火をして、みんなで叫んでる頃だね」
「ああ、ここは静かだけど、窓の外がキラキラしてて、これはこれで悪くねぇわ」
エルが笑いながら、コップに並々と果実水を注ぐ。僕たちは「今年もお疲れ様!」と短く乾杯して、買ってきたばかりの肉にかぶりついた。
屋根裏部屋の小さな窓からは、再建中の王城が夜闇に白く浮かび上がっているのが見える。ルヴィア様が言っていたけれど、王都の大晦日にはカウントダウンに合わせて、王城の庭から魔法の花火が打ち上がるらしい。
「……あと、五分くらいかな」
僕は手元の懐中時計を確認しながら、最後の一切れの肉を口に運んだ。
思い返せば、激動の一年だった。王都に来て、エルと出会い、ルヴィア様と知り合い……ジジーアスで死線を潜り抜け、キノババの事件を暴いた。
「エル、来年はどんな年になると思う?」
「さあな。でも、お前がいて、美味いもんが食えりゃ、俺はどこだって暴れてやるぜ」
エルが不敵に笑った、その時だった。
「……始まった!」
窓の外、王城の向こう側の空に、一筋の光が吸い込まれるように昇っていった。
それから、一拍。
ドォォォォォォォン!!
夜空が弾け、色鮮やかな光の輪が幾重にも広がった。赤、青、金、それからルヴィア様の魔力のような純白の光。魔法学科の僕が見ても見事な、魔力密度の高い大輪の花火だ。
「すげぇ……! 本当にキラキラしてやがる!」
「……あ、ルヴィア様かな。見て、あの金色の花火。あんなに綺麗な色、ルヴィア様以外に出せないよ」
次々と打ち上がる花火が、埃っぽい屋根裏部屋を万華鏡のように照らし出す。
僕とエルは、窓枠に身を乗り出して、王都の空が光に染まるのを無言で見つめていた。
「……明けましておめでとう、エル」
「おう。おめでとう、エバー。……来年もよろしくな」
花火の音にかき消されないように、僕たちは少し大きめの声で言い合った。
ボロ宿の屋根裏、二人だけの新年パーティー。
最高級のホテルのスイートルームじゃなくても、今の僕たちには、この距離で見上げる花火と、隣にいる相棒がいれば、それだけで十分すぎるほどの新年の幕開けだった。




