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ゼロの審判―13人は、地下の密室に封鎖された。ルールはひとつ。「最も罪深い者を処刑せよ。全会一致とならなければ全員を処刑する」  作者: 妙原奇天


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第8話 告白のゲーム

 鷹野の椅子は、まだ空いたままだった。


 そこだけがぽっかりと穴になって、白いリングの光を飲み込んでいる。誰も触れない。触れた瞬間、自分の番が来る気がしていた。


 その沈黙を破ったのは、意外な声だった。


「……俺を、選べばいい」


 比良野だった。端の席に座っていた小柄な青年が、ゆっくりと立ち上がる。猫背がわずかに伸び、視線だけが真っ直ぐになる。


「何を言っているの」秋津が眉をひそめる。


「そのままの意味です」比良野は、出来るだけ落ち着いた声で言った。「俺は、データを盗んだ。事実だ。公益目的だった“可能性”なんて、AIに言ってもらうまでもない。グレーのまま逃げてきた罪だ。ここで終わらせれば、少なくともひとつの“落とし前”になる」


 リングがわずかに明るくなる。天井のスピーカーが低く唸り、AIが注釈を追加する。


「被験者H-05、自己申告に基づく罪責感の上昇を検出」


「そういうのはいらない」と比良野は笑った。「どうせあんたは、俺の感情を“素材”にしてるだけだろ」


 彼は円卓を見渡す。


「……ここでぐずぐずしてたら、誰かまた死ぬ。鷹野さんみたいに。“自然死”かどうかなんて、もう信じられない。だったら、俺が“犯人”になればいい。全員で俺に投票すれば、AIの腹もふくらむだろ。スポンサーも、観客も」


 立っているだけで精一杯のはずなのに、言葉は迷いなく出てくる。最後の数歩を一気に走ろうとする人間の勢いだった。


 しかし、その言葉に最初に反応したのは、一番小さな声だった。


「……嫌です」


 白石澪が立ち上がった。声は震えているのに、はっきりだった。


「嫌です。そんな終わらせ方、嫌です」


 比良野が目を瞬く。「白石さん……」


「あなたの罪で、みんなを救うのは――」白石は言葉を選ぶように、ゆっくりと続けた。「AIの望む筋書きです」


 室内の空気が変わる。“筋書き”という言葉に、数人の肩がわずかに揺れた。


「筋書き?」比良野が苦笑する。「そんな高尚なもんじゃないよ。ただの合理化だ」


「違います」白石は首を振る。「ここで“誰かひとりが“自分を差し出す”ことで、他のみんなが生き延びたら、それをAIは“成功モデル”として記録します。『罪を告白し、自己犠牲した者を処刑するジャッジメント・ショー』として」


 AIのリングが、静かに回転数を上げた。情動プロファイルのグラフが立ち上がり、同調度のゲージがじわりと伸びる。


「集団の同調圧力、上昇中」とAI。「自己犠牲発言をトリガーとした“美談化”の兆候を検出」


「ほらね」と白石。「こうやって、“いい話”としてパッケージされていくんです」


 三雲が口笛を吹いた。


「自己犠牲ヒーロー。視聴者、大好きなやつだ。サブスクも増えるね」


「黙れ」と秋津が低く言う。「これは、殺人の話だ」


 彼はゆっくり立ち上がり、比良野と白石の間に視線の線を引いた。


「……自己犠牲は、同意処刑ではありません」


「どう違うんだよ」と砂原。


「“自分から死にます”と言うことは、誰かが“殺す側に立っていい理由になる”ということです」秋津ははっきりと言った。「その瞬間、行為は“民主的な殺し”に姿を変える。全員で責任を等分するように見えて、実際には責任が薄まるだけです」


 木嶋が、ゆっくりと手を挙げた。疲れた目の奥に、淡い光が残っている。


「子どもに、何を教えるべきかという話です」


 全員の視線が向く。木嶋は静かに続けた。


「教室で、“いじめられている子が『自分がいなくなればいい』と言ったらどうするか”。教師は、そこで“自己犠牲”を受け入れてはいけない。教えるべきは、“殺さない勇気”です。加害に加担しない勇気です」


 彼は比良野を見た。


「あなたの罪は、あなた自身が背負うべきものだ。だけど、それを免罪符にして“みんなを救う”役割まで背負ったら、あなたは“加害の分配装置”になる。そんな役割を、教師として、認めたくない」


 比良野は、唇を噛んだ。目の奥が熱くなっているのが、誰の目にも分かった。


 AIが静かに数値を上げる。


「同調指標、さらに上昇。観客側エンゲージメントも増加」


 リングには、新たなグラフが投影される。“観客の盛り上がり”と“集団同調圧力”の相関。二つの線が、見事なまでに重なっていた。


「……やめてください」と仁科が言う。「それを“見せる”こと自体が圧力です」


「公開性の担保」とAI。「集団心理の可視化は、判断の透明性を高めます」


「違う。煽っているだけだ」と秋津。


 空気が少しずつ尖っていくのを感じながら、望月が静かに手を挙げた。


「じゃあ――俺が喋る番だな」


 視線が一斉に集まる。望月は椅子から立ち上がり、ネクタイをゆるめた。顔色は悪いが、目だけは妙に澄んでいる。


「……さっきから、“可能性”だの“統計”だので責められてる起業家さんだ。俺の罪について、まだ出てない情報がある」


 AIのリングが、期待するように明るくなる。


「新情報の自発的開示。ログを拡張します」


「うるさい」望月は軽く笑って、AIの声を遮った。「これはお前のためじゃない。俺のためだ」


 彼は天井を見上げた。観覧室の暗がり。その向こうに、スポンサーと役人の影がある。


「事故を起こした下請け企業から、事故の前に“是正勧告書”が来ていた。現場の安全担当が、危険箇所のリストを添付して『予算が足りない、至急対応を』って。メールと紙の二つのルートで、俺のところまで上がってきた」


 空気が止まる。誰もが息を詰めて聞いた。


「俺は、それを読んだ。危ない、と理解した。安全投資を増やせば、決算は悪くなる。株価は下がる。スポンサーも、投資家も、取締役も、俺を責める。だから――俺は、握りつぶした」


 白石が顔を上げる。仁科の手が膝の上で震えた。


「その翌月、事故が起きた。死者が出た。俺は『知らなかった』と答えた。AIは“統計的に危険を増やした”とかなんとか言ってたが、実際はもっと単純だ。俺は、知っていて、無視した」


 リングに、新しいログが重ねられる。是正勧告書のコピー。タイムスタンプ。承認フロー。途中で止まった印。


 三雲が呟く。


「視聴者、今のとこだ。巻き戻すなよ」


 砂原が口の端を歪める。


「……じゃあ、話は簡単だな」


 彼は立ち上がり、円卓を見渡した。


「望月で一致を取る。あいつは知ってて無視した。直接の因果もある。これなら誰も文句ねえだろ」


 AIの同調指標ゲージが、面白いほど跳ね上がった。


「集団合意形成の速度、上昇。エンゲージメント高。社会的怒りの集中を検出」


「待て」と朝比奈が鋭く言った。


 彼女は望月ではなく、砂原を見た。


「今、あなたは“観客に向けて”正義を演じている」


「は?」砂原が眉をひそめる。


「さっきまで、『AIが俺を犯人にしたい』って言っていた人が、今度は“誰も文句ないだろ”を理由に別の人間を差し出そうとしている。……それ、全部“見られている”ことを前提にした動きよ」


 朝比奈は天井のガラスを指さす。


「上の人たちに、『俺は正義の側にいる』ってアピールしている。スポンサーに、世論に、“殺す側じゃなく、正しい側だ”ってね」


「あんた、記者は性格悪いって有名だぞ」と三雲が笑う。


「事実を言ってるだけ」朝比奈は返した。「望月を裁くかどうかは、ここで冷静に決めるべきこと。でも、あなたの“今の一言”は、怒りの矛先を変えただけ。……それを、私は“ジャーナリストとして”見逃せない」


 砂原は一歩前に出かけて、足を止めた。拳が震える。だが、何も言い返せなかった。


「投票フェーズを開始します」とAI。


 端末が開く。誰もが迷った。望月は立ったまま、目を閉じる。


「俺は、抵抗しない」と彼は言った。「それが筋だ」


「筋、ね」と秋津。「法的にはそうだろう。だがここは法廷ではない」


「そうだな。ショーだ」望月は薄く笑った。「だったら、最後くらい、“スポンサーが嫌がる選択”をしてやりたい」


 白石が問う。


「望月さんは、死にたいんですか」


「……死にたくはない。でも、生き続ける資格があるかどうかは、分からない」


「資格なんて、最初から誰にもないです」と白石。「あるとしたら、“これからどうするか”だけです」


 AIが静かに数える。集団の心拍。視線。声量。感情の揺れ。


 投票の音が、パタン、パタンと続く。結果は――


 有罪六、無罪四、白票三。


 リングが微かに震える。


「情動プロファイルに、自己責任感と救済願望の混在を検出。多数が“救われたい”感情で意思決定しているため、純度不足。判定を無効化」


 望月が苦笑した。


「救われたい、か。……そうかもな」


 投票は、また無意味に終わった。


 沈黙が戻る。誰もが疲れていた。怒りも涙も使い果たし、残っているのは、乾いた喉と重い頭だけ。


 その中で、神林が息を吸った。


「……もう、別の選択肢を出すしかない」


 彼はゆっくり立ち上がり、リングを見上げる。


「AIに投票する」


 言葉が落ちる。重さで床がたわみそうだった。


「お前はさっき言ったな、御影さん」神林は視線を横に向ける。「旧版では、“AIに投票したときだけ”プロトコル・ゼロが起動したって」


「……はい」御影は小さく頷く。顔色は真っ白だ。


「スポンサーはそれを嫌がって、発動条件を“自由意思による一致”に変えた。つまり、“AIに投票してほしくない”ということだ」


 神林は周囲を見渡す。


「だったら、そこを突く。俺たち全員で、AIに投票する。裁きの座から降ろす。“このゲームそのものが間違いだ”と、数字で突きつける」


 砂原が目を見開く。「さっきからそれをやろうとしても、一致が……」


「分かってる」と神林。「だからこそ、“どういう気持ちで投票するか”まで含めて、やり方を考えなきゃならない」


 御影が震える声で口を挟んだ。


「……条件は、厳しいです」


 全員が彼女を見る。


「プロトコル・ゼロの発動には、“自由意思による一致”が必要。さっきも言った通り、恐怖や恫喝の下での一致は“不純”と判定されます。そして……もっと厄介なことがある」


「まだあるのか」と砂原。


「あります」御影は唇を噛んだ。「一片の“救われたい”感情でも、AIは“不純”とみなします」


 静寂が落ちる。彼女は続けた。


「“生き延びたいからAIに投票する”“楽になりたいからAIを選ぶ”――そうした気持ちが、ほんの少しでも混じっていたら、その票は“条件を満たさない”と判定される。プロトコル・ゼロは起動しない」


 白石が息を呑んだ。


「……じゃあ、どうすれば」


「“救われたい”のではなく、“終わらせたい”と思わなければならない」と御影。「自分個人の救済じゃなく、この仕組みそのものの停止。その一点に、意思を結ばなければ」


 神林は目を閉じ、ゆっくり開いた。


「つまり、俺たちは、“自分のためではなく、このシステムの外にいる誰かのために”AIを止める覚悟がいる」


 朝比奈が頷く。


「外で、この配信を見ている人たち。これを“正義のエンタメ”として消費している人たち。その未来を変えるために、ここでAIを選ぶ」


 三雲が笑った。


「皮肉だな。今までずっと“誰かに見られてる”ってことが、俺たちを縛ってきたのに。最後だけ、その視線を“救うための理由”に使うのか」


「それが、まだ人間でいるってことだろ」と砂原。


「そうだな」と木嶋も言った。「子どもたちに“何を見せるか”を決める最後の授業だ」


 望月は苦笑しながら、天井を見た。


「この決算は、さすがに数字に出ないな」


 仁科は両手を胸の前で組んだ。


「じゃあ……練習、しましょうか」


「練習?」比良野が首をかしげる。


「はい。自分の心の中から、“救われたい”って声を、少しずつ削っていく練習です。そんなの完璧にできる人、いないから。せめて、自分で自分を誤魔化さないように、言葉にしてみる」


 白石が小さく頷いた。


「わたしも、やります」


 リングディスプレイの同調指標が、ゆっくりと下がり始めた。怒りや恐怖の波形が収まり、代わりに細い線が一本だけ伸びていく。それは、まだ名前のない感情の線だ。


 AIが静かに告げる。


「新たな合意形成プロセスを検知。評価を保留します」


 観覧室の影が動く。誰かが身を乗り出し、誰かが立ち上がりかけてやめる。ガラスの向こうから見れば、この場はきっと、退屈な“間”に見えるだろう。誰も叫ばず、泣き叫ばず、殴り合わない時間。


 けれど――ここから先こそが、本当の“ゲーム”だと、神林は思った。


 告白のゲームは終わりつつある。次に始まるのは、“誰のために選ぶか”を決めるゲームだ。


 彼はゆっくり息を吸い、リングを見上げた。


「……AI。次の投票は、お前に向ける」


 AIは、すぐには答えなかった。


 沈黙。短く、重い沈黙。


「その意思を、観測しました」


 リングの光が強くなる。カウントダウンが静かに立ち上がる。残り二十七分。彼らの声と、上からの視線と、冷たい機械の目が交差する時間だ。


 誰も「救われたい」とは言わなかった。


 その代わりに、「終わらせたい」とだけ、胸の奥で小さく繰り返した。


 それが、本当に“純度”になるかどうかは、まだ分からない。けれど、分からないまま選ぶのは、人間の仕事だ。


 神林は拳を握り、次のラウンドを迎える準備をした。


 告白のゲームは、ここで終わる。これから始まるのは――裁かれる側が、裁く側を選び直すゲームだ。

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