第27話 暗君
戦場の風が吹き抜ける天幕に、二つの影が舞い戻ってきた。
ヴィオラとエレアノールだ。
だが、二人がまとう空気はあまりにも重く、淀んでいた。
特にヴィオラの様子がおかしい。
酷く落ち込んでいるのか、その姿は小さく萎縮しているように見えた。
それに狼男の死体もない。
二人とも手ぶらだ。
「ヴィオラ、どうしたんだ?」
俺が声をかけると、ヴィオラはビクッと肩を震わせ、力なくその場に膝をついた。
「マコト様、申し訳ありません……! 私は、マコト様のご命令を果たすことができませんでした……!」
ヴィオラが消え入るような声を絞り出した。
「ハッ! 大見栄切って飛び出していったくせに無様ね!」
宙に浮かぶエレアノールが、上空からヴィオラを嘲笑する。
「…………」
だが、ヴィオラは一切の殺気も怒気も放つことなく、暗い顔のままだ。
エレアノールに反論すらしようとしない。
「それを言うならお前もだろ。なんで二人がかりで逃げられてるんだ?」
「う、うるさいわね! あの犬っころは昔っから逃げ足だけは一流なのよ! あんな武人みたいな態度のクセに、絶対最後には尻尾巻いて逃げるんだから! 笑っちゃうわよね!」
エレアノールは顔を真っ赤にしてガルノフへの文句をまくしたてる。
だが、その言葉こそがガルノフという男の実力を物語っていた。
この化け物と何度も殺し合い、五体満足で逃げ切っているという事実。
そして戦力差を見極め、躊躇なく撤退を選択できる冷静な頭脳。
ガルノフは今まで遭遇したどの敵よりも厄介な相手かもしれない。
何より、ヴィオラという伏兵の情報を帝国へ持ち帰られてしまったのは痛手だな……
俺が思考を巡らせていると、足元からヴィオラの悲痛な叫びが聞こえてきた。
「マコト様……マコト様のお役に立てない私に、生きる価値などあるのでしょうか……!?」
ヴィオラは子供のように声を上げて泣きじゃくっていた。
漆黒のメイド服に涙が落ち、ボタボタと大粒の染みを滲ませている。
「この失態は必ず償います! ですから、どうか私を、マコト様のお側にいさせてください……! 私を……見捨てないでください……!」
ズキンッ
すでに止まっているはずの俺の心臓に、鈍い痛みが走った。
「……馬鹿野郎」
俺はゆっくりと膝をつき、震えるヴィオラの身体を引き寄せた。
そのまま背中に手を回し、力強く抱きしめる。
「見捨てるだとか、そんな悲しいことを言うなよ……俺は、お前がただ生きているだけで嬉しいんだ」
「マコト様……!」
「これからも俺の傍にいてくれ、ヴィオラ」
俺は泣きじゃくるヴィオラをあやすように、優しく語りかけた。
「…………ッ!」
ヴィオラが俺の胸にすがりつき、力強く抱きしめ返す。
泣き声が止み、天幕に静寂が戻るまで、俺たちはただ抱き合い続けた。
「……いつまでやってるのよ。気色悪いわね」
頭上から、心底呆れたようなエレアノールの声が降ってきた。
「ヴィオラ、やっていいぞ」
俺がヴィオラの背中を撫でながら静かに呟くと――
「ガッ……!? ギィィィッ!!? ガァァァァッ!!!」
空中に浮かんでいたエレアノールが突然白目を剥き、首を掻きむしりながら地面に墜落した。
地面をのたうち回り、口から泡を吹いて痙攣している。
「落ち着いたか? ヴィオラ」
「はいっ! お見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ありませんでした……ありがとうございます、マコト様」
涙を拭い、赤く腫らした目を細め、ヴィオラが笑みを取り戻した。
「ア、アインワーズ様ー!!?」
「おいっ! 治癒魔法の使い手を呼べ! 今すぐだ!」
「アインワーズ様! お気を確かに!!」
突然泡を吹いて倒れたエレアノールを目の当たりにし、王国兵たちが慌てふためいている。
俺とヴィオラはそんな喧騒をよそに、互いに見つめ合い、静かに笑みを交わした。
◇
「クソが……私を放置して浸ってんじゃないわよ、この気狂い主従め……」
エレアノールは王国兵たちによって天幕の長椅子に寝かされていた。
頬をげっそりとこけさせ、ゼェゼェと荒い息を吐きながら恨み言を漏らしている。
「なんだ? もう一度喰らいたいのか?」
俺が視線を向けると、エレアノールはピタリと口を閉じ、サッと顔を背けた。
「さて、では今後の話をしようか。司令官殿、あんたはこの戦争をどう見る?」
俺は司令官に本題を振った。
「は、はい……王国に侵攻してきた帝国軍は、アインワーズ様とヴィオラ殿のご活躍で壊滅的な被害を受けました。
そもそもこの戦争は、帝国がアインワーズ様の不在を突いて起こしたもの。アインワーズ様が王国にご帰還なされた今、もはや継戦の理由は無いはずです」
そう語る司令官だったが、俺は真逆のことを考えていた。
「エレアノール。帝国には二人ミスリル級がいると言っていたな。そいつらについて詳しく教えろ」
「一人はさっきの獣人、ガルノフ・ディ・バーゼントよ。ここ数十年、帝国の軍事力の要を担ってる古株ね。
もう一人は数年前に新しく認定されたばっかの小娘よ。直接殺し合ったことがないから、そいつのことは詳しく知らないのよね」
司令官がエレアノールから話を引き継いだ。
「僭越ながら、そこから先は私から……もう一人のミスリル級の名はイリーナ・エル・ヴァンダルシア・アストレイ。
上位貴族出身でありながら帝国魔導学院を飛び級で卒業し、ミスリル級認定を受けた雷魔法の使い手です。
アストレイは主に国内の治安維持にあたっており、戦場に出向いたという報告はありませんので、アインワーズ様がご存じないのも無理はないかと……」
俺は二人のミスリル級の情報と、アンから聞いていた帝国の現皇帝の噂を脳内で整理した。
「この戦争、どちらかの国のミスリル級が倒れるまで終わらないかもな……」
俺の言葉を耳にした王国兵たちが動揺し、天幕にざわめきが広がる。
「マコト殿、その根拠は……?」
司令官が眉をひそめて俺に問いかけた。
「あくまで噂だが、帝国の皇帝はプライドが高く傲慢で、国内に圧政を敷いているらしい。
今あちらから停戦を宣言するのは皇帝の威厳に泥を塗る行為だ。感情に任せて、採算度外視で侵攻を続けるかもしれない。
それに、向こうにはまだミスリル級がもう一人いる。皇帝が自国の戦力を過大評価している可能性は高い」
「恐れながらマコト殿、いくら皇帝が暗君とはいえ、アインワーズ様のおられる我が国を攻めるほど愚かではないでしょう。
アインワーズ様は四百年もの間、我が国を守護しておられた女神様ですぞ?
その御力の絶大さは、周辺諸国の者なら幼子でも知っています」
「そうだといいがな……俺としても、戦争なんざさっさと終わらせて報酬を頂きたいんだ」
戦争を早く終わらせたいのは本音だったが、ヴィオラを泣かせたツケをガルノフに支払わせなければ俺の気が収まらないのも事実だった。
俺は心の奥底に怒りを燻ぶらせながら、司令官を真っ直ぐに睨みつけた。
「お前、約束は覚えてるだろうな?」
司令官は、自分が俺の要求に対して首を縦に振ったことを今頃思い出したのか、サーッと顔を青ざめさせた。
「約束は違えてくれるなよ、司令官殿。でなければ……」
俺は傍らに控えるヴィオラと、長椅子に横たわるエレアノールへ視線を移す。
「こいつらの刃と炎が、王国に向くことになるぞ」
「ヒッ……」
天幕の王国兵たちが恐怖で身体を震わせる。
「ちょっと! なんで私がそんなことに手を貸す前提に――ギャアァァァッ!!?」
声を荒らげたエレアノールの首輪が再び作動し、白目を剥いて床に転がり落ちた。
ビクビクと痙攣する自国の守護神の姿を見て、司令官の顔が凍りついた。
「分かったか?」
俺が改めて問い直すと、司令官は滝のような冷や汗を流しながら、無言でコクコクと小さく頷いた。
◇
ヴァルザード帝国、王城。
目が痛くなるほど鮮やかな真紅の絨毯が敷き詰められた玉座の間。
室内を彩る黄金の調度品と、色とりどりの宝石が埋め込まれた絢爛豪華な玉座は、見るものに圧倒的なまでの権力と富を誇示しているかのようだった。
「陛下! 失礼致します!!」
重厚な扉が開かれ、一人の老人が息を切らしながら入室してきた。
帝国軍元帥にして総監を務める男、ゲオルグ・ディ・バルトヘイムだ。
バルトヘイムは玉座の前で膝を折り、深く傅いた。
歴戦の傷跡が刻まれたその顔には、隠しきれない苦悩と焦燥が滲んでいる。
「陛下、先程前線より報告が上がりました!
突如として我が軍の侵攻上に、行方をくらませていたはずの『火葬の魔女』が出現!
更に、謎の大剣使いの女が現れ、たった二人の手によって王国を侵攻中だった部隊が壊滅させられました!」
バルトヘイムは肩で息をしながら必死で言葉を続ける。
「異変を察知し戦場に駆けつけたバーゼントが両名と交戦しましたが、戦力差を不利と判断し撤退を余儀なくされました!
陛下、我が軍の被害は甚大です! バーゼントの証言と現場の報告を照らし合わせると、王国に『魔女』が帰還しただけでなく、新たにミスリル級相当の戦力が現れたことになります!
恐れながら此度の戦争、もはや継続は……」
頼む。どうか、この現実を受け入れてくれ――
バルトヘイムは神に祈るような思いで玉座を見上げた。
だが――
「何を言うか、バルトヘイム! 貴様ほどの猛者がそのような泣き言をほざき、醜態を晒しては、我が軍の士気に関わるであろうが!!」
帝国の若き支配者、第二代皇帝、レーヴェンヘルツ・シュトルム・ゼル・ヴァルザードが吠えた。
「『魔女』? 謎の大剣使い? それがどうした! 二人のミスリル級を抱える我が帝国こそが大陸最強である! カビの生えた老いぼれの王国なぞ、『血染めの獣王』と『白雷の美姫』の前に沈めてしまえ!!!」
玉座の間に皇帝の咆哮が響き渡る。
(――やはり駄目だったか)
バルトヘイムは心の中で血の涙を流し、深く絶望した。
『魔女』を擁するだけでなく、新たに謎のミスリル級相当の戦力が現れた王国を相手にした、戦争の継続。
それが致命的な悪手であることを、歴戦の将であるバルトヘイムは深く理解していた。
「……かしこまりました、陛下。我が軍の総力をもって、王国を討ち滅ぼしましょうぞ……」
バルトヘイムは顔を上げ、自らの心を殺しながら威勢のいい言葉を放った。
「ウムウム、それでよい! それでこそ帝国軍人じゃ! その意気を忘れるなよ? ハッハッハッハッ!!」
ヴァルザードはバルトヘイムの言葉を鵜呑みにすると、満足げに頷き、高笑いをあげた。
バルトヘイムは再び顔を伏せると、真紅の絨毯を見つめながら、心の内で思いの丈を吐露した。
(初代皇帝陛下は誠に素晴らしい、真の皇帝であったというのに……
何故その御子息である陛下は、これほどまでに愚かなのだ……)
皇帝の無邪気な歓声が響く中、老将はただ一人、帝国の行く末を憂いていた。




