第18話 翌朝、距離が近い
「さあ……俺にもわからないけど、たぶん、危なかったから」
「それだけですか?」
「……それ以上なにかいるの?」
デナの指が、また少し止まった。
「私は一度、すべてを失いました」
静かな声だった。
「脚を失って、剣を奪われて、団長の地位も、仲間も、自分の価値さえ失ったと思っていました」
髪を撫でる指が、今度はとても優しくなる。
「でも、あなたはすべてを私に返してくださいました」
「……そんな大仰なことじゃない。俺はただ、元々デナのものを戻しただけで」
「大仰なことです。今まで、そんなふうにしてくれようとした人すら、誰一人として居ませんでした。……だからこそ、私は怖いのです」
「何が?」
「いつか再び、すべてを失うことが」
目を開ける。
デナは俺を見下ろしていた。
昼間、ヴァイスへ向けていた冷たい目とはまるで違う。
「もし私がまた怪我をして、戦えなくなったら。あなたの役に立てなくなったら……お傍に居ることすら、叶わなくなるのではないでしょうか」
ああ。
まだそんなことを気にしてたのか。
「いいよ。怪我したって」
即答した。
「戦えなくなったって、俺の傍に居て」
デナの瞳が揺れる。
「本当に?」
「怪我したなら治すし、治るまで休めばいいだろ。疲れたなら寝ればいい。前にも言ったけど、身体はずっと同じ調子じゃないんだから」
前世でも同じだった。
痛みが強ければ負荷を下げ、疲れていれば休んでもらうことも重要だ。
できる範囲からまた少しずつ動かして、戻していくんだ。
「使えなくなったから捨てるなんて、もったいないこと言わないで」
「……ふふっ」
デナが笑った。
「そこは、優しくするからとは言ってくださらないんですね」
「……俺、善人じゃないし」
「はい。存じています」
「そこ即答する?」
「ふふっ、天下の外道大魔術師と謳われる方が、今更何を」
「そうだけど」
「ですが」
髪へ触れていた指が、今度は額をそっと撫でる。
「私にとっては、誰より優しい方です」
金色の髪が頬へ落ち、その向こうにある顔も近い。
「……エルブルス様」
「何?」
「今夜は、このまま眠ってください」
「膝しびれるよ?」
「構いません」
「俺頭重いし」
「構いません」
「明日歩けなくなったらリハビリやり直しだけど」
「それは困ります」
「じゃあ途中でどかして」
「……嫌です」
小さな声だった。
でも、はっきり聞こえた。
「今夜くらいは、私にあなたを守らせてください」
その頃には、眠気が限界まで来ていた。
「じゃあ……お願い」
「はい」
髪を撫でる指が、またゆっくり動き始める。
柔らかな太腿と風呂上がりの温度、甘い香り、そして頭を撫でる手。
魔王城に来てから一番無防備なのに、不思議と怖くなかった。
「おやすみ、デナ」
「……おやすみなさいませ、エルブルス様」
意識が落ちる直前。
額へ何か柔らかいものが、ほんの一瞬だけ触れた気がした。
指だったのか。
それとも、別の何かだったのか。
確かめようと思った頃には、もう意識は微睡みの中に落ちていた。
*
翌朝。
目を覚ますと、俺はいつもの寝台の上で丁寧に布団までかけられていた。
デナも同じ寝台の上、ほとんど座ったままの姿勢で眠っている。
俺の手を、両手で包むように握って。
「……何してんだ、デナ」
そっと手を抜こうとした。
その瞬間。
眠っていたはずのデナの指が、俺の手を握り直した。
「……行かないでください」
「起きてる?」
返事はない。
寝言らしい。
結局、その手を無理に振りほどく気にはなれなかった。
あと少しくらいなら、いいか。
そう思ってもう一度寝台へ身体を沈めると。
眠ったままのデナが、ほんの少しだけ幸せそうに笑った。
【あとがき】
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