第11話 ジジーアス辺境伯領の地獄のブートキャンプ
何とか最後まで、大きな失態を演じることなく食事会を終えることができた。
正直に言えば、目の前に並んだ豪華な料理の味なんてほとんど覚えていない。
どのフォークを使うべきか。
どのタイミングでグラスを持つべきか。
そんな付け焼き刃の作法を思い出すので精一杯だったからだ。
僕もエルも根っからの田舎者である。
王都の学園でそれなりに慣れたつもりだったけれど、リリエンヌ様のような本物の貴族令嬢を前にすると、途端に自信なんて吹き飛んでしまう。
「……ふぅ。生きた心地がしなかったぜ……」
屋敷を出た瞬間、エルが大きなため息を吐いた。
「本当だね。リリエンヌ様があまりに綺麗で、僕、スープを飲むとき手が震えて音を立てないかヒヤヒヤしたよ」
「俺なんて、肉を切る時にお嬢様のドレスにソースを飛ばさないか、そればっかり考えてたわ。……あー、腹減った。あんなに食ったはずなのに、何も食ってねぇ気分だ」
僕も思わず笑う。
結局最後まで料理の味より緊張の方が強かった。
騎士団宿舎へ戻ると、僕たちはベッドへ倒れ込む。
使い込まれたシーツ。
少し硬い枕。
豪華な客室より、こっちの方がよほど落ち着く。
「……エバー」
「なに?」
「俺、やっぱ魔獣と戦ってる方が楽だわ」
「僕も。……でも、ルヴィア様もリリエンヌ様も、本当に素敵な方だったね」
「おう。……あー、明日起きたら、村で食ったあのお肉の残りを、腹いっぱい食いたいなぁ……」
エルの小さな寝息が聞こえてくる。
僕は、窓から見えるジジーアスの星空を眺めながら、ようやく今日一日の緊張から解放されたことを実感して、深い眠りに落ちていった。
翌朝、僕とエルを叩き起こしたのは、聞き慣れたけたたましい学園の鐘の音……ではなく、宿舎の廊下に響き渡る野太い笑い声だった。
「おい、王都の『神童』ども! いつまで寝てやがる! 朝飯の前にひと仕事だ!」
部屋の扉を豪快に蹴り開けて入ってきたのは、かつて僕を厳しく仕込んでくれた魔法部隊の先輩たちと、エルの滞在許可をくれた騎士団の強面な面々だった。
「王都のぬるま湯で、腕が鈍ってねぇか確かめてやるぞ。演習場へ来い!」
拒否権なんてあるはずもない。僕とエルは、半分寝ぼけた頭のまま演習場へと引きずり出された。
朝の清冽な空気の中、並んでいたのは辺境の最前線で魔獣と命のやり取りを続けている「本物」の精鋭たちだ。学園のエリートたちとは、纏っている殺気の密度がまるで違う。
「……エバー、これ、まずくないか?」
「うん。エル、覚悟を決めて……」
演習が始まった瞬間、僕たちは自分たちの「慢心」を思い知らされた。
学園で首席と次席を取った、Cランクを二人で狩った……そんな実績、ここでは何の役にも立たなかった。
「甘いぞ、エル! 動きが綺麗すぎるんだよ!」
騎士団の先輩が振るう大剣は、洗練なんてされていない。けれど、地面を削り、空気を爆ぜさせる一撃は、エルの受ける刀身を容赦なく叩き伏せる。エルが野性の勘で食らいつこうとしても、経験に裏打ちされた無駄のない動きで、あっさりと背後を取られていた。
「ぐっ……おわあああッ!?」
ドシン、という激しい音と共に、エルが地面に転がった。
泥だらけになりながら、「俺、まだまだなんだな……」と空を見上げて呆然としている。
一方、僕の方はというと……。
「メイル! 魔法の構成が遅いぞ! 詠唱を短縮しても、相手の動きを読んで先回りできなきゃ意味がないって言っただろ!」
魔法部隊の隊長に、得意の重力魔法をことごとく霧散させられ、逆に魔力操作だけで呼吸を封じられた。北の厳しい環境で、吹雪や氷結の中で魔力を練り続けている彼らにとって、僕の魔法なんて「行儀の良いお遊び」に過ぎなかったんだ。
「……あ……う……」
気づけば、僕はエルよりもずっと早く、魔力を使い果たして地面に這いつくばっていた。
視界がチカチカする。魂が口から半分くらい抜けて、どっか遠いところへ飛んでいくのが見えた気がする。
「はっはっは! 王都の学園で一番でも、ジジーアスの冬は越せんぞ!」
高笑いする先輩たちの声が、遠くで響く。
泥だらけで息を切らしながら、僕は隣で同じように伸びているエルと視線を合わせた。
「……エル、悔しいね」
「あぁ。……でも、すげぇわ」
ボロボロに負けたはずなのに、不思議と心は晴れやかだった。
王都で少しだけ天狗になりかけていた鼻を、故郷の冷たい風にへし折ってもらえて、僕はなんだか、もっと強くなれるような気がしたんだ。
「王都の学園で一番? そんなもん、北の吹雪に吹かれりゃ一瞬で消し飛ぶぞ!」
隊長のその一言で、僕たちの「楽しい夏休み」は、文字通り「地獄のブートキャンプ」へと変貌した。
「エバー! 重力魔法を展開しながら、同時に火矢を十本放て! 構成が遅いぞ、魔獣に食われたいのか!」
「ひ、ひぃ……っ! 『重力操作』……っ、ぐあ、魔力が……!」
僕の視界は常にチカチカしていた。
魔法部隊の先輩たちは容赦ない。僕が術式を組もうとするたびに、あえて魔力の流れを乱す「妨害電磁波」のような魔力をぶつけてくる。それをねじ伏せて魔法を発動させなきゃいけないんだ。
一日が終わる頃には、魔力欠乏で意識が半分くらい吹っ飛んで、エルの背中に背負われて宿舎に帰るのが日課になった。
一方のエルも、人間に戻れるか怪しいレベルでしごかれていた。
「エル! その大剣は飾りか! 相手の呼吸を読め、風を読め! 力任せに振り回すのは三流だ!」
「ぜぇ、はぁ……っ! まだ、だ……まだ、いける……っ!」
騎士団の化け物みたいな先輩たちを相手に、エルは一日中泥まみれになって地面を転がっていた。
防具はボロボロ、剣ダコは潰れて血が滲んでいる。でも、エルの目は死んでいなかった。むしろ、叩かれれば叩かれるほど、その動きは鋭く、無駄が削ぎ落とされていく。
「……ねぇ、エル。僕ら、なんでこんなことしてるんだっけ……?」
夜、湿布薬の匂いが充満する部屋で、僕は消え入るような声で尋ねた。
「……決まってんだろ。あのタルト……王都の甘ぇもんを、もっと美味く食うためだよ……」
エルの返事はもはや支離滅裂だったけど、その根性だけは本物だった。
朝食前の十キロ走から始まり、魔力枯渇状態での実戦演習、そして夜は騎士団の武器の手入れ。
王都の学園なら「虐待だ!」って騒ぎになるようなメニューも、ここジジーアスでは「生き残るための基礎」でしかない。
「メイル、エル! 動きが止まってるぞ! 根性見せろッ!」
隊長の怒声が響くたび、僕たちの体は悲鳴を上げ、同時に新しく作り替えられていく。
学園で学んだ「綺麗な魔法」や「教科書通りの剣」が、泥と汗にまみれて、泥臭く、けれど確実に相手を仕留めるための「武器」へと研ぎ澄まされていく実感が、確かにあった。
僕は口から漏れそうになる魂を必死に飲み込みながら、また新しい術式を編み始める。
ドロドロに溶けるような深い眠りの中にいた僕を引き戻したのは、心臓を直接掴まれるような、激しく、禍々しい鐘の音だった。
「……ッ、非常警報!? エル、起きろ!」
隣のベッドで死んだように眠っていたエルを蹴り飛ばすようにして起こす。窓の外を見れば、深夜だというのに演習場には松明の火がうねり、騎士たちの怒号が飛び交っていた。
嫌な予感しかしなかった。
宿舎を飛び出した僕たちは伝令の声を聞いた。
「北方より魔獣群接近!」
「Bランク個体多数!」
「推定三百以上!」
「中心にAランク反応あり!」
演習場に出ると、そこには白銀の鎧に身を包み、愛馬に跨ったジジーアス辺境伯様が立っていた。その横には、厳しい表情を浮かべたルヴィア様の姿もある。
「総員、聞け! 我らが守るのはこの領土だけではない! 背後にいる愛する家族、そして王国の安寧だ! 一歩も引くな、ジジーアスの意地を見せよ!」
「「「「「オオォッ!!!!!!」」」」」
御領主様の剛毅な声が夜空を震わせる。
「メイル!行くぞ !特訓の成果、ここで証明してみせろ!」
「俺も行きます!」
エルはジジーアス辺境伯騎士団では無いので出陣する義務は本来無いのだ。
「エル、死ぬかもしれんぞ。覚悟はあるのか?」
「はい! 今ここで命を惜しんで戦う事を止めたら俺はこの先もう戦えなくなる!」
「よし!ならばメイルと行け!」
隊長の怒鳴り声に、僕たちは「はいッ!」と短く応じ、馬に飛び乗った。
残雪を蹴立てて進む行軍の中、前方から押し寄せてくるのは、闇を凝縮したような魔獣の波。冷気が肌を刺し、血の匂いが混じった風が吹き抜ける。
「エル、前方一〇〇メートル! 突撃路を切り開くよ!」
「おう! 魔法で固めろ、残りは全部叩き斬ってやる!」
特訓で嫌というほど繰り返した連携。今、僕たちの体は思考よりも早く、最適解を選んで動いている。
「『重力波・極限圧縮』!」
僕が放った黒い光が魔獣の群れの中心で爆ぜ、空間ごと敵を押し潰す。その隙間に、エルの大剣が稲妻のような速さで突き刺さった。
「ジジーアス騎士団、突撃ッ!!」
辺境伯様の号令と共に、僕たちは黒い波の中へと突き進んでいった。




