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【幕間】 老将の慚愧

「……では失礼いたします、陛下」

 

 玉座の間の重厚な扉が、皇帝直属の騎士たちの手によって静かに閉ざされた。

 扉が完全に閉まりきった瞬間、バルトヘイムは、深く、重い溜め息を吐き出した。


「バルトヘイム総監……陛下は……」


 扉を守る騎士の一人が、すがるような視線で恐る恐る尋ねる。

 バルトヘイムは無言のまま、ゆっくりと首を横に振った。

 それだけで結果を悟った騎士たちは、顔に手を当て、一様に沈痛な面持ちを浮かべた。


 ◇


(陛下は本当に現状を理解しておられるのだろうか……? 『魔女』のいる王国を敵に回すなど……)


 バルトヘイムは頭を抱えながら、王城の長い廊下を歩き出した。


(そもそも、今回の侵攻にも私は反対だったのだ。『魔女』の行方不明が王国の偽装工作である可能性は最後まで捨てきれなかった。結果は案の定だ……) 


 まさか王国の上層部がこのような軍事作戦を実行するなど、歴戦の老将であるバルトヘイムですら確信は持てなかった。

 そのために強く反対意見を言い出すことができず、皇帝の強引な言葉に押し切られて侵攻を開始してしまったのだ。


 だが、理由がどうあれ『魔女』を敵に回すのは余りにも愚かな行為だ。

 あの化け物の前では、数多の兵も洗練された軍略も、何もかもが文字通り灰と化してしまう。


(その上、ガルノフの報告が確かなら、王国にはもう一人新たなミスリル級相当の戦力が現れたことになる。

 陛下は我が国の軍事力を過大評価しておられるのではないか……? 

 いくら実力はミスリル級とはいえ、あの小娘は実戦経験の無い貴族の令嬢に過ぎん……)


 重い足取りで廊下を進むバルトヘイムの前に、ふと大きな影が立ち塞がった。

 赤茶色の毛並みを持つ狼の獣人だ。


「よう、帝国軍総監ともあろう御方がどうなされた? バルトヘイム――いや、オヤジ殿?」


 帝国のミスリル級(最高戦力)、『血染めの獣王』ガルノフ・ディ・バーゼントが、バルトヘイムに向かって気さくに声をかけた。


「これはこれは、バーゼント殿。貴殿こそこんな所で何をしておる?」


「その呼び名は勘弁してくれ、オヤジ殿」


 ガルノフが照れくさそうに頭を掻いた。


「いやなに、俺も陛下に直接進言しようと思ってな。この戦争、『魔女』に匹敵するレベルのミスリル級が絡んでくるとなると、流石に俺も黙っちゃいられねえ」


 だが、バルトヘイムは力なく肩をすくめ、ガルノフに向かって首を横に振った。


「やめておけガルノフ。陛下に我々の言葉は届かんよ。このワシが言うのだから間違いない」


「そうか……オヤジ殿の言葉すら……では、陛下は……」


「うむ。王国と本気でやり合う気らしい」


「カーッ! 何を考えておられるのだ陛下は! あのババアに加えて、大剣使いのメイドもいるのだぞ! 今回の侵攻は本気でヤバいぜ!」


 ガルノフが頭を掻きむしりながら忌々しげに吐き捨てる。


「大剣使いの……メイド、だと?」


「ああ、そうだ。オヤジ殿には俺から直接話しておいた方がいいな。ババアの相手をしようとした途端、いきなり現れたメイド服の女……あれはかなり若いな。うちの『美姫』様よりも若い。そのメイドに馬鹿デカい大剣で斬りかかられたんだ」


「ふむ……それほどの強者が王国に潜んでおったとは。大剣使いということは、共和国の『聖女』と同じ闘士(ウォリアー)のクラスで肉体強化をしているのか?」


「いや、それにしては纏っている魔力のオーラが異様だ。俺の鼻が言うんだから間違いねえ。あれは純粋な闘士(ウォリアー)じゃねえな。魔力を体だけじゃなく、大剣にも纏わせてやがる」


 ガルノフが鼻を鳴らしながら答えた。

 バルトヘイムは、ガルノフの持つ超人的な嗅覚と森祭祀(ドルイド)としての魔力感知能力を高く評価し、信頼していた。


「ということは、武器に魔力を付与する聖騎士(パラディン)のクラスか?」


「いや、あの魔力は聖騎士(パラディン)とも違うな。俺の森祭祀(ドルイド)でもない。今まで感じたことの無い異質な、禍々しい魔力だった……あれは例えるなら、『闇』そのものって感じだな。出来るなら二度と相手にしたくねえ」


 歴戦の獣王、ガルノフは腕を組みながら顔をしかめている。


「ふむ……お前ほどの男にそうまで言わしめるとは……王国の『黒衣のメイド』は余程の使い手のようだな。そのレベルで我が国の『美姫』よりも若いとは末恐ろしい……」


 バルトヘイムが深くため息をついた、その時だった。


「私がどうかしたかしら?」


 高く、澄んだ声が廊下に響いた。

 二人が声の方向を向くと、そこには一人の若い女が数人の供回りを連れて立っていた。


 腰まで伸びた美しい金髪のロングヘア。

 フリルがふんだんに装飾された純白のドレス。

 室内だというのに、手には純白の日傘を差している。


 だが、それはただの傘ではない。

 彼女が帝国の技術の粋を結集させて作らせた、神器にも匹敵する性能を誇る特注の『杖』であることを二人は知っていた。


 彼女こそ、帝国のもう一人のミスリル級。


 『白雷の美姫』、イリーナ・エル・ヴァンダルシア・アストレイだ。


「ご機嫌よう、バーゼント殿、元帥殿。随分と楽しそうだったけど、なんの話をしていたのかしら?」


 イリーナが日傘を傾け、笑みを浮かべて問いかける。


「ご機嫌よう、アストレイ殿。我々は貴殿がいかに美しいかについて意見を交わしていた所なのだよ」


 ガルノフは手を払い除けながら、適当な返事を返す。


「嘘をおっしゃい。全部聞こえていましたわよ?」


 イリーナは口角を吊り上げ、ギリッと拳を握り締めた。


「王国に私より若いミスリル級がいるんですって? 『魔女』だけでも忌々しいというのに、ますます王国が憎くなってきましたわ……!」


「アストレイ殿こそ、こんな所まで何の御用かな? まさか、貴殿も陛下に停戦の進言を?」


 バルトヘイムが尋ねると、イリーナは不思議そうに首を傾げた。


「停戦? 何を言っておられるのかしら元帥殿は?」


「……む?」


「私は陛下に、私を『魔女』と早く戦わせて頂けるようお願いしに来たのですわよ」


 その言葉に、バルトヘイムとガルノフは自身の耳を疑った。


「なっ……!?」


「正気か貴様は!!?」


 ガルノフが思わず声を荒らげる。


「イリーナ嬢……貴殿はまさか『魔女』に勝てると本気で思っているのか……?」


 バルトヘイムが震える声で問うと、イリーナはさも当然かのように胸を張った。


「当たり前でしょう? この私を誰だと思ってるのですか? 名門アストレイ家にして帝国のミスリル級、『白雷の美姫』ですわよ? 

 王国の『魔女』など過去の遺物だということを、この私が世界に思い知らせる必要がありますわ」


 それは自身の力を疑うことを知らない、若さと万能感に酔いしれた言葉だった。

 それを聞いた瞬間、バルトヘイムの背筋に悪寒が走った。


(帝国は最早、手遅れなのかもしれない……)


 統一戦争に明け暮れ、我ら軍人が戦後処理にかまけて後進の教育を蔑ろにしてきた。

 その最悪のツケが今、帝国の命運を懸けたこの盤面で回ってきたというのか──


 バルトヘイムは何も言えず、ただ頭を抱えていた。

 ガルノフは額に手を当て、呆れ果てて天を仰いでいる。


「……二人とも、どうかしたのかしら? 具合でも悪いのですか?」


 歴戦の猛者二人がなぜこのような顔を浮かべているのか──

 温室育ちの『美姫』は、心の底から理解できない様子で、無邪気に小首を傾げていた。

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