第2話 掃除
俺たちは人里を目指し、森の中を歩き続けていた。
「失礼します、マコト様。少し立ち止まっていただけますか? お召し物に汚れが……」
「ん? ああ、いいけど……」
ヴィオラはハンカチを取り出すと、俺の着ていたジャージを丁寧に拭き始める。
「ヴィオラ、そこまでする必要あるか? ただの安物のジャージだぞ?」
「いいえ! マコト様に仕えるメイドとして、そのお召し物のどんな些細な汚れも見逃すことは許されません!」
真剣な顔で俺の襟元を正すヴィオラの紫の瞳が宝石のようにキラキラと光っている。
距離が近い。吐息が首筋にかかるほどだ。
俺は黙ってヴィオラの好きにさせていた。
俺は生前、他人に身体を触れられることが嫌いだった。
だが、なぜだかヴィオラに触れられるのは不快に感じなかった。
むしろヴィオラがこうして近くにいると身体の芯が温まり、氷が溶けるように気分が和らいでいく。
「……よし! 完璧でございます、マコト様!」
「ありがとう、ヴィオラ」
何気なく頭を撫でてやると、ヴィオラはうっとりと俺の手の感触に浸っている。
満足そうなヴィオラの顔は幼い子供のようで、少し愛らしく思えた。
「さ、行くぞ」
「はい! マコト様!」
ヴィオラは嬉しそうに俺の隣に並んで歩き出す。
すると、ヴィオラがおずおずと、俺の袖の端をつまんできた。
俺が何も言わずにいると、やがてその白く細い指が、俺の袖から手首へ、手首から手のひらへと、少しずつ移動してくる。
手を繋ぎたいなら、最初からそう言えばいいのに……
俺への忠誠心に染まりきっているのに、自分の気持ちを伝えるのは苦手なのか……?
ヴィオラの情緒はよく分からないな……
俺の方から手を握ってやると、ヴィオラは小さく「ひゃっ!」と声を上げた後、俺の手をぎゅっと握り返してきた。
繋いだ手のひらから、心地よい温かさが俺の身体に広がっていくのを感じた。
◇
俺たちはそれからしばらく森を歩き続けた。
すると幸運にも、木々の向こうに小さな村が見えてきた。
だが、村の入り口には物々しい空気が漂っている。
そこに居座っているのは、武装した数人の男たちだ。
装備の統一感からして、野盗の類ではなくどこかの国の正規兵だろう。
そして遠目からでも、彼らが村人から強引に金品や食料を巻き上げているのが見えた。
怯えて逃げ惑う村人に、兵士たちは笑い声を上げながら暴行を加えている。
「よし、まずは俺が村に入れてもらえないか奴らと交渉してみる。ヴィオラは俺の傍で控えていてくれ。絶対にこっちから手は出すなよ?」
「かしこまりました。しかし決して無理はなさらないでください……もしもの時はいつでも私にご命令を……」
目的さえ果たせれば、奴らの蛮行に首を突っ込む気は無かった。
俺は極めて友好的な態度で、村の入り口にいた兵士の一人に声をかける。
「すみません、俺たちは通りすがりの旅人なんですが……」
それまで談笑していた兵士たちの声がピタリと止まった。
そして、この世界では見慣れぬ衣服であろうジャージ姿の俺を訝しむようにジロジロと覗き込む。
だがその視線は、すぐさま俺の背後へと移動した。
「……おお?」
兵士たちの空気が変わった。
全員がヴィオラの全身を舐め回すように陰湿な視線を這わせている。
「おいお前。その女、どこで拾ったんだ?」
「……は?」
「聞こえなかったか? その女だよ。いくらで買ったか聞いてんだよ」
それは俺の返答など待つ気もないような、語気の強い口調だった。
「通行料の代わりに、その女は俺たちが一晩預かってやるよ。心配すんな、朝には返してやるからよぉ?」
兵士たちはゲラゲラと下卑た笑い声を上げた。
まるで凌辱を当然の権利だと思い込んでいるような態度だ。
その瞬間──あの日、俺を裏切り、全てを奪った人間の顔が、目の前の兵士と重なった。
冷静に考えれば、彼らの態度は至極当然のものだ。
いきなり見慣れぬ風貌の怪しい人間が現れて、すんなり話を聞いてもらえるはずが無かった。
考えが甘かったのは俺の方だ。
それは理性では理解できた。
だが、俺の感情がそれを許さなかった。
ここで俺が引けばこの場は収まるだろう。
だがそれでは、前の世界と何も変わらない。
俺は一度死んだ人間だ。
なら、この世界では俺の思うままに、自由に《《生きて》》やる。
ヴィオラは俺のものだ。
もう二度と、誰にも、俺から何も奪わせない。
俺は兵士たちのオーラを観察した。
こいつらのオーラは、ろうそくの火のように小さく頼りない。
一方、背後のヴィオラからは暗黒のオーラが殺意と共に嵐のように渦巻いていた。
俺は後ろを振り向くと、静かに口を開いた。
「ヴィオラ。こいつら、『掃除』できるか?」
心配そうに俺を見つめていたヴィオラの顔が、満面の笑みで弾けた。
まるで、その言葉を心待ちにしていたかのように。
「はい、マコト様! お任せください! 塵一つ残さず、すべて掃除してみせましょう!」
「おいテメエら! 何を訳の分からねえことをくっちゃべってんだ!」
怒り狂った兵士の一人が、俺に向けて強烈な蹴りを放った。
だが、それが俺の身体に届くことは無かった。
兵士の足は、膝から先が綺麗に無くなっていたからだ。
「ぎゃああああ!!! 足が! 俺の足がああああ!!!」
足を切り落とされた兵士が血だまりの上をのた打ち回っている。
ヴィオラが一瞬で俺と兵士の間に割り込み、手刀でその足を鎧ごと切断したのだ。
「ゴミ虫が……貴様今、マコト様に何をしようとした……?」
それは可憐な少女の口から発されているとは思えないほど冷たく、殺意に満ちた声だった。
兵たちは恐怖で完全に萎縮し、震えあがっている。
「【虚空の武器庫】……!」
ズズズッ……!
突如として、空中に漆黒の大穴が開いた。
ヴィオラはその穴に手を入れると、柄のようなモノを握りしめ、引き抜く。
取り出されたそれは、刀身だけでヴィオラの背丈を優に超える、分厚く、巨大な漆黒の大剣だった。
ヴィオラはそんな代物を片手で軽々と持ち上げている。
「な、なんだコイツ……!?」
「やめろぉ! 近づくなぁッ!」
「ヒィッ!? ギャアアアァァ!!!」
ザンッ! ザシュッ!! ズシャァッ!!!
ヴィオラは大剣を薙ぎ払い、兵士たちを次々と切り刻み、肉塊へと変えていく。
優美な漆黒のメイド服に一滴の返り血も浴びることなく殺戮を繰り広げるヴィオラの姿は、夜会で舞踏を舞う令嬢のようだった。
俺は、俺の命令でヴィオラに人を殺させた。
だが恐怖や罪悪感は一切感じない。
代わりに俺の胸の奥に去来したのは、奇妙な安堵感だった。
ああ、ヴィオラの力は本物だ。
俺の味方は、圧倒的に強い。
◇
入り口の兵たちを皆殺しにした俺たちは、そのまま村の広場へと足を踏み入れた。
騒ぎを聞きつけた残りの兵士が続々と殺到するが、誰一人としてヴィオラに触れることすらできない。
広場が切り刻まれた兵たちの血で赤黒く染め上げられた、その時だった。
「何事だ!!!」
村の奥から、巨大な両手剣を携えた大男が現れた。
黄金に輝く全身鎧を装備しており、立ち昇るオーラもこれまでの雑兵とは格が違う。
大男は広場に転がる兵士の残骸を一瞥しても尚、眉一つ動かさなかった。
「……ほう。俺の部下達を、随分と派手にやってくれたな」
生き残った兵士たちが一斉に大男の背後へ逃げ込む。
「た、隊長……! 助けてください! あの女が……!」
「黙れぇい!!!」
その一喝で兵士たちは口を閉じた。
大男は両手剣を抜き放ち、名乗りを上げた。
「我が名はレガリア王国軍第五部隊隊長、ニール・クリプト・ガストン。……貴様ら、この誇り高き紋章が目に入らないのか?」
ガストンが鎧の胸元を叩く。
そこには獅子を象った紋章が刻まれていた。
ガストンの登場によって、生き残った兵たちの士気が回復していくのが伝わってくる。
だが、俺の目には既に結果が見えていた。
「ヴィオラ、アレも問題無いな?」
「無論でございます。マコト様」
「よし、やれ」
「かしこまりました――さあ、かかってきなさい。ゴミ虫共の親玉」
だが、ガストンはすぐには動かなかった。
広場に散乱する部下の死体と、それを一人で作り出した目の前の謎の女。
そして、その背後で平然と立っている俺。
ガストンの目が俺とヴィオラの間を行き来する。
「……なるほど。貴様を操っているのは後ろの男か?」
ガストンが両手剣を構え直す。
その切っ先はヴィオラではなく、俺に向いていた。
「お前ら、あの男を殺せ!」
号令とともに、生き残っていた兵士たちが一斉に俺に向かって走り出す。
ガストン自身も地を蹴り、ヴィオラの横を擦り抜けて俺に迫った。
だが。
その瞬間、ヴィオラの纏う空気が一変した。
「マコト様に刃を向けただと……?」
それは純粋な殺意が振動となって響いたかのような、絶対零度の声色だった。
ヴィオラの身体が一瞬で消えた。
俺が瞬きをする間に、ヴィオラは俺とガストンの間に割り込んでいたのだ。
「【暗黒障壁】」
暗黒の障壁が俺たちを囲むように展開される。
突撃してきた兵士たちが障壁に激突し、跳ね返されて無様に地面を転がった。
ガストンだけは辛うじて急停止し、両手剣を上段に振り上げていた。
「喰らうがいい! 【閃光剣】!!!」
瞬間、ガストンの全身から放たれるオーラが倍増した。
両手剣が閃光を纏い、雷鳴のような轟音が炸裂する。
ガストンの一閃が、ヴィオラを真正面から捉えた――筈だった。
ガストンの渾身の一撃は、ヴィオラに当たってすらいなかった。
ヴィオラの正面に展開された障壁に激突し、両手剣の刀身が真っ二つに折れていた。
「ば、バカな……! 俺の奥義が……!?」
「貴様の児戯の如き剣が私に通用するとでも、本気で思ったのか? 人間風情めが」
ヴィオラは冷ややかに呟くと、大剣を両手に持ち、天高く構えた。
暗黒のオーラが大剣に収束し、周囲の空間を捻じ曲げていく。
「ま、待て! 俺は王国の軍隊長だぞ! 俺に手をかけることが何を意味するのか――」
ガストンの言葉はヴィオラの耳には届かなかった。
「マコト様に刃を向けたその大罪、貴様の命をもって償え。【黒蝕の崩落】」
ヴィオラが大剣を振り下ろした瞬間、暗黒のオーラが超重力の塊と化し、鉄槌のように大地に叩きつけられた。
ドオオオオン!!!!!
先ほどまでガストンが立っていた場所は巨大なクレーターと化した。
その中心に残るのは押し潰された鎧の残骸と、赤茶けたシミだけ。
兵士の一人が膝から崩れ落ちた。
手から剣を落とし、口を開けたまま立ち尽くしている者もいる。
兵士たちは目の前の光景に理解が追いついていないようだった。
絶対の信頼を寄せていた上官が少女の剣の一振りで瞬殺されたという、圧倒的不条理な現実に。
ヴィオラは呆然としたまま固まっている兵士たちを眺めながら、満面の笑みを浮かべた。
「掃除の続きですね♪」
ザンッ!
残りの兵士たちは一瞬で切り刻まれ、血の海に浮かぶ肉片と化した。
「マコト様、ゴミ共の掃除を完了致しました♪」
「ああ。綺麗になったな、ヴィオラ」
俺はヴィオラの頭を優しく撫でてやった。
ヴィオラは目を細め、うっとりとした表情を浮かべている。
ヴィオラの黒髪に触れていると、冷え切った死体のはずの俺の手に、温かな熱が伝わってきた。
俺は生前、誰かの体温をこんなふうに感じたことがあっただろうか――
血の海の上で、俺は今までの人生で一番穏やかな気分を味わっていた。




