第6話 『黎明の聖女』
俺たちは焼け焦げた森を抜け、共和国の国境都市へと向かっていた。
魔力枯渇で動けないエレアノールは、ヴィオラに小脇に抱えられて運ばれている。
「ちょっと! なんなのよこの扱いは! 放しなさいよこの気狂い女! 私の高貴なドレスにシワが寄るじゃない!」
「黙れ、負け犬。本来なら足首を掴んでその顔面を地面で削ってやっても文句は無いのですよ? マコト様の温情に感謝することですね」
「クッ……! 殺す殺す殺す……ッ!」
屈辱にまみれ手足をバタバタとさせるエレアノールを、ヴィオラは涼しい顔で無視している。
傲慢な強者が駄々をこねる子供のように扱われている絵面は、なかなかに滑稽だった。
◇
国境都市の城壁が見えてくる頃には、エレアノールの魔力も歩ける程度には回復したらしい。
ヴィオラに地面に放り捨てられたエレアノールは、不機嫌そうにドレスの砂を払い、俺たちの後ろをトボトボとついてきた。
やがて、都市の巨大な正門へと辿り着いた。
俺たちが門をくぐろうとすると──
「止まれ。入国審査だ」
門を警備していた衛兵たちが、槍を交差させて俺たちの行く手を遮った。
「身分証を提示しろ。さもなくば入国は認められない」
事務的な口調だ。
だが、その目線は俺たちの身なりを値踏みするように全身を這い回っていた。
当然、俺たちは身分証など持っていない。
「……代わりにこれで通してくれないか」
俺は懐から銀貨を数枚取り出し、衛兵の手に握らせる。
「ほう……」
衛兵は銀貨の重みを確かめ、満足そうな顔を浮かべた。
が、すぐにわざとらしく眉をひそめてみせた。
「残念だがこれでは足りんなぁ。身分証なしの入国には特別審査料がかかる。一人あたり金貨一枚。三人分で三枚だ」
金貨三枚。
それは都市で何不自由なく一ヶ月は暮らせるほどの大金のはずだ。
入国審査にそんな大金がかかるわけがない。
こいつらが吹っかけているのは明白だった。
「生憎、そんな金は持ち合わせていない」
「ならば入国は不許可だ。どうしても金を払わないというのなら──」
衛兵は顎をしゃくって高圧的に言い放った。
「不法入国の容疑で身柄を拘束させてもらうぞ?」
分かりやすいクズどもだ……
まともな対話は無駄だと悟り、俺は溜息をついた。
「ヴィオラ」
「はい、マコト様」
「少しだけ脅せ。殺すなよ」
「かしこまりました――」
ヴィオラが一歩、前へ出る。
ズンッ……!
ほんの僅かにヴィオラから闇のオーラと殺気が漏れ出した。
それだけで、周囲の空気が一瞬にして凍りつく。
「ヒッ……!?」
衛兵たちの顔が恐怖に染まり、腰を抜かす。
握りしめていた銀貨が衛兵の手からこぼれ落ちる。
だが、ヴィオラの殺気に反応したのは衛兵たちだけではなかった。
「そこまでにして頂けますか?」
突如として、その場に凛とした声が響いた。
一陣の風と共に、一人の女騎士が俺たちの前に降り立ったのだ。
女は白銀に輝く甲冑をまとい、腰には長剣を携えている。
長く伸びた銀髪が風に煽られ、透き通るような蒼い瞳は俺たちを真っ直ぐに捉えていた。
だが、俺の目を引いたのはその容姿ではなかった。
女の全身から放たれる圧倒的なオーラは、エレアノールの紅蓮の炎とも、ヴィオラの漆黒の闇とも違う。
高潔で純粋な、すべてを優しく包み込むような純白の光だ。
それは俺に、闇夜を照らし出す満月の輝きを想起させた。
本能が、眼前の女騎士が桁外れの強者であると警鐘を鳴らしている。
すると、俺の後ろでエレアノールが素っ頓狂な声を上げた。
『ゲエー!?』
『どうした!?』
俺が小声で問うと、エレアノールは冷や汗を流しながら耳元で囁いた。
『あいつは共和国のミスリル級、テレシア・レイ・ユースティア! 戦場で何度も殺し合った宿敵よ!』
どうやら共和国に着いて早々、とんでもない大物に遭遇してしまったらしい。
しかもヤツはエレアノールの顔見知りだ。
正体がバレれば面倒なことになるな……
テレシアは腰を抜かした衛兵たちを見渡した後、俺たちの顔を順に見ていった。
そしてエレアノールに目を留めた瞬間、その蒼い瞳に微かな疑問の色が浮かんだ。
「その金髪に長い耳……あなた、もしや王国の……!?」
俺が固唾を呑んだ、その時だった。
エレアノールはもじもじと身をよじらせ、舌足らずな声で言い放った。
「ふえぇ? わたし、お姉さんのことなんか知らないよぉ?」
「…………は?」
俺の口から、思わず素の声が漏れた。
ヴィオラも肩をプルプルと震わせ、必死に笑いを堪えている。
あの傲岸不遜な大魔女が完璧な子供の役を演じきっている。
その裏で、エレアノールの心が羞恥と屈辱に染まっているのが手に取るように分かった。
「……そうですよね。こんな可愛らしい少女が、あの忌まわしい『火葬の魔女』の筈がありません。失礼しました、エルフの方は珍しいもので……」
テレシアは微笑みを浮かべ、あっさりと納得してしまった。
エレアノールの魔力が弱体化していることも、見た目の幼さも、奇跡的にこの場では味方になったらしい。
「な、なぜユースティア様がこんな辺境の都市に……!?」
衛兵の一人が声を震わせながらテレシアに問いかけた。
「仕事で隣の都市に滞在していたのですが、なにやら不穏な気配を感じたので様子を見に来ただけですよ」
テレシアは涼しい顔でそう言いのけた。
「な……! 馬車で三日はかかる距離をこの一瞬で!?」
そのやり取りを聞いた俺は戦慄した。
テレシアの驚異的な身体能力に対し、俺はさらに警戒度を跳ね上げる。
テレシアは穏やかな微笑から表情を一変させると、衛兵たちに向かって無慈悲に告げた。
「あなた方には日頃から良からぬ噂が絶えませんでした。治安維持局局長として、職権乱用を現行犯で断罪します。相応の処分を覚悟しておいてください」
衛兵たちは目を見開き、顔を青ざめさせた。
「さて……」
テレシアの蒼い瞳が、俺を真っ直ぐに射抜いた。
それは値踏みでも警戒でもない。
まるで俺の中身を覗き込むような、不思議な視線だった。
数秒の沈黙の後、テレシアは静かに口を開いた。
「随分と、深い絶望を背負っていらっしゃるのですね」
「……ッ!?」
一目見ただけで俺の過去を見抜いたかのようなテレシアの言葉に、思わず絶句してしまった。
「……一体なんのことでしょう。俺たちはただの旅人ですよ」
しかし、テレシアは引かない。
「この目に映るものは全て救うのが、私の騎士としての矜持です。そんな悲しい目をした方を放っておくことなどできません」
それは裏表の一切ない、純粋な善意だ。
一点の曇りもないその言葉が、俺には痛いほどに眩しかった。
テレシアは懐から一通の封筒を取り出し、俺に差し出した。
「これは……?」
「私の名が記された紹介状です。これがあれば、この国で不当な扱いを受けることはないでしょう。どうか、旅のご無事を……」
テレシアはそう言い残すと、俺たちを正門から見送った。
◇
俺は封筒を見つめながら、ため息をついた。
入国を手伝われた形にはなったが、俺の心にあるのは感謝ではなかった。
テレシアの放つ光は、俺の魂とは絶対に相容れない。
あの眩しさは、ひどく息苦しかった。
俺は傍らに控えていたヴィオラを見つめる。
俺のために平気で人を殺し、俺のすべてを無条件で肯定してくれる、唯一絶対の味方だ。
「マコト様、何か御用ですか……? そんなに無言で見つめられては照れてしまいます……」
ヴィオラは頬を染め、恥ずかしそうに微笑む。
「いや……やっぱり俺には、お前しかいないなと思っただけだ」
それは本心からの言葉だった。
あの眩しすぎる光よりも、俺はこの温かな闇と一緒にいる方がずっと心地がいい。
「!! マコト様ぁ……っ♡」
狂喜したヴィオラが俺の腕に抱きついてきた。
「気味が悪い……反吐が出そうだわ……」
俺たちはエレアノールの悪態を無視して、共和国へと足を踏み入れた。




