第16話 暗躍
学園祭前夜。華やかな提灯が灯る校舎の裏で、僕とエルの「秘密の演習」が始まった。
「……いた。校舎裏の倉庫、三人」
「了解。音は出さねぇ」
僕は魔法学科の出し物で使うはずの「光る魔導糸」を指先に絡ませた。これ、本来は空中に絵を描くためのものだけど、僕が魔力を流せば鋼鉄よりも硬く、そして音もなく獲物を縛り上げる「不可視の糸」になる。
闇に紛れて倉庫に近づくと、教職員の制服を着た男たちが、怪しげな魔導具を設置しようとしていた。
「『沈黙の空間』……」
僕が極小の消音結界を展開した瞬間、エルが影のように跳んだ。手にしているのは、演劇用の「刃を潰した大剣」。でも、エルの腕力で叩き込めば、それは一撃で脳震盪を起こさせる最強の鈍器だ。
「がっ……!?」
悲鳴すら上げさせず、エルが一人、また一人と叩き伏せる。僕は残った一人を魔導糸で搦め取り、その意識を強制的に刈り取った。
「……エバー、こいつらの中に一人、学園の刻印が入った指輪を持ってる奴がいたぞ」
エルの差し出した指輪を見て、僕は奥歯を噛み締めた。やっぱり、内部に手引きした裏切り者がいる。
僕はその指輪に残った微かな魔力の残滓を辿り、学園全体に張り巡らせた僕の「探知網」と照らし合わせた。
「……見つけた。教務課の副主任だ」
僕たちはその裏切り者をルヴィア様に報告し、そのまま「本番」へと突入した。
学園祭当日。
講堂のステージは超満員だった。中央の貴賓席には、国王陛下の姿も見える。
「さあ、開演だ。……エル、準備は?」
「おう。舞台の上も下も、全部片付けてやるよ」
劇が始まった。僕たちの演目は『辺境の守護者』。
僕が派手な火球を打ち上げ、エルが演劇用の派手なアクションで魔物役を倒していく。客席からは割れんばかりの拍手と歓声が上がる。
……けれど、その「演出」の裏で、僕の探知網が激しく警鐘を鳴らした。
(天井裏に四人、舞台袖に六人……来た!)
舞台が暗転し、僕が「演出」として立ち込める霧を発生させた一瞬。
闇の中から、本物の抜き身の剣を持った暗殺者たちが、貴賓席の国王陛下を目掛けて飛び出した。
「なっ……何だ、あの演出は!?」
観客が驚き混じりの声を上げる中、僕は叫んだ。
「『重力の檻』!!」
舞台袖から飛び出そうとした暗殺者たちが、見えない圧力で床に叩きつけられる。観客には、それが「魔獣に立ち向かう守護者の魔法」の演出に見えているはずだ。
「おらあッ! 」
エルが舞台を飛び降りるフリをしながら、空中で暗殺者の一人を蹴り飛ばし、演劇用の剣の柄で別の奴の顎を砕いた。
バキッ、という生々しい音は、僕が魔法で鳴らした「ド派手な効果音」にかき消される。
「すごい! なんて迫力だ!」
「あんなに速い動き、本当の戦いみたい!」
観客の拍手が一段と大きくなる。
舞台の上でエルが華麗に回転しながら敵をなぎ倒し、僕は空中から不可視の魔力弾を放って、天井から狙っていた弓兵を一人ずつ撃ち落としていく。
国王陛下と目が合った。陛下はすべてを察したように、凛とした表情で僕たちを見つめている。
最後の一人を舞台裏に蹴り飛ばし、僕がフィナーレの特大の花火魔法を打ち上げると、講堂内はスタンディングオベーションに包まれた。
「……ふぅ。……エル、お疲れ様。全員、無力化したよ」
「おう。……演劇ってのも、案外悪くねぇな。あいつら、いいリアクションしやがって」
拍手鳴り止まぬ中、僕たちはルヴィア様の方を向いて、小さく勝利のサインを送った。
誰にも気づかれないまま、王都の平和と、国王陛下守り抜いた。そう思った直後だった。
ドォォォォォォォン……ッ!!
空気を震わせる不気味な重低音が、王都の空に響き渡った。舞台の演出なんかじゃない、本物の爆発音。
僕とエルは顔を見合わせ、すぐさま講堂の外へ飛び出した。
「……嘘だろ」
エルの声がかすれた。
王都の象徴である王城。その東の尖塔に、数体のワイバーンが突入し、巨大な火柱を上げていた。さらに追い打ちをかけるように、西の尖塔が根元からへし折れ、轟音と共に崩落していくのが見えた。
「ワイバーンに自爆魔法を仕掛けたのか!? なんて真似を!」
幸いだったのは、国王陛下とルヴィア様が学園祭の貴賓席にいらしたことだ。目の前で自らの城が焼かれる光景を、陛下は唇を噛み締めながら見つめていた。
けれど、本当の「恐怖」が始まったのは翌朝からだった。
「いいか、昨夜の件については一切口外を禁じる。不確かな噂を流す者は、たとえ学生であっても厳罰に処す。……以上だ。自習を始めろ」
教壇に立った教官の声には、一切の感情がなかった。昨夜、あんなに近くで、誰もが目撃した惨劇。それなのに、教師たちはまるで何もなかったかのように、一様に口をつぐんでいた。
『箝口令』
王都全体を覆ったその沈黙は、爆発音よりも不気味に僕たちの肌にまとわりつく。
「……エバー。ルヴィア様は、やっぱり来てねぇな」
いつもの図書室。僕とエルだけが座る奥の席。ルヴィア様は無事だ。それは昨日、自分の目で確認した。でも、お城があんな状態になって、皇子である彼が学園に来られるはずもなかった。
「……うん。陛下と一緒に、厳戒態勢の城の中だろうね」
「箝口令ったって、あんなの見ちまったら、何かが始まったことくらい誰でもわかるのによ」
昨日まで一緒に劇の衣装を直してくれた女子グループの子たちも、今は怯えたように肩を寄せ合い、囁き合うことさえ忘れている。
陛下とルヴィア様が無事だったのは救いだけど、あの城の崩落は、単なる事故やテロじゃない。もっと巨大な、国そのものを揺るがす「戦い」の始まりなんだ。
何も教えてもらえない。何もわからない。けれど、ジジーアスの山奥で魔獣の殺気を肌で感じてきた僕たちの感覚は、はっきりと告げていた。
この静寂は、平和に戻るためのものじゃない。王都全体が、巨大な息を潜めて「不安」を押し殺している。
「……エル。情報を待っててもダメだ」
「ああ。……俺たちのやり方で、動くしかねぇな」
翌朝、王都の街並みは驚くほど「いつも通り」だった。店は開き、人々は行き交っている。けれど、その空気の層が一枚、不自然に厚くなったような圧迫感がある。
「……兵士の数、昨日の倍以上だな」
エルの呟き通り、交差点や路地裏には、鋭い眼光を向ける巡回の兵士たちが立っていた。表向きは平静を装いながら、王都はその実、巨大な検問所へと姿を変えていた。
僕たちは箝口令で沈黙する学園を抜け出し、下町の冒険者ギルドへと足を運んだ。あそこにある食事処は、国に縛られない自由な連中が集まる情報の溜まり場だ。騎士団が口を閉ざしても、荒事を生業にする冒険者たちの耳までは塞げない。
「……聞いたか? 東の街道、馬車の通行が制限されてるらしいぜ」
「ああ、商人の護衛についてたダリウスが言ってた。東の国境付近で、見たこともねぇ数の傭兵が野営を始めてるってよ」
端っこの席でエールを煽る冒険者たちの会話に、僕とエルは意識を集中させた。
「傭兵だけじゃねぇ。ダッファーデン王国が、市場の鉄と魔導武器を片っ端から買い占めてるそうだ。……あいつら、本気でこっちを飲み込む気だな」
ダッファーデン。
昨夜の城の爆発と、東に位置するあの国の不穏な動き。バラバラだったピースが、僕の頭の中で一つの最悪な図形を結んでいく。
「……エバー。テロはただの狼煙だったんだな」
エルが低い声で言った。その瞳には、ジジーアスの雪原で見た時と同じ、戦士の鋭さが宿っている。
「うん。城を混乱させて、その隙に軍を動かすつもりだ。……ルヴィア様が城から出られないのも、陛下が情報を隠しているのも、すべては戦への準備なんじゃないかな」
学園の教室では教えてくれない、剥き出しの現実。
ダッファーデンが傭兵と武器を集めている。それはつまり、遠くないうちにこの王都まで鉄の雨が降ることを意味していた。
僕たちは食事処を後にした。
賑やかな市場の喧騒が、今は嵐の前の静寂にしか聞こえない。
「エル。僕たち、このまま『自習』だけして待ってるわけにはいかないね」
「おう。あいつらが武器を集めてるってんなら、俺たちも備えなきゃな」
冷たい秋の陽光の下、僕たちは学園へと戻る道を急いだ。




