【幕間】 魔女の黄昏
王国西方の荒野。
乾いた風が吹きすさぶ荒涼とした大地の一角に、あまりにも場違いな豪奢な天幕が張られていた。
その外には、王宮の一室かと見まがうようなテーブルと椅子。
テーブルの上には煌びやかなティーセットと焼き菓子が並んでいる。
一人の少女がその椅子に腰かけ、優雅に紅茶を嗜んでいた。
真紅のドレスに漆黒のマント。頭には黄金のティアラ。見た目は十代前半ほどに幼く見える。
だが、その金髪からはみ出た長く尖った耳が、彼女が長命種たるエルフであることを物語っていた。
「はぁ、そろそろこの仕事にも飽きてきたわね……さっさと亜人どもを皆殺しにして、王都で研究の続きをしたいわ……」
退屈そうにこぼされた独り言に、天幕の入り口に控えていた兵士たちが恐怖で身体を震わせる。
その理由は、彼らの眼前に広がる光景にあった。
荒野を埋め尽くすほどの亜人――数千は下らないオークの軍勢。
そのすべてが、物言わぬ黒焦げの焼死体となって地に伏しているのだ。
その殺戮をたった一人で実行した少女は、優雅に紅茶の香りを楽しんでいた。
彼女の名は、エレアノール・ヴィクトーリア・イグニス・フォン・アインワーズ。
レガリア王国のミスリル級魔術師にして、 『火葬の魔女』の二つ名であらゆる存在に畏怖される、周辺国家最強の存在である。
そのエレアノールのもとに、一人の伝令兵が息を切らせて走ってきた。
伝令兵はエレアノールの目の前まではせ参じると、地面に頭をめり込ませるほどの勢いで平伏し、一通の封筒を差し出した。
「ア、アインワーズ様! 司令部より緊急の伝令です! 特級非常事態宣言が発令されました!」
特級非常事態宣言。
その言葉を聞いた兵たちに大きな動揺が走る。
だが、エレアノールは無関心そうに「あっそ」とだけ呟いて封筒を受け取ると、無造作に封を破いて、中身に目を通す。
『ガストン率いる王国軍第五部隊が謎の賊二人組によって壊滅。
敵戦力は推定白金級以上。
大至急討伐せよ』
「フフフ……アハハハハハ!!! 面白い! 面白いじゃないの! こういうのを待っていたのよ!」
エレアノールが歓喜に満ちた笑い声をあげた瞬間、周囲の全員が恐怖で凍りついた。
「白金級以上の謎の敵……ふふっ、いいわ。私の実験相手に最適ね」
エレアノールの真紅の瞳の奥に、暗い嗜虐の光が宿る。
「せいぜい、私を楽しませてちょうだいね……?」
アッハッハッハッハ!!!!!
荒野に響き渡る、無邪気で狂気的な笑い声。
その場の全員が、底知れぬ人外の狂気に心を壊されぬよう、ただ必死に平静を保つので精一杯だった。
◇
レガリア王国王城、謁見の間。
重厚な扉が開き、一人の少女が大広間に姿を現した。
「遅いぞ、アインワーズ! 余を待たせるとは何事か!」
王国軍総司令官、バルバロス伯爵が二重顎を震わせて金切り声を上げる。
そんな言葉などまったく意に介さず、エレアノールは優雅に浮遊したまま入室する。
その姿は、この場にいる誰よりも圧倒的に、支配者の風格を漂わせていた。
エレアノールは、虚ろな目で玉座に座る国王を一瞥すらせず、宙に浮いたままバルバロスを見下ろした。
「うるさいわね。用件は手短に伝えなさい。私の時間は、あんたの無駄な脂肪よりずっと貴重なのよ」
「貴様……!」
バルバロスは怒りで拳を震わせているが、王国最強の魔女に逆らえるはずもなく、顔を引きつらせたまま地図を広げた。
「……辺境の村でガストン隊を全滅させた賊が、共和国へ向けて逃走している。直ちに追撃しろ」
「パスよ。そんな退屈なお使いなんか御免だわ」
エレアノールはバルバロスの命令を鼻で笑うと、空中でくるりと踵を返した。
「ま、待て! 報酬は用意してある!」
エレアノールの背に向かってバルバロスが叫んだ。
「古代魔導炉の管理権限を、全て貴様に譲渡しよう!」
古代魔導炉。
それは軍部が兵器転用を目論んで独占していた、古代文明の遺物だ。
「あら。あの玩具、やっと手放す気になったの? ……いいわ。交渉成立ね」
そのまま誰の許可も待たず、エレアノールは謁見の間を退出した。
◇
王城の回廊を進むエレアノールの視線の先に、壁に飾られた巨大な絵画が映った。
エレアノールは空中で歩みを緩め、一瞬だけ、その絵に描かれた人物と目を合わせた。
「……悪いわね。あんたの作った国、もうボロボロみたいだわ」
その声は、先程までの傲岸不遜な態度とは別人のような哀愁に満ちていた。
◇
『俺の夢はな、エレア! 自分の国を作ることなんだ!』
『バッカじゃないの!? いくらあんたが強いからって、出来ることと出来ないことの区別くらいつけなさいよ!』
『男に生まれたからには、でけえ夢を持たないと生きる甲斐がないってもんよ! ガッハッハッハ!』
『フフッ。あんたとは長い付き合いだけど、中身は子供の頃からちっとも成長しないのね』
『……なぁ、エレア。頼みがあるんだ』
『え?』
『もし俺が国を作ったら、その国に住んでくれないか? 俺が死んでも、国は残る。お前には、それを見守っていてほしい──』
『呆れた。そんなことは、まず国を作ってから頼みなさいよ。……ま、いいわ。もしあんたが夢を叶えたら、考えてあげてもいいわよ』
『本当か! 約束だぞ! エレア!』
『だから、まずは国を作るのが先でしょうが!』
『ああ! 俺は必ず成し遂げてみせる! だから俺が死んだ後は頼んだぞ、エレア! お前は確実に俺より長生きするからな! ガハハハハ!!!』
『ええ、そうね。レガリス……』
◇
――そして、あの馬鹿は本当に夢を叶えてしまった。
心底楽しそうに夢を語る唯一の友の声は、あれから四百年経った今でも、はっきりと耳の奥に残っている。
エレアノールは回廊の窓枠を抜け、バルコニーの縁にふわりと降り立つ。
眼下には、初代国王の名を冠した王都、レガリスの街並みが広がっていた。
城壁には苔がむし、崩れた箇所が修繕されることもなく放置されている。
遠目からでも街には活気がなく、どんよりとした停滞感が漂っていた。
玉座に座る友の子孫はお飾りの王に過ぎず、国を動かすのは己の私腹を肥やすことしか頭に無い豚ばかり。
斜陽――それが、このレガリア王国の現状だった。
「まあ、今の私にはどうでもいいことだけれど……」
それでも彼女がこの国に留まっているのは、友との約束を守り続けているからなのか。
それとも、魔術の研究のために国を利用しているだけなのか。
その本心を知る者は、もはや誰もいない。
エレアノールは、何の躊躇もなくバルコニーから身を投げ出した。
「……この仕事が終わったら、久しぶりに墓参りにでも行ってあげるわ」
【熱循環飛行】
彼女の周囲が超高温となり、爆発的な上昇気流が生まれる。
漆黒のマントが翼のように大きくはためいた。
エレアノールは燃え盛る赤き流星となって、黄昏に染まる空を一直線に飛翔する。
その先に、彼女の四百年の研鑽を打ち砕く怪物が待ち受けていることなど、知る由も無く。




