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11話 野営


 町に鐘の音が響いていた。警戒を促す合図だろう。せわしなく行き交う人たちが目に映る。

「ヴァルトラウトさん、大丈夫かな」

 ハインツが言った。

「薬師ギルドから連絡があるんじゃないかな」

「一応行ってみよう」

 子供の俺たちにできることはないが、様子を見に行くくらいなら構わないだろう。

 薬師の家は市場から少し外れた路地にある。二人で向かうと、玄関の戸はしっかり閉まっていた。ノックすると、すぐに返事があった。

「開いてるよ」

 中に入ると、ヴァルトラウトは作業台の前に座っていた。薬草を刻む手は止まっていない。

「来たかのか。心配してくれたのかい」

「はい」

「薬師ギルドから使いが来てね、もう聞いた。避難の準備は済んでるし、今は傷薬を作れるだけ作ってる。お前たちのことも心配してたところだよ」

 ヴァルトラウトは刻んだ薬草を鍋に入れながら続けた。

「2人とも余計なことは考えるんじゃないよ。家でしっかり守られてな」

 俺は頷いた。ハインツも黙って聞いている。

 そのときだった。裏口のほうで、かすかに物音がした。

 ヴァルトラウトは気づいていない。ハインツも。

 奥をのぞき込むと空いた扉が締められるところだった。

「どうしたんだい?」

「たぶん、リーゼが出て行った」

「え」

 俺たちは奥へ足早に歩いて行った。やはりリーゼはいない。ハインツが扉を開けて辺りを見る。

「森に向かってる!」

 言うやいなや駆け出して行った。俺もすぐに駆け出す。後ろからヴァルトラウトが何か言っているのが感じられた。

「すぐ連れ戻します!」

 リーゼの背中はすでに遠くなっていた。


 リーゼは速かった。

 路地を抜け、町の外に出ても、その背中は縮まらない。魔力で身体を強化しているのだろう。身のこなしが俺やハインツとは明らかに違う。

 草地に入ると差はさらに開いた。ハインツが息を上げているのが見える。俺も同じだ。6歳の足では限界がある。

 森に近くなったところでハインツが足を緩めた。俺が追いついて、一緒に息を整える。

「……速いな」

 ハインツが息の合間に言った。

「たぶん群生地に向かってる。臭い消しを作っていこう」

 森に入ると木立が日を遮り、視界が狭くなった。リーゼの姿はもう見えない。俺たちは警戒しながら歩いた。


 群生地に着いたとき、リーゼはブルートクラウトの前にしゃがんでいた。比較的密集しているところにいる。この間採取したばかりだからそれほどたくさんはとれないだろう。

 俺たちが近づく音に気づいて振り返った。一瞬、表情が緩んだ。すぐに元の顔に戻る。

「なんで来たの」

「戻ろう」

「もう少しよ」

「ゴブリンの大群が来る。知ってるだろ」

「知ってる。だからよ」

 言い返す言葉はなかった。リーゼの言っていることは間違ってはいない。傷薬がさらに必要になるのは目に見えているし、猶予は2日しかない。今日中に材料を確保し、明日調合するのが理にかなっている。とはいえ、それをするのは俺たちの仕事ではない。

「帰ろう。ヴァルトラウトさんが心配してる」

 リーゼは少し黙った。採りかけのブルートクラウトを見て、それからナイフを鞘に戻した。

「……分かった」

 採った薬草を丁寧に布に包んでから立ち上がる。

「これを」

 臭い消しを差し出す。

「……ありがと」

 リーゼは素直に受け取った。森の入り口で出会えなかったから、臭い消しのことを忘れていたに違いない。


 来た道を戻り始めてすぐ、俺たちは足を止めた。

 低木の向こうに影が見えた。ゴブリンだ。3体のゴブリンがうろうろと動き回っている。偶然この道に出てきた個体か、あるいは大群の先触れか。いずれにしても、正面突破は無理だ。

「別の道にしましょう。遠回りだけど」

 リーゼが言った。

 いったん引き返して南のほうへ向かう。途中で西に折れて町に近づいていく。このまま行けば町の南側の入り口にたどり着くだろう。

 しばらく行くと、またもやゴブリンを見つけた。今度は5体もいる。

「こっちもか……」

 ハインツが低い声で言った。

「引き返すしかないね」


 最初の道に戻ると、ゴブリンはまだいた。

 それどころか、さっきより近い場所に移動していた。こちらの気配を察知したのかもしれないし、ただ偶然動いただけかもしれない。いずれにしても、通れる状況ではなかった。

「奥に行くしかない」

 どちらの道もふさがれており、最悪の場合挟み撃ちにあってしまう。いったん東に逸れて一般に使われている道に入るしかないと思われた。

 俺が言うとリーゼが頷いた。ハインツも黙ってついてきた。

 三人で森の奥へ向かった。ゴブリンによる挟撃の恐れがなくなるくらい深くまで来て、空を見る。うっすらと赤みがかっている。これから帰るには遅すぎる。

「野営しよう」

 俺が言うと、2人が驚いたように見てきた。

「ここから戻ってみてもいいんじゃないか?」

 ハインツが下った先を見ながら言う。

「戻ろうとした先にゴブリンがいたらまたこのあたりまで来ることになる。それから準備しても間に合わないよ」

「こっちの道にはいないんじゃない?」

「南のほうはともかく、北のほうはどっちの道もわりと近いところにあるでしょ。あのゴブリンたちが少し逸れただけで鉢合わせることになる」

「……」

 もちろん野営などしたくはないだろう。しかし、今の状況ではやむを得ない。


 ハインツに枯れ葉と細い枝を集めさせ、リーゼには太めの枝を折って地面に並べるよう指示した。地面からの冷えを少しでも防ぐためだ。防風になりそうな岩の陰を選び、三人が横になれる程度の場所を確保した。

 リーゼは言われた通りに手を動かした。ハインツは要領が分からず俺に確認しながらやっていたが、文句は言わなかった。

 焚き火は起こさない。あのゴブリンたちが先触れだとしたら他にもいるはずだ。町から離れているとはいえ、ゴブリンが近くにいる可能性がある以上、光と煙は危険だ。

 食事は付近で摘んだ野草と、魔法で作った水だけだった。腹は満たされないが、何もないよりはましだ。

 臭い消しを新たに三人分作り、それぞれに渡す。森にいるのはあのゴブリンだけではない。いくら暗くとも臭いをまき散らしていては危険だ。

 俺たちは黙々と臭い消しを塗っていく。

 塗りながら、俺は意識が朦朧としていくのを感じた。今日は一日中動いていた。体力は限界に近い。森の暗さも相まって起きているのがつらい。

「……ごめんなさい」

 ふいにリーゼがぽつりとつぶやいた。その声を俺はどこか遠いところで話されているかのように聞いた。頭の中にもやがかかったようだ。

「……悪いのは俺だ」

 ハインツの声がする。

「でも――」

「俺が大人を呼ぶべきだったんだ」

「……でも、私がこんなとこに来なければ」

「それでもだよ」

「……」

「だって、俺が一番お兄さんじゃないか」

 俺は反射的に何かを思いかけた。それが形になる前に限界がきた。意識が切れた。夜。

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