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9話 薬師の孫


 少女は振り返らずに歩いた。

 俺たちがついてきているかどうかを確認する素振りもない。ついてきて当然とでも言わんばかりだ。

 町を出て、街道を少し外れると草地になる。人が踏み均した細い道があり、少女はそこを迷いなく進んでいく。道に見えないところもあるが、少女にとっては見えているのだろう。

「名前、聞いてもいい?」

 俺が聞くと、少女はうっすら振り返った。顔を横に向けてぎりぎり目が見えるが、決して目が合ったとはいえない。

「リーゼ」

 それだけ言ってまた前を向く。

「俺はレオ」

「ハインツ」

 俺たちはそれぞれ名乗ったが、リーゼからの反応はない。

 俺はハインツと目を合わせた。ハインツは肩をすくめた。

 草地を抜けて森に入る。少し踏み込んだあたりで、リーゼが立ち止まった。

「まず臭い消しを作るわ」

 リーゼは振り返って言った。

「臭い消しから?」

「そう。塗ってから奥に行く」

 ということは群生地はある程度森を入ったところにあるわけか。

「あそこ」

 リーゼは少し先を指差した。低い木が数本固まっていて、足元には細長い葉の草が生えている。

「まずヴァルトミンツェを採る」

 そう言ってリーゼは草の葉をつまんでプツリと摘んだ。離れていてもほんのりさわやかな匂いが感じられた。

 彼女に倣って俺たちもヴァルトミンツェを摘む。俺の摘んだものは葉柄が少し潰れているが、ハインツのはリーゼの摘んだものと遜色ない状態だ。器用なものだ。

「そこの木」

 リーゼが今度は横の木を示した。幹の下のほうにある葉は他より厚く、光を受けると表面が鈍く光っている。

「ハルツブラット。傷つけると、脂が出てくる」

 リーゼが実際に爪で葉に傷をつけ、こちらに手を伸ばして見せてくれた。傷口から白っぽい液体が滲み出ている。少し重い香りがした。

「ヴァルトミンツェと一緒に潰して混ぜる。割合は同じでいいわ」

 リーゼは持ってきた乳鉢に両方の葉を入れて潰しつつ混ぜ合わせた。二つの匂いが混ざってぼやける。ヴァルトミンツェの香りがハルツブラットの香りに覆われて丸くなった印象だ。

「これを首と耳の裏、手首に塗る」

「効き目はどれくらい?」

「半日くらいね」

「長時間動くなら葉を持ち歩くのがいいかな?」

 俺の疑問にリーゼは少し馬鹿にするように答える。

「ヴァルトミンツェもハルツブラットも森にたくさんあるから持ち歩かなくたっていいのよ。森の匂いだから臭い消しになるの」

 なるほど。言われてみればその通りだ。

「なるほどね。ありがとう」

 三人分を作って塗り終えると、リーゼはさっさと歩き始めた。さっきまでと違って、今度は足の置き場を選ぶ、静かな歩き方になっている。

「ここから先は声を出さないで」

 低い声で言った。俺たちが頷くのを確認してから、リーゼは先に進んだ。

 木々が密になり、足元が柔らかくなった。踏んだ枯れ葉の音を立てないよう、俺は足の置き場に気を使う。ハインツも同じで、先ほどよりずっと慎重に歩いている。

 しばらくして、木立が開けた。日当たりのよい斜面に出る。地面は湿っていて、丈の低い草が広がっている。群生地だ。

 リーゼが立ち止まり、小声で言った。

「ブルートクラウト。傷薬の原料になるわ」

 狭い斜面に広がる草は、葉の縁が赤みを帯びていた。茎は細いが密度がある。指先で葉を軽く揉んでみると、鉄のような匂いがした。

「傷薬の原料になるわ。化膿を防ぐのに使える」

 説明しながらリーゼは草むらを見渡していた。ある点で視線が止まると、そこに向かって歩き出す。

「群生地では密度の高いところのを採るようにするの」

 リーゼはブルートクラウトの特に密集しているところに腰を下ろし、根元から切って採取した。

「そんな根元を切っていいのか?」

 ハインツが聞く。これまでの採取では基本的に茎と葉がある程度残るようにしていたから疑問に思ったのだろう。

「いいのよ」

 リーゼはぶっきらぼうに言った。説明する気がないのか、それともこのようにする理由を知らないのか、言葉をつづける気配がない。

「密集しすぎてると元気がなくなるからだね」

 仕方ないので俺が説明することにした。ハインツとリーゼが俺を見る。

「ここまで密集してると栄養を奪い合って十分育てなくなるんだ。だから間引いて一本一本が吸収できる栄養の量を増やして育ちやすくする。このあたりのブルートクラウトは細くて頼りないけど、あっちのスッキリしたところに生えてるのはここのよりもしっかりしてるでしょ」

 2人が俺の説明に合わせて目線を動かす。ハインツは何度か見比べて小さく感嘆の声をあげた。リーゼは一度見比べただけで違いが分かったらしく、どこか悔しそうに口を結んでいた。

「……詳しいのね」

「知り合いに詳しい人がいたからね」

 リーゼの言葉に簡単に答える。この知り合いというのは当然村にいたころの話だ。村ではメロンを作っていた。疎植と果実数の制限で品質を上げ、その品質でもって富裕層に人気だったのだ。数が獲れるわけではないため、村を裕福にするほどではなかったが。村で美味しさの理論を聞きかじっていたから、今回の話ができたというわけだ。

 俺たちはブルートクラウトがある程度まばらになるまで採取した。採りすぎても採らなすぎてもいけないため、塩梅はリーゼが主導した。採取が終わるころにはリーゼは得意げな表情を浮かべるようになっていた。知識だけあっても仕方ないでしょ、とその顔は物語っていた。

 採集を終えてから、俺たちは斜面を登り始めた。群生地からある程度森の奥に行ったところに、岩が露出した場所があった。

「シュタインヘルツはここ」

 岩の割れ目に、小ぶりな株がいくつか張り付いていた。葉は灰色がかった深緑で、光をほとんど反射しない。周囲の岩の色に溶け込んでいる。

 リーゼはシュタインヘルツのそばまで行ってナイフを手に取った。一瞬間をおいて刃に魔力が流れ込んだ。

「魔力を通さないと切れないの」

「……なるほど」

 リーゼは少々同情的な目を向けてきた。俺に魔力がないことが分かっているからだろう。同情できるあたり、まともな感性も持っていることに少し安心する。

 ハインツを見ると、彼はナイフを取り出していた。魔力を通そうとしている。不格好だが一応魔力は通っている。

「……あんたたちは見てて」

 リーゼが言った。ハインツの練度では不十分らしい。

 リーゼは下から2節目あたりに刃を当てた。触れ合った部分がわずかに歪んで見える。シュタインヘルツにも魔力が通っていて、互いに干渉しているのだろう。これを見るにシュタインヘルツの採取にはこの草の魔力密度を超える魔力を刃に通さなければならないようだ。

 結局採ったのは三株だった。

「これだけ?」

 ハインツが思わずというふうに言った。採取していない株をちらりと見やる。

「すぐに使わないと駄目だから必要な分だけ採るのよ。おばあちゃんに売るんでしょ?」

 リーゼの説明にハインツは納得した。いずれにせよ、今シュタインヘルツを採れるのはリーゼだけだ。俺たちが張り切っても仕方がない。


 俺たちはリーゼの案内でヴァルトラウト薬師の家に行った。

「お帰り。どうだった?」

 ヴァルトラウトは俺たちが来て早々リーゼにたずねた。

「まあまあね!」

「ほう、そうかい」

 リーゼが胸を張って答えるのをヴァルトラウトは微笑ましそうに見た。それから俺たちに目線を移す。

「どれくらい採ってきたんだい?」

 ハインツは背嚢から薬草を取り出して見せた。ブルートクラウトが17本で1.7束、シュタインヘルツは3本だ。今回は実質的にリーゼの成果だから俺たちはそれほど報酬はもらえないだろう。

「次からブルートクラウトは薬師ギルドに持ち込むようにしな。シュタインヘルツはうちに持ってくるようにね」

 ヴァルトラウトは俺たちから薬草を受け取ると、2グロッシェンの他に乳鉢と乳棒を差し出した。

「これから必要だろう?」

「いいんですか?」

 おそらく今回の薬草よりも価格が高い。

「子供が遠慮するもんじゃないよ」

「……ありがとうございます」

 俺たちが受け取ると、ヴァルトラウトはいたずらっぽく笑った。

「あんたたちが頑張ってくれればうちの孫が危ない真似をしなくて済むようになるからね。頑張っておくれよ?」

「何かあれば聞きに来なさい!」

 ヴァルトラウトの隣でリーゼが偉そうに言った。

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