第12話 激戦!
「散れッ! 氷竜の息吹が来るぞ!」
隊長の怒号が鼓膜を震わせると同時に世界が白に染まった。
北の連峰最奥に棲む災厄。
Aランク個体――フロスト・ドラゴンスピリット。
その吐き出した冷気は、もはやブレスなんて生易しいものじゃない。
吹雪そのものが龍となって襲い掛かってくるような暴力だった。
その咆哮一つで、僕の張った二重の結界がガラス細工みたいに粉々に砕け散る。
「くっ……あ、あああッ!」
魔力の反動で膝をつきそうになった僕の襟首を、誰かが強引に掴んで引き寄せた。
「ぼーっとするなメイル! 構成が壊されたら即座に予備を編めと言ったろうが!」
魔法隊の先輩は僕を後方へ投げ飛ばしながら片手を突き出した。
瞬間。
僕の何倍もの術式が展開される。
幾重にも重なる氷壁。
魔力障壁。
結界。
防御術式。
それらが巨大な盾となって冷気を受け止めた。
それでも全ては防ぎきれない。
隊長の頬が切れる。
腕が凍り付く。
だが一歩も下がらない。
僕を庇いながら、もう片方の手で巨大な氷の盾を空中に固定した。直撃すれば即死するレベルの冷気を、彼は眉ひとつ動かさずに受け流している。
「エル、突っ込みすぎるな! 騎士団の陣形を乱すなよ!」
前線では、エルが必死に剣を振るっていた。ブートキャンプで鋭くなったはずの彼の一撃も、ここでは「面」で押し寄せる魔獣の波に飲み込まれそうになっている。
けれど、そのエルの左右を固める辺境伯騎士団の動きは、もはや芸術の域だった。
一人が盾で衝撃を殺し、その背中を跳ね橋のようにしてもう一人が跳躍し、魔獣の眉間に深々と剣を突き立てる。無駄な叫び声ひとつない。ただ、冷徹なまでに効率化された「殺戮の歯車」がそこにあった。
彼らは「集団」として軍勢をすり潰していく。
「 魔力障壁を重ねろ! 魂まで凍らされるぞ!」
隊長の怒号が、吹雪を突き破って響いた。
僕の目の前で、山そのものが起き上がったかのような巨大な影が蠢いている。
Aランク個体『フロスト・ドラゴンスピリット』。実体を持たず、冷気そのものが意思を持って龍の形を成した、北の災厄。
「エル、下がって! 僕たちの魔力じゃ、近づくだけで回路が凍る!」
「クソッ、あんなもんどうやって斬るんだよ!」
エルが大剣を構えるけれど、龍が放つプレッシャーだけでその刃が白く霜を帯び、脆くなっていくのがわかる。僕たちが特訓で身につけた技術なんて、この絶対的な暴力の前では赤子同然だ。
けれど、そこからが「本物」の戦いだった。
「魔法部隊、第一陣! 零下固定術式、展開!」
隊長の合図で、十数人の精鋭たちが一斉に地面を叩いた。彼らが編み上げたのは、攻撃魔法じゃない。龍の周囲の空間そのものを「固定」し、その移動を封じる超高度な干渉魔法だ。
龍が咆哮し、術式を食い破ろうと猛烈な冷気の波を放つ。僕なら一瞬で弾け飛ぶような衝撃を、先輩たちは歯を食いしばり、鼻血を流しながらも一歩も引かずに維持し続けている。
「今だ、辺境伯様に道を空けろ!」
騎士団の精鋭たちが、盾を並べて氷の弾丸を弾き飛ばし、文字通り「命の壁」を作って道を開く。
「メイル、エル! 呆けている暇があるなら手を動かせ! 左右から回り込む群れを食い止めろ!」
ルヴィア様の凛とした声が響く。自らも、見たこともないほど高度な光魔法を展開し、後方から正確に援護射撃を繰り返していた。
眩い光が夜空を染める。
「――『聖光槍』」
幾筋もの光が流星のように降り注ぐ。
側面から騎士団へ襲い掛かろうとしていた魔獣たちの頭部を、寸分違わず撃ち抜いていく。
「ルヴィア様!」
視線の先。
白銀の外套を翻しながら、ルヴィア様が馬上で杖を構えていた。
普段の柔らかな笑顔はない。
静かに敵を見据える瞳だけが鋭く光っている。
「……やるよ、エル! 負けてられない!」
「おう! 」
僕たちは必死に食らいついた。
先輩たちの背中を追い、御領主様の為に切り開いた道の端を必死に守る。
その中央を、白銀の光を纏った馬が駆け抜けた。
「……おおおおおッ!」
御領主様――辺境伯様の咆哮。
彼が掲げた大剣には、僕が見たこともないほど濃密で、それでいて静謐な蒼い炎が宿っていた。
龍が頭上から、すべてを凍土に変える極大のブレスを吐き出す。
避ける術はない。絶体絶命――そう思った瞬間、御領主様が剣を横一文字に薙いだ。
「絶氷一閃……『蒼天斬』!」
音が消えた。
空間が裂け、龍の吐き出したブレスごと、その巨大な首が斜めに切り裂かれた。
魔法ではなく、純粋な『武』と魔力操作だけで、概念的な存在であるスピリットを「物理的に」断ち切ったんだ。
「まだだ! 核を叩け!」
隊長が叫ぶ。龍の体が崩れ落ちる寸前、核である魔石が露わになった。
そこへ、左右から騎士団の隊長クラスたちが、流れるような連携で突っ込む。一人が龍の爪を抑え、一人が翼を封じ、最後の一人がその心臓部へ、自身の魔力をすべて込めた一撃を叩き込んだ。
パキィィィィィィィィィィン!!
耳を劈くような高音が響き、フロスト・ドラゴンスピリットが光の粒となって霧散していく。
あとに残ったのは、静まり返った雪原と、肩で息をする大人たちの背中だけだった。
「……勝った、のか?」
エルが呆然と呟く。
僕も、あまりの衝撃に立ち尽くしていた。
僕の重力魔法やエルの剣術が、まるで子供の遊びに見えるほどの圧倒的な『武』。
今なら分かる。自分がどれほど「小さな存在」か。そして、この北の地を守り続けてきた大人たちがどれほど「巨大な壁」なのか。
僕たちはまだ入口に立っただけだ。
この北の地を守り続けてきた大人達はもっとずっと先にいる。遥か高い場所に。
だからこそ追いつきたいと思った。
いつか、あの背中に。
泥と雪にまみれ、魔力を絞り出しながら、僕は初めて知った。
本当の強さとは、ただ個人の才に溺れることじゃない。
この極寒の地で、誰一人欠けることなく戦い続ける、この鋼のような意志のことなんだ。
朝日が連峰の端から顔を覗かせる頃、ようやく雪原に静寂が戻った。
騎士達は疲れた顔で笑っていた。
誰かが仲間の肩を叩く。
誰かが武器を担ぎ直す。
誰かが「腹減ったな」と笑う。
死闘の直後だというのに。
まるで日常のように。
当たり一面に広がる魔獣の残骸と、湯気を立てる騎士たちの背中。
僕は震える足で立ち上がり、隣でボロボロになって笑っているエルと、固く拳を合わせた。
いつか。
あの人達みたいに。
この地を守れる強さを手に入れるために。




