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『現想 ― フィクションが現実に現れた世界 ―』  作者: 阿井 愛
最終章 理想と現実編

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第76話 それぞれの道と普通の一歩

 昼休みの廊下は、ざわめきに満ちていた。


 窓から差し込む陽光が白い床を照らし、行き交う生徒たちの影を伸ばす。購買へ急ぐ足音、教室から漏れる笑い声、誰かの呼びかける声。日常の音が、重なり合って流れていく。


 その中を、佐倉は一人で歩いていた。


 肩にかけたバッグを軽く揺らしながら、特に急ぐ様子もなく、人波を縫うように進む。視線は前に向いているが、どこかぼんやりとしていた。


「佐倉さん!!」


 後ろから女子の声が聞こえてくる。


「え?」


 佐倉が気付いて振り返った。


「ひよりさん……だっけ」


 少し息を弾ませながら駆け寄ってきたひよりは、どこか申し訳なさそうな表情をしている。制服の裾をぎゅっと握りしめ、視線を泳がせた。


「……実のこと?」


 佐倉が先に口にする。


「はい……先輩にすみませんでしたって伝えておいてほしいんです」


「え、なんで」


 軽い調子。まるで大したことではないとでも言うように。


「なんでって……」


 ひよりは驚いた様子で呟いた。


「私のせいで、実先輩に重い責任を背負わせちゃってたから……」


 下を向きながら。床に落ちた自分の影を見つめるように。


 佐倉は黙ってその様子をみつめている。


 廊下を通り過ぎる生徒たちの笑い声が、二人の間の静けさを際立たせた。


「私、実さんはいい人だって、みんなに知ってほしくて……実先輩がどう思うかなんてっ考えられてませんでした……」


 言葉が少しずつ速くなる。


「だから……伝えてほしいんです」


 一瞬、言葉に詰まった。喉の奥で小さく息が引っかかり、視線が揺れる。


「私は……他人ですから」


 そう呟き、ひよりは目を伏せた。自分で口にしたその言葉が、思っていたよりも冷たく響いたのか、ひよりの指先がきゅっとスカートの裾を握りしめる。


「ほーん……」


 佐倉は首をかしげた。ひよりを上から下まで一度眺める。廊下を通り過ぎる生徒が二人の間をすり抜け、風のようにざわめきを残していく。


「うーん……ひよりさんは実のこと思ってやってたんでしょ?」


 軽く問いかける声は、拍子抜けするほどあっさりしていた。


「まあ……はい」


 小さく頷く。迷いはない。ただ、その先に踏み出す勇気だけが足りないという顔だった。


「じゃあ、自分で伝えなよ」


 佐倉はにやっと笑う。あまりに当然だと言わんばかりに。


「でも……私は実先輩に助けてもらっただけの──」


 言いかけた言葉は、途中で遮られる。


「か〜んけいなって〜!!」


 佐倉が肩をポンッと叩く。乾いた音が、昼休みの喧騒の中でもやけに軽快に響いた。


「え?」


 キョトンとした様子で佐倉の顔を見る。叩かれた肩に残るぬくもりに、ひよりは少し目を瞬かせる。


『自分へのありがとうぐらい、ちゃんと見ろよ!!』


 佐倉の脳裏に、あの日の情景がよぎる。

 胸の奥が、ほんの少しだけ熱を帯びた気がした。


「やっぱごめんなさいとありがとうはさ」


 どこか懐かしむように、少しだけ照れた笑みを浮かべる。


「ちゃんと見て言ったほうがいいって!!」


 ひよりに向けて笑う。軽い調子のまま――けれど、その目だけはまっすぐだった。



 記者会見場は、張りつめた空気に満ちていた。


 天井から吊るされた無数の照明が白々と壇上を照らし、その下には所狭しと並べられたカメラと三脚。レンズの向こうでは、記者たちがざわめきながら資料をめくり、あるいは小声で言葉を交わしている。フラッシュの待機ランプが赤く瞬き、そのすべてが壇上へ向けられていた。


 控えスペースから、その様子を実はじっと見つめている。


 喉が、ひりつくように乾いていた。


「本当に……僕じゃなきゃだめですかね?」


 振り返り、背後に立つ牧野へ不安そうな視線を向ける。


 牧野は一瞬だけ会場を見やり、それから小さく息を吐いた。


「うん……防災省は壊滅しちゃったし、現災署は目の敵にされたまま。みんなで焔堂を倒したとはいえ……やっぱり一番いい印象を持たれてるのは実くんぐらいだから」


 淡々とした説明だったが、その声音には申し訳なさが混じっている。


「うう……緊張する」


 実は肩をすくめる。手のひらがじっとりと汗ばんでいた。


「ごめんね……でも私も実くんは向いてると思うんだ」


 牧野はそう言って、やわらかく微笑む。その笑顔は、無理に背中を押すものではなく、静かに支えるようなものだった。


「え、どうしてです?」


 意外そうに目を瞬かせる。


「うーん、なんていうか……」


 少しだけ視線を上に泳がせ、言葉を探す。


「普通だからかな」


 飾らない一言だった。


「普通……ですか」


 実は小さく呟く。


 瞬きのあと、ふっと肩の力が抜けた。


 口元がわずかにゆるみ、目尻がほんの少し下がる。


 照れたように視線を落とし、短く息を吐いた。


「よしっ」


 短く息を吐き、覚悟を決める。


 実は一歩を踏み出した。ざわめきがわずかに強まる。スタッフに促されるまま壇上へ進み、中央の席へと腰を下ろす。


 無数のレンズが一斉に向けられる。


 シャッター音が、乾いた雨のように降り注いだ。


 実はゆっくりと深呼吸をし、目を見開く。


「東京現想災害対策署の田中実です」


 声は思ったよりも震えていなかった。


 視線をまっすぐ前に向けたまま、続ける。


「本来であれば、もっと早い段階で皆さんに状況をご説明すべきでした。にもかかわらず、このようなタイミングになってしまったことを、まずは心よりお詫びいたします」


 深く、頭を下げる。


 フラッシュが一斉に焚かれ、白い光が視界を埋め尽くす。それでも、しばらく頭を上げなかった。


 やがて顔を上げ、隣へと視線を向ける。


「まずは、現想――そしてFICTIONについての詳細を、元東京第2現災署署長、牧野真琴より説明していただきます」


 静まり返った会場の中、牧野がゆっくりと立ち上がった。

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