第9話 ジジーアス辺境伯領への旅路
ルヴィア様の特製馬車は、もはや移動する豪華客室だった。
魔法による衝撃吸収機能が組み込まれているらしく、デコボコ道を進んでいるはずなのに、紅茶一杯こぼれない。
「すげぇ……」
エルが感動したように呟く。
「この馬車だけで村一つ買えそうだな」
「買えそうじゃなくて買えると思うよ」
僕が真顔で返すと、エルは納得したように頷いた。
その日の昼食に出されたのは『王家専用・乾燥魔獣肉の赤ワイン煮込み(保存食版)』だった。
保存食版。
その言葉に少し警戒していた僕たちだったが、一口食べた瞬間に考えが変わった。
「……」
「……」
僕とエルは無言になる。
「どうかな?」
ルヴィア様が微笑む。
エルは震える声で答えた。
「これだけで家が建つ味がします……」
ルヴィア様が吹き出した。
僕も同感だった。
保存食とは思えない。
むしろ王都の高級店で食べた料理に匹敵する。
王族って凄いなぁ、と僕はしみじみ思った。
◇◇◇
旅は順調だった。
途中の宿場町で休みながら北へ向かう。
道中では同行している近衛騎士の方々と手合わせをする機会もあった。
「手加減は不要だ」
そう言われたので。
エルが大剣を振るい。
僕が重力魔法で足場を操作して支援した。
結果。
「……君たち、本当に学生か?」
騎士隊長が頭を抱えた。
「まだ一年生です」
「嘘だろう……」
実習の時の教官と同じ反応だった。
王都の人たちは、なぜみんな同じ顔をするんだろう。
その夜。
野営地で僕が結界を展開すると、近衛騎士たちは揃って絶句した。
『拒絶の半球・極』
巨大な半透明の結界が馬車ごと包み込む。
外からの侵入。
魔力探知。
音の漏洩。
その全てを遮断する。
騎士団長が結界を軽く叩いてから苦笑した。
「これならドラゴンの襲撃でも目が覚めんな」
「さすがにドラゴンは勘弁してください」
僕は本気でそう思った。
◇◇◇
そんな平和な旅が破られたのは、ジジーアス領まであと数日という深い森の中だった。
ふと。
嫌な気配を感じた。
「……来る」
僕は窓の外へ視線を向ける。
エルも同時に立ち上がった。
「三点。時計で二時、五時、十時方向」
「あぁ」
エルが剣の柄を握る。
「殺気が素人じゃねぇな」
次の瞬間。
馬車が急停止した。
森の中から黒装束の集団が音もなく現れる。
統一された装備。
無駄のない動き。
野盗にしては訓練され過ぎている。
「敵襲!」
近衛騎士の叫びが響いた。
だが。
相手が動くより早く、僕とエルは飛び出していた。
「エバー!」
「任せて!」
魔力を練り上げる。
『真空の断層・連撃』
不可視の風刃が森を駆け抜ける。
黒装束たちは即座に回避行動を取った。
速い。
だが。
避けた先にはエルがいた。
「はぁっ!」
鋭い踏み込み。
一閃。
黒装束の一人が崩れ落ちる。
続く二人目。
三人目。
迷いのない剣だった。
襲撃者たちも熟練者だった。
しかしエルはもっと慣れていた。
辺境では生きるために戦う。
躊躇えば死ぬ。
それが当たり前だった。
僕も重力魔法で敵の動きを阻害し続ける。
足を重くする。
体勢を崩させる。
一瞬だけ動きを止める。
その僅かな隙をエルが逃さない。
数十秒後。
戦闘は終わっていた。
森は静寂を取り戻している。
近衛騎士たちが周囲を警戒する中、僕は服に付いた血を風魔法で吹き飛ばした。
「終わったね」
「おう」
僕たちは何事もなかったかのように馬車へ戻った。
◇◇◇
馬車の中ではルヴィア様が静かに座っていた。
その表情は少し複雑だった。
「……二人とも」
「はい」
「ありがとう。助かったよ」
そう言ってから少しだけ言葉を選ぶように続けた。
「でも」
青い瞳が僕たちを見る。
「人を手に掛けることは怖くないのかい?」
僕とエルは顔を見合わせた。
先に答えたのはエルだった。
「怖いっすよ」
ルヴィア様が少し驚いた顔をする。
エルは続けた。
「でも怖いからって躊躇って、後ろにいる人が死ぬ方がもっと嫌なんです」
静かな言葉だった。
僕も頷く。
「辺境では、一瞬の迷いが村を滅ぼします」
僕は真っ直ぐルヴィア様を見た。
「だから僕たちは決めてるんです」
「守るためなら躊躇わない、と?」
「はい」
それが僕たちの答えだった。
殺したいわけじゃない。
戦いたいわけでもない。
でも。
守りたい人がいるなら。
そのために必要なことはやる。
ルヴィア様はしばらく黙っていた。
それから優しく笑った。
「……強いんだね」
ぽん、と肩を叩かれる。
「その強さに私は救われたよ」
「ありがとうございます」
なんだか胸の奥が温かくなった。
ふと視線を上げると、ルヴィア様は窓の外を見ていた。
その表情は少しだけ険しい。
まるで何かを考えているようだった。
けれど。
僕たちはそれ以上聞かなかった。
王族には王族の事情があるのだろう。
◇◇◇
それから数日。
馬車はついにジジーアス辺境伯領へと到着した。
冷たい風が頬を撫でる。
王都とはまるで違う。
澄んだ空気。
遠くに見える雪山。
夏だというのに山頂には白い雪が残っている。
「帰ってきた……」
思わず呟いた。
懐かしい。
本当に懐かしい。
「これがジジーアスか」
エルが感心したように周囲を見回す。
「涼しいな」
「だろ?」
僕は少し誇らしかった。
ルヴィア様も窓から景色を眺めている。
その表情はどこか嬉しそうだった。
婚約者様に会えるからだろう。
「ルヴィア様」
僕は馬車の前で頭を下げた。
「道中お守りできて光栄でした」
「ありがとう、エバー、エル」
ルヴィア様が微笑む。
「君たちのおかげで最高の旅になったよ」
そして。
「帰る前にまた会おう」
そう言い残し、辺境伯邸へ向かう馬車へ乗り込んでいった。
◇◇◇
僕とエルは辺境伯騎士団の詰所へ向かった。
門番の顔を見た瞬間。
「あっ!」
という声が上がる。
「神童が帰ってきたぞ!」
「エバーだ!」
「本当に帰ってきた!」
あっという間に騒ぎになった。
僕は苦笑しながら挨拶を返す。
エルの滞在許可も無事に取れた。
「よし」
書類を受け取りながら僕は頷く。
「これでエルも正式な客分だ」
「世話になるぜ」
「明日は御領主様に挨拶して、その後で村に帰ろう」
「おう」
エルが笑う。
「お前の家族、驚くだろうな」
荷物を指差した。
大量の土産。
魔獣肉。
保存食。
王都の菓子。
その他いろいろ。
確かに驚くだろう。
◇◇◇
翌朝。
ジジーアス辺境伯様への帰郷報告を済ませた。
辺境伯様は相変わらず豪快だった。
「王都へ送り出したと思ったら、第六王子殿下と親しくなって帰ってくるとはな!」
豪快な笑い声が部屋に響く。
「相変わらず規格外だ」
僕は苦笑するしかなかった。
その後。
馬を飛ばして数時間。
ついに故郷が見えてきた。
メイル村。
僕が生まれ育った小さな村だ。
「父さん! 母さん! 今帰ったよ!」
勢いよく扉を開ける。
すると、そこには懐かしい父さんと母さんの姿があった。
そして――
母さんの腕の中には、小さな赤ん坊が二人いた。
「……え?」
思わず固まる。
母さんが嬉しそうに笑った。
「エバー! よく帰ってきたね」
そして腕の中の赤ん坊を見せる。
「この子たちは、あなたが学園へ行ってから生まれた弟のロイと妹のミナよ」
「えぇぇぇぇぇっ!?」
思わず叫んでしまった。
赤ん坊だ。
本当に赤ん坊だ。
ぷくぷくした頬。
小さな手。
まだ何も分かっていない顔。
「ばぶー」
「きゃぅ」
小さな手がふわふわ動く。
「お、お兄ちゃんになってる……」
僕は呆然と呟いた。
「知らなかったのか?」
父さんが笑う。
「手紙に書いただろ」
「いつ!? だって王都に行く直前の手紙だったから、バタバタしてて見てないかも?」
僕は領都で魔獣討伐兵として働いていてそのまま帰郷することなく王都の学園に行ったからなぁ。
「抱いてみる?」
母さんが言う。
「えっ!? 無理無理無理!」
慌てて後ずさる。
落としたらどうするんだ。
僕が魔法を失敗するより怖い。
その様子を見て父さんも母さんも笑った。
後ろではエルまで笑っている。
「エバーがビビってる」
「うるさい!」
父さんが豪快に笑った。
「エバー、お前が送ってくれた仕送りのおかげだ」
大きな手が肩を叩く。
「村の開墾も進んだ」
「皆感謝してるぞ」
母さんは涙ぐみながら僕を抱き締めた。
胸の奥が熱くなる。
王都で頑張ってきたこと。
勉強したこと。
稼いだお金。
全部無駄じゃなかったんだ。
「……へへ」
後ろでエルが笑う。
「いい家族じゃねぇか」
「ただいま」
故郷の空気を胸いっぱいに吸い込む。
王都の高級スイーツも美味しかった。
でも。
家に漂う母さんのスープの匂いには敵わない。
数年ぶりの我が家。
僕の夏休みは、ここから始まるのだった。




