第28話 片腕
王国の東端。
帝国との国境に位置する広大な荒野を、一台の豪奢な馬車が進んでいた。
遠くには、天を突くような巨大な山脈がそびえ立っている。
あれが王国と帝国の国境線というわけか。
司令官の話では、帝国から王国に攻め入るには必ずこの荒野を越えなければならないらしい。
ならば、こちらから出向いて直接帝国軍を迎え撃ってやろうというのが俺の考えだった。
◇
エレアノールとヴィオラが帝国軍の先陣を壊滅させ、ガルノフと交戦してから数日が過ぎていた。
だが、その間に帝国軍の動きが止んだ気配は無い。
司令官曰く、帝国軍は更なる侵攻に向けて着々と軍備を整えているという情報が王国の間者から入ってきているとのことだ。
俺の悪い予感が当たってしまった。
噂通り、帝国の若き皇帝は本物の暗君らしい。
一時は俺とヴィオラを殺しかけた『火葬の魔女』エレアノールと、命令を果たせず復讐の怒りに燃えるヴィオラ。
皇帝はこの二つのミスリル級戦力を相手に戦争を続けるつもりのようだ。
なんとも愚かなことだ。
俺が帝国の重鎮なら今頃頭を抱えて本気で亡命を検討していただろうな……
◇
日が傾き、荒野の空が夕焼けに染まっていく。
「アインワーズ様、今夜はここで野営されますか?」
兵士がエレアノールに恭しく声をかけた。
先日の戦場から俺たちに同行している十数名の王国兵の一人だ。
「……それは、アイツらに聞いてくれる? 残念だけど、私に決定権は無いのよね……」
馬車の横を飛行しながらついてきていたエレアノールが、不貞腐れた様子で力なく答えた。
「かっ……かしこまりました! マコト殿、いかがいたしますか……?」
王国兵が俺の顔色を窺いながら聞いてくる。
「そうだな。今夜はここで夜を明かすとするか。それでいいか、ヴィオラ?」
「はい。マコト様の仰せのままに」
「という訳だ。支度を頼むよ」
「は、はい! 直ちに!」
俺の言葉を受けた王国兵たちはテキパキと馬車から荷物を運び出し、あっという間に立派な野営地を完成させた。
それは俺が生前ドキュメンタリー番組で見たことのある、遊牧民族のテントのような頑丈な円形の造りをしていた。
「夜間の見張りは我々が行いますので、御三方はどうぞ中でご休息なさってください」
「ん、ご苦労さん」
俺は王国兵に手を振ると、ヴィオラと共にテントの中に入った。
後ろからエレアノールがフワフワと浮きながら着いてくる。
テントの中は、王国の守護神であるエレアノールのために気を利かせたのか、戦場には似つかわしくない上等なベッドやソファまでもが備え付けられていた。
俺とヴィオラはベッドに腰を下ろし、エレアノールはソファに寝転がる。
ここ数日移動を続けてきたが、すっかりこれが俺たちの定位置となっていた。
「山脈が近いせいか夜は冷えるな……ヴィオラ、もう少しくっついてくれないか?」
「は、はい、マコト様……」
俺はベッドの上で毛布に身体を包みながら、ヴィオラの身体を抱き寄せた。
ヴィオラの纏う闇の魔力が直接俺の体内に染み渡り、冷え切った死体の身体を内側からじんわりと温めていく。
「……あんたら、仮にも男と女がベッドの上でくっつき過ぎじゃない? 私がいることを忘れてないわよね……?」
ソファに寝転んだエレアノールが、顔だけをこちらに向けて視線をぶつけてきた。
「余計なことを言われなくても、お前が想像してるようなことにはならねえよ。なあ、ヴィオラ?」
「まったくです。私たちの崇高な関係性を理解するのは、この下等種族には少々難しいようですね」
「誰が下等種族よ! 誇り高きエルフよ私は! クソが、すっかり元に戻りやがって……お前は帝国の犬に逃げられてしょげてるくらいが丁度良かったのに……」
エレアノールが拳を振り回して騒ぎ立てる。
確かに、ヴィオラはすっかり元に戻った。
あの日、子供のように泣きじゃくっていた姿が嘘のように、冷酷な視線をエレアノールに向けている。
だが、ヴィオラの奥底には未だに激しい感情が渦巻いているのを俺だけが感じていた。
俺の命令を遂行出来なかった自分自身への怒り。後悔。そして、ガルノフへの純粋な殺意。
今度会えば、ヴィオラは間違いなく自身の全魔力を解放してあの狼男の首を獲りに行くだろう。
だからこそ、俺はあえて以前とは真逆の命令を下さなければならなかった。
「ヴィオラ。帝国のガルノフのことだがな……」
「はいっ! 今度こそマコト様の命令を完璧に遂行し、あの犬の首を斬り落として献上させて頂きます!」
ベッドの上で俺と顔を合わせているヴィオラが、紫紺の瞳を輝かせながらハキハキと答えた。
「お前のその気持ちは嬉しい。だが、悪いがその命令は撤回する。切り落とすのは首じゃなくて、片腕くらいにしておけ」
「なっ……! なぜですか、マコト様!? まさか私では力不足だと判断されて……?」
ヴィオラが酷く狼狽した。
「アハハハハハ!! 笑えるわね気狂い女! 自分のご主人様に頼りにされない気持ちはどう?」
ソファに横になっているエレアノールが、心底嬉しそうに腹を抱えて笑い声をあげた。
「…………」
「ガッ!? ギャアアアァァ!!!!」
ヴィオラは無言のままエレアノールを睨みつけ、首輪を作動させた。
「ア、アインワーズ様!? 如何なされました!?」
テントの外の王国兵たちが入り口から大声で呼びかけてきた。
「あー気にするな、少し女神様と戯れてるだけだ」
「は……ハッ! 失礼しました!!」
王国兵をあしらい、痙攣して床に転がるエレアノールを放置し、俺はヴィオラの目を見つめながら語りかける。
「それは違うぞヴィオラ。俺はあれから考えたんだ。共和国に拠点を置く俺たちにとって、ガルノフが死んで帝国に崩壊してもらっちゃ困るんだよ」
「それは……なぜでしょうか?」
「帝国には、北の最果ての『聖教国』と共和国との間の緩衝国になってもらう必要があるからだ」
ノーシス聖教国。
それは大陸の最北端に位置し、王国と帝国の両国に国境を隣接する、東西に長い領土を持つ大国だ。
長年完全な鎖国政策を貫いており、四百年以上生きているエレアノールですらその内情は深く知らないらしい。
分かっているのは、王国が建国される以前から聖教国は存在しており、その頃から鎖国政策は始まっていたということだけだ。
だが、もしも帝国のミスリル級が全滅し、大陸のパワーバランスが崩れれば、聖教国が共和国と直接国境を接することになるかもしれない。
俺は共和国と、聖教国という得体の知れない大国との間に、帝国という防波堤を残しておきたいと考えていた。
「お前の気持ちは痛いほど分かる。俺だって、お前を泣かせたガルノフは殺してやりたい。だが大局を見据えて、今回は片腕だけで勘弁してやろう」
俺はヴィオラを抱き寄せ、その華奢な背中を撫でてやった。
「マコト様がそう仰るのであれば、私に異論はございません──かしこまりました! では、愚かな帝国の犬の前足を斬り落とし、それを献上させて頂きます!」
ヴィオラが紫の瞳をキラキラと輝かせる。
「ああ。頼りにしてるぞ、ヴィオラ。お前ならきっとできる」
俺はヴィオラの背中を撫でた。
メイド服の生地がサラサラと心地よい。
布地越しに、ヴィオラの小さく、しかし確かな、頼もしい背中の存在を感じる。
「ふーん……手加減して腕だけ切り落とすなんて、ミスリル級も舐められたもんね。ガルノフは生かすってことは、もう一人のイリーナとかいう小娘は殺してもいいってこと?」
床に転がっているエレアノールが、顔を引きつらせながら問いかけてきた。
「いや、イリーナは殺さずに共和国に持ち帰る。だからガルノフには死なれちゃ困るんだ」
「はああぁ!!? 殺さず持ち帰るですって!? 相手は仮にもミスリル級よ!? 誰がそんな面倒臭い戦いしなくちゃいけないのよ!
分かってるわよ! どうせ私に押し付けるんでしょ! それで私に拒否権は無いんでしょ!」
エレアノールが怒りをぶちまけ、叫び散らかしている。
「よく分かってるじゃないか。『聖炎の女神』様の御力、存分に発揮してくれよ?」
「……なんか、お前にその二つ名で呼ばれると急に小っ恥ずかしくなってきたからやめてくれない? なんなのよ女神って……私はただのエルフよ……」
エレアノールがブツブツと文句を言いながら爪を噛んでいる。
最近、魔道具開発や術式研究の労働でストレスが溜まっているのか、よく爪を噛む姿を見るようになった。
『女神』様のこんな情けない姿を、外で見張りをしている王国兵が見たらどう思うんだろうな……
俺はそんなくだらないことを考えていた。
「はぁ……『白雷の美姫』だっけ? 帝国の小娘にも同情するわ。こんな最悪な男に目をつけられるなんて……」
「雷魔法の使い手で、しかもミスリル級の実力の魔術師だ。そんな便利な駒、手元に置いておかない理由が無いからな。力尽くでも一生こき使ってやる」
「うげぇ……」
エレアノールが舌を出しながら、心底苦々しそうな顔を浮かべた。
そして、顔も知らない敵国の若き魔術師にして、将来の同僚の運命に思いを馳せているのか。
エレアノールは胸の前で手を組み、何やら真剣に祈りを捧げていた。




