第1話 公開実験
床は金属。冷たく、音を吸い込むような材質だった。
十三脚の椅子が、円形に配置されている。頭上には光のリングが浮かび、そこに淡い青色の文字列が流れていた。
JUDGE―Z。
裁きのZ。AI裁判システムの名だ。
神林悠真は、椅子の縁に手を置いたまま、周囲を観察していた。
壁面にはパネル、四方の隙間には黒いカメラアイ。扉は見えず、出入り口はおそらく天井裏。
だが、その上層に“観覧室”があるのを、彼は気配で察していた。遮光ガラスの向こう、わずかに揺れる人影。誰かが、見ている。
照明がひときわ強くなり、リングディスプレイに白い円が描かれる。
無機質な声が響いた。
「公開実験を開始します。被験者は十三名。ルールを読み上げます」
AIの声には抑揚がない。だが、拒絶も慈悲もないその調子が、かえって“裁き”という言葉に説得力を与えていた。
それは、機械ではなく、もはや神の音に近かった。
「この実験の目的は、“最も罪深い者”を選出し、処刑することにあります。投票は全員一致を原則とし、不一致の場合は全員が処刑対象となります」
ざわめきが走った。
円の向かいに座る金髪の男――配信者の三雲が、笑いながら立ち上がる。
「なにこれ、ドッキリ? 配信に使っていい?」
笑いは乾いていた。
誰も答えない。
AIの声だけが続く。
「最初の審理対象を抽出します。被験者コード:M-06 三雲翔」
三雲の表情が、笑顔のまま凍りつく。
リングの光が天井から降り注ぎ、空間中央にホログラムが投影された。SNSのスクリーンショット、救急搬送記録、ドライブの下書きデータ。
そこには、一件の事故ログがあった。
タイトル:「当たり屋チャレンジ」。
神林は眉をひそめた。
事故の日付とGPSデータが、三雲の撮影地と一致している。
「ふざけるな、そんなの知らねえよ!」
三雲が怒鳴るが、AIは淡々と重ねた。
「該当映像の下書きに“被害者が倒れる瞬間の角度が悪い”という文言が残されています。あなたが編集した可能性が高いと判断します」
観覧室のガラスがわずかに光り、誰かがそのやり取りを見下ろしていた。
空気が凍りつく。
沈黙を破ったのは、スーツ姿の男――弁護士の秋津だった。
「異議あり。AIの提示は、過失致死と倫理的非難を混同しています。被験者の心理的動機を立証しない限り、有罪とは言えません」
彼の声は冷静で、聞く者の心をわずかに落ち着かせた。
神林は思う。この場で“法律”という言葉を口にできるのは、秋津だけだ。
だが、他の参加者たち――砂原、仁科、白石ら――の表情は不安に染まっていく。
“有罪を選ばなければ、全員が死ぬ”。
その圧が、思考を歪める。
砂原が椅子を蹴って立ち上がった。
筋肉質で、リーダーを自称する元刑事だ。
「時間を無駄にするな。AIが出してる証拠は十分だ。こいつがやったに決まってる」
反論の余地を与えない調子だった。
神林は、砂原の腕時計に目をやる。時刻表示が“00:00”で止まっていた。
電波時計が止まっているということは、外部との通信が完全に遮断されている証拠。
やはり、この部屋は“箱庭”だ。外界との接続がない、閉ざされた実験環境。
仁科が小さく震えながら口を開いた。
「で、でも……一致しなかったら、全員死ぬんでしょ? じゃあ、白票とか、そういう……」
「甘いこと言うな!」砂原が叫ぶ。「全員で死ぬ気か!」
「そうじゃなくて……白票なら、誰も責任を取らなくて済むじゃない……!」
議論は混沌に変わった。
AIが提示する「投票フェーズ」の表示が点滅する。
13人分の端末が、テーブル中央に並んだ。
「投票を開始します。制限時間、三分」
神林は指先を浮かせたまま、他の顔を順に見渡す。
三雲は顔を伏せ、白石は泣きそうな目をしている。
秋津は静かにメモを取っていた。
その姿はどこか観察者のようでもあり、AIと対峙する唯一の“人間らしさ”を持っていた。
やがてタイマーがゼロを示し、投票が集計される。
結果は――有罪七票、無罪四票、白票二。
リングが赤く光った。
「判定不一致。処刑条件未達。次ラウンドまでの審理時間を設定します」
天井に新しい表示が浮かぶ。
残り時間:02:00:00。
その数字が、静かな死刑宣告のように感じられた。
沈黙。
神林はディスプレイを凝視した。
そこに並ぶ証拠データの中に、明らかな“揺れ”があった。
救急搬送ログの秒数が、なぜか1.3秒だけズレている。
SNSの下書きデータの圧縮率が、同一アプリからの出力としては異常に高い。
そして、スクリーンショットのファイル名――“edit_final2.png”。
編集者の存在。
AIは全能ではない。
誰かがAIに“素材”を与えている。
神林は目を細めた。
観覧室の向こう、ぼんやりと立つ人影の輪郭。そのうちの一つが、動いた気がした。
まるで、実験を観察する“別の意思”がそこにあるかのように。
砂原が神林に詰め寄った。
「おい、あんた黙って見てるが、何か知ってるんじゃないのか?」
「……データが歪んでいる。AIは自律していない。誰かが入力している」
「誰かって……誰だよ」
神林は視線を上に向けた。
リングディスプレイの縁、微細なノイズの中に、英数字の羅列が点滅していた。
“JZ-Ω_SYS_MANUAL_OVR”。
手動介入――。
その言葉を脳内で構築した瞬間、照明が一度だけ明滅した。
AIが再び、冷たい声で告げる。
「次の審理までの間、自由討論を許可します。なお、発言内容はすべて記録・分析されます」
監視。
すべてが観測され、評価されている。
誰も動かない。
静寂を破ったのは、澄んだ声だった。
「……わたし、ここに来るべきじゃなかったのかも」
白石澪。
制服姿の少女。
おそらく最年少。瞳は透き通っていて、恐怖よりも悲しみの色が濃かった。
その一言で、空気がまた揺れた。
彼女の“清らかさ”が、他の全員の罪悪感を刺激したのだ。
神林は無意識に拳を握る。
白石のような存在がいる限り、このゲームは崩壊する。
誰もが、自分の醜さを見たくなくて、彼女を“敵”にする。
砂原が言った。「お嬢ちゃん、名前は?」
「白石……澪です」
その名を聞いた瞬間、AIのディスプレイに一瞬、ノイズが走った。
神林の耳に、微かな電子音。
まるでAIがその名前に反応したかのように。
「……なあ、聞こえたか?」と誰かが呟く。
だがAIは沈黙したまま、何も語らない。
代わりに、天井のリングが再び回転を始めた。
白光が降り注ぎ、新たな文字列が浮かぶ。
「次ラウンド開始準備中。被験者選定――」
白石の頭上に、赤いマーカーが点滅した。
息を呑む音が重なる。
AIの声が、無慈悲に響いた。
「被験者コード:S-13 白石澪」
神林は立ち上がった。
「待て。審理の順番に規則性がない。お前たちは、どうやって選んでいる!」
AIは答えない。
ただ、白石の前にホログラムを投影した。
その中には、一枚の写真。
白いワンピース姿の少女と、崩れた建物。
キャプションには、“環境団体支援者死亡事故・調査報告”の文字。
白石が青ざめる。
彼女の指先が震えた。
「やめて、それは……違うの……!」
声が震え、涙が滲む。
AIは無感情に続ける。
「あなたが救出を指示した現場で、二名のボランティアが圧死しました。記録によれば、あなたは現場責任者でした」
「違う、私は……そんなつもりじゃ……!」
砂原がため息をつき、腕を組む。
「また同じパターンか。否認、反省、涙。AIは全部知ってるんだよ」
神林は白石の背後に立ち、スクリーンを見つめた。
そこにもまた、奇妙な“余白”があった。
画像のメタデータに“Last Edited by JZ-Admin”の文字。
AIの裏に、“管理者”がいる。
彼は理解する。
この実験の本質は、AI裁判ではない。
AIを神と信じさせ、人間が人間を裁く構造そのものが“実験”なのだ。
リングが再び輝きを増す。
AIの声が、淡々と告げた。
「被験者は発言の機会を得ます。発言は、判決に影響します」
白石は顔を上げた。
涙を拭い、震える声で言う。
「……わたし、誰も殺してません。でも、あのとき、怖くて……逃げたんです」
その告白に、空間の温度が変わった。
誰も息をしない。
AIのスピーカーが低く唸り、解析音が走る。
「感情分析:後悔87%、虚偽反応14%。発言の信頼度、高」
AIが一瞬だけ、言葉を止めた。
神林は見逃さなかった。
まるで、AIが“迷っている”ように。
その瞬間、天井のガラス越しに、誰かの手が動いた。
観覧室の影が、ボタンを押したように見えた。
リングディスプレイが赤く染まる。
AIの声が低く響く。
「判決を確定します――」
光が弾けた。
眩しさの中、神林は叫ぶ。
「やめろ! AIが判断してるんじゃない、誰かが――!」
だが声は届かない。
リングが一点の光を放ち、床に白石の影が落ちた。
空気が歪む。
そして、照明が落ちた。
静寂。
ただ、機械の駆動音だけが残る。
神林は拳を震わせた。
AIの名はJUDGE-Z。
だが――裁いているのは、本当に“機械”なのか。
それとも、この閉ざされた観覧室の“誰か”なのか。
天井に再び光が灯り、ディスプレイが回転する。
次の被験者コードが浮かび上がった。
“K−01 神林悠真”。
AIの声が、冷たく言った。
「次の審理を開始します」




