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『現想 ― フィクションが現実に現れた世界 ―』  作者: 阿井 愛
最終章 理想と現実編

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第75話 月光の余燼と責任の所在

 月が、崩れた街を静かに照らしていた。


 折れ曲がった鉄骨も、砕けたビルの断面も、抉れたアスファルトも、すべてが青白い光に均されている。昼間の凄惨さが嘘のように、世界は冷えきった静寂に包まれていた。


「うっ……があ?」


 低く濁った声が、瓦礫の山の中から漏れる。


 焔堂が目を覚ます。


 視界に映ったのは、傾いた月と、ひび割れたコンクリート。身体を動かそうとして、異変に気づく。


 両手両足が、大きな瓦礫に打ち付けられていた。


 掌と足首を貫く金の釘が、月光を鈍く反射している。わずかに動かすだけで、金属が軋み、肉が裂ける感触が走った。


 その上から、影が落ちる。


 実が、焔堂を見下ろしていた。


 月光が二人の間に落ちる。


 砕けたコンクリートの粉塵が白く光り、焔堂の頬に貼りついた血を青黒く浮かび上がらせた。


「ああ、ハハハッ」


 焔堂は嬉しそうに笑う。


 喉の奥で詰まった血を混ぜながら、無理やり空を仰いた。拘束された両腕が軋み、金の釘が月光を鈍く返す。


「なんだよ……お前ら、最高じゃねえか、ハハハハハッ!!」


 壊れたような笑いが夜気に溶けた。


 実は何も言わない。


 ただ、焔堂を見下ろしている。


 影がその顔の半分を覆い、瞳だけが静かに光を宿している。勝利の高揚も、怒りもない。ただ深く沈んだ水面のような、揺らがない視線。


 焔堂がニヤついて実へ視線を流した。拘束された体をわずかに起こす。


「ほら、早くおわらせろよ」


 嬉しそうな声色で告げた。まるでご褒美を待つ子供のように。


「お前の家族と、仲間の敵を、殺してやるんだろお?」


 満足そうに。


 唇の端を吊り上げ、挑発するように。


 わずかな沈黙。


 夜風が瓦礫の隙間を抜け、二人の間を横切る。遠くで崩れかけた鉄骨がかすかに軋んだ。


「……殺さないよ」


 実の声は、低く、静かだった。


 怒りを抑え込んだ声でもない。ただ、決めた事実を告げるだけの響き。


「……あ?」


 焔堂の笑みが止まる。眉間に皺が寄り、拘束されたまま無理やり顔を上げた。実を真正面から睨む。


「今日まで現災署が対応してきた現想災害には……唯一の共通点があった」


 実は淡々と続ける。視線を逸らさない。


「僕達が現想できるフィクションじゃないって共通点が」


 その目は、どこか哀れみを帯びている。怒りでも憎しみでもなかった。


「……どういう意味だ?」


 焔堂の喉が低く鳴る。拘束された手がわずかに震え、金の釘が軋む。


「深海はクラーケンをサクヤさんに盗られた後、僕達がクラーケンを倒すまで、現想できなかった」


 月明かりが実の横顔を照らす。影が長く伸び、焔堂の胸元まで届いている。


「なのに繋がりは強さは保たれたままだった」


「僕達とそのフィクションは、それだけ強く繋がってる」


 焔堂の目が見開かれた。呼吸が荒くなる。


「てめえ……まさかっ!!」


 首の筋が浮き上がった。


「多分……ドラゴンと繋がりが強いあなた生きている限り、現想生物ドラゴンは自然発生しない」


 実は静かに告げる。その声に揺らぎはない。


「あなたはこの後の人生ドラゴン除けとして生きてくんだ」


 言葉が、夜気の中に落ちる。


 月明かりだけが二人の間を満たし、焔堂の荒い呼吸音だけがやけに大きく響く。


「ざけんなあああっ!!」


 焔堂が縫い付けられた手を暴れさす。金の釘が肉を抉り、血が溢れるが、拘束はびくともしない。


「……僕が戦ってきた人達はみんな、人間らしい想いを持っていた」


 実はどこか遠くを見て呟く。


 崩れたビルの向こう、月に照らされた瓦礫の街を眺める。


 その視線の先には、もうここにいない者たちの影が重なっているようだった。


「その想いは許されることではないかもしれない。でも、それぞれが共感できる、『したいこと』を持っていた」


 声は静かだが、わずかにだけ重い。


 そして、焔堂に向きなおす。月光がその横顔を縁取り、影が焔堂の胸元まで落ちた。


「でもあなたは違う。ただ純粋に戦いたい、たったそれだけの為に多くの命を犠牲にしてきた」


 断じる声には怒鳴りも震えもない。ただ、事実を置くような冷たさだけがある。


 遠くからエンジン音が近づいてくる。


 低く唸るディーゼルの振動が、崩れた地面を伝って足元を震わせる。サーチライトがゆっくりと瓦礫の山をなぞり、二人の影を引き伸ばた。


 大型車両が瓦礫の前で停まり、多くの自衛隊員が降り立つ。無言で状況を確認し、手際よく周囲を囲んだ。


 誰一人、焔堂に視線を合わせない。


 重機が唸りを上げ、焔堂が縫い付けられたままの巨大な瓦礫を、慎重に持ち上げる。鉄とコンクリートが軋み、拘束された身体がわずかに揺れた。


 金の釘がきしり、血が再び滲む。


 そのまま、車両の荷台へと固定されていく。


「おいっ!! なにすんだよおっ!!」


 焔堂が叫ぶ。声が夜に跳ね返り、虚しく散った。


 実は、その様子を見つめたまま、口を開いた。


「だからあなたは受け入れるべきだと思う。今後ただ生きるだけの、つまらない人生を送ることを」


 焔堂の顔から、怒りが焦りへと変わる。


「ざけんなああっ!! はなぜええっ!!」


 拘束されたまま暴れる焔堂の声が、夜に虚しく響いた。


 実は、ゆっくりと背を向ける。


 焔堂の叫び声が背後で弾けるが、振り返らない。瓦礫を踏む足音だけが、乾いた夜気に小さく響く。


 月光がその背中を照らす。長く伸びた影が、崩れた街の上をまっすぐに伸びていく。


 車両のエンジンが唸りを上げ、金具の固定音が重なった。焔堂の怒号は次第に距離を持ち、夜に溶けていく。


 実は一度だけ目を閉じ、わずかに息を吐く。


 そして歩みを止めずに、告げた。


「それが災害として多く人を犠牲にしてきた……あなたが背負うべき責任だと思うから」

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