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『現想 ― フィクションが現実に現れた世界 ―』  作者: 阿井 愛
最終章 理想と現実編

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第69話 遺された知恵と健気な笑顔

 ニュース映像が、夜のリビングを青白く照らしている。


 ヘリからの空撮。かつて渋家区と呼ばれた大通りは、もはや原形を留めていなかった。ビルは外壁を剥がされ、骨組みを晒し、道路は大きく抉れ、ところどころが黒く焦げている。信号機はねじ曲がり、車は裏返り、ガラス片が雨に濡れて鈍く光っていた。


 画面が切り替わる。


 瓦礫の中央で、一人の少年が膝をついている。


 肌は紫と赤がまだらに混ざり、片腕は不自然な緑に変色している。血管が浮き上がり、首筋が痙攣している。半分白目を剥き、涙と涎を垂らしながら、呼吸は荒く途切れ途切れだ。


 それでも、立ち上がろうとしている。


 マイクを向けられた市民の声が重なる。


『あの人が一人で黒龍に立ち向かっていったんですよ!!』

『俺らなんて逃げるしかなかったのにさ』

『あんなにボロボロになってまで』

『でも、あの力もどうなんですかね。正直、怖いっていうか……』

『早くなんとかしてくれよって思いましたよ、ほんと』


 画面端にテロップが流れる。


 ニュースキャスターが、やや沈んだ声色で告げる。


『中にはこんな声も……』


 インタビュー映像に切り替わる。


『私っあの人知ってます……学校の先輩で、以前私をゾンビから助けてくれたんですっ!!』


 ひよりは、涙を浮かべながらもどこか誇らしげに笑っている。頬に雨粒が残り、髪が少しだけ頬に貼り付いている。


『ネットで現災署に入っているって流れて来て驚きましたけど、多分現災署に脅されているんだと思います……!!実先輩が悪い人じゃないってわかってもらえて良かったで──』


──ブチッ


 現災署。


 静まり返った執務室に、テレビの電源が落ちる音だけが残る。


 ツグミはリモコンを強く握りしめたまま、画面を睨みつけていた。唇が震え、目の奥が熱を帯びている。


「みんなっ好き勝手言ってっ!!」


 怒りと悲しみが混ざった声が、室内の空気を震わせた。青白い光がツグミの頬を照らし、その瞳は悔しさで潤んでいる。


 拳を強く握りしめたまま、踵を返す。椅子が音を立て、足早にドアへ向かう。床を踏む足音がやけに大きく響いた。


「ツグミちゃんどこいくの?」


 牧野が心配そうに声をかける。立ち上がりかけたまま、不安げにその背を見つめている。


「実くんを、早く探さないとっ!!」


 振り向かないままの必死な声色。震えを押し殺し、それでも前へ進もうとする響き。


 ドアが勢いよく閉まる。重い音が廊下に反響し、やがて静寂が落ちた。


「ツグミちゃん……」


 牧野はその場に立ち尽くしたあと、力が抜けたように椅子へ座り込む。背もたれに身体を預け、深く息を吐いた。


 視線が、ガラス越しに見える署長室のドアへと向く。中は暗く、動く気配はない。


「護……私、あなたみたいに人を纏める才能ないよ……」


 小さく、かすれる声で呟いた。指先がわずかに震えている。


「っ!!」


 両手で頬をパァンッと叩く。乾いた音が室内に響き、眼鏡がずれて鼻先まで滑りかける。


「ダメだよね……あなたに笑われちゃうよね」


 自嘲気味に息を吐き、眼鏡を押し上げる。そのまま素早くデスクに向き直り、パソコンを開く。画面の光が、決意を帯びた瞳を照らした。


 キーボードを打つ音が静かな室内に連続する。


(何か、実くんを救う方法を、焔堂に勝てる方法を……)

(私は研究者だ、探し出せ。その何かを……)


 次々と表示される現災報告書。被害記録、分析データ、戦闘ログ。スクロールする指が止まらない。


「え……? これ──」


 膨大な一覧の中に、異様に目を引くタイトルがあった。


「焔堂凶刃、及び現想生装『ドラゴン』についての想定される弱点……?」


 思わず息を呑む。カーソルを合わせ、作成者欄へ視線を落とす。


 そこに記されているのは──


「……これ、護の」


 呟いた瞬間、胸の奥が強く脈打つ。あの背中。あの冷静な声。いつも一歩先を見ていた彼の姿が脳裏をよぎる。


 手が止まり、ほんのわずかに目を閉じる。


(そうだ。確かに違和感はある……現想生装は現想生物の力の一部のみをその身に現想する技術)

(本来のドラゴンとは違い、何かしらの制約があるはずなんだ)

(今までのドラゴン災害の中に、何かヒントがあるはずなんだ──)


 理論が頭の中で組み上がっていく。欠けていたピースが、わずかに音を立ててはまりかける。


 マウスに手をやり、カーソルをクリック寸前で止める。


「護くん……力を貸して」


 静かな祈りのような声。


 そして、震えを振り払うように。


 カチカチッ。



 豪雨。


 崩壊した渋家区に、容赦なく雨が叩きつける。空は鉛色に沈み、雷鳴が遠くで低く唸っている。


 夏焼村をも超える過去最大の現想災害跡。


 瓦礫の山を濁流のように水が流れ落ち、焦げた匂いと鉄の匂いが湿気に混ざって漂う。崩れたビルの骨組みはむき出しになり、隙間から雨水が滝のように降り注いでいた。割れた窓ガラスが雨粒を受け、かすかな音を立てる。


 深海は、ひび割れた路面にできた水たまりへ静かに手を沈める。


 冷たい水が波紋を広げ、指先を中心に静かに揺らめく。水面の奥で、影がわずかに濃くなった。


 次の瞬間、影と水面から触手が伸びる。荒々しさはなく、崩れたコンクリート片を一つずつ押しのけていく。挟まれていた市民の身体を支え、泥水に沈まないよう持ち上げ、ゆっくりと引き出した。


「(*^_^*)」


 雨に打たれながら、安心させるように微笑む。濡れた前髪が額に張り付き、その奥の瞳はただ穏やかだった。


 だが──


「ふざけんな!!」


 救い出された男が、息を荒げたまま叫んだ。泥だらけの手で手近な瓦礫を掴み、勢い任せに投げつける。


 ゴンッ


 鈍い衝撃音。破片が深海の額に直撃し、水しぶきと血が同時に散った。


 身体がぐらりと揺れ、そのまま後ろへ倒れる。


 雨水が跳ね上がる。


「おまえ達がこの災害起こした癖に……とんだマッチポンプじゃねえかよ!!」


 怒鳴り声とともに、腹部へ蹴りが入る。泥が跳ね、深海の身体が横向きに転がる。


「返してよっ私の家族返してよお!!」


 別の女性がしゃがみ込み、泥水に手をつきながら泣き崩れていた。雨が涙をかき消し、嗚咽だけがかすかに響く。


 雨に混じって血が流れる。額から落ちた赤が水たまりに溶け、薄く広がっていく。


 深海は、ゆっくりと立ち上がる。


 濡れた服が重く身体に張りつき、足元の水が波打つ。


 額から伝う血が頬を赤く染め、顎先からぽたりと落ちる。


「な、なんだよ!!」


 男が一歩、後ずさる。雨音の中で、自分の荒い呼吸だけがやけに大きい。


 深海が顔を上げる。


「(*^_^*)」


 血を流しながら、それでも安心させるように微笑んだ。目を細め、怖がらせないように、ただ静かに。


「なんだよ……気持ち悪いんだよ!!」

「なんとかいえよおい!!」


 再び瓦礫が投げつけられる。


 ゴンッ


 ゴンッ


 肩に、背中に、何度もぶつかる。衝撃で身体がよろめき、膝がわずかに折れかける。それでも足を踏みしめ、泥に沈みながらも、その場に立ち続ける。


「(*^_^*)」


 ずっと、安心させるように笑っている。

 震える唇で、形だけで。


 喋れないながら必死に、表情で伝えようと。


 だがそれからも、


 瓦礫の山から、石の雨が止むことはなかった。

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