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『現想 ― フィクションが現実に現れた世界 ―』  作者: 阿井 愛
第1章 現災署加入編

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第7話 力の真名と視る実 ②

──ドッ、ドッ


 重みを殺しきれない足音が、鈍い圧となって地面を打つ。踏み込むたびに落ち葉が跳ね、湿った土がわずかに沈み込む。


 息が、切れる。

 肩が上下し、吸い込んだ空気が喉の奥で引っかかる。肺が焼けるように痛い。


「っ……!!」


(このままじゃほんとにまずいっなんとか反撃しないとっ……!!)


 枝を踏み折り、実は森の中を駆けていた。細い枝が腕や制服を擦り、後方へ弾かれて揺れる。


 足取りは乱れ始め、踏み込みの間隔がわずかに崩れていた。


 背後から迫る気配は、一定の速度のまま離れない。


「そんなに逃げててもね〜」


──ドッ、ドッ


 足音が、近い。地面を叩く振動が背中越しに伝わり、落ち葉が小さく跳ねた。


「おばちゃんは倒せないわよ〜」


――ズウゥゥゥッ


 大きく息を吸い込む音。


 反応して実が振り返る。


 井川の胸郭がゆっくりと膨らみ、その場の空気が引き寄せられるように揺れているのが見えた。


「さて」


 井川は首を傾け乱れ一つない動きで袖口を整える。

 そして、口元だけを柔らかく持ち上げた。


「そろそろ、終わらせないとね」


 次の瞬間。


 井川が一気に飛びかかる。


――ドンッ!!


「ガハッ―─!!」


 井川の拳が腹部にめり込む。


 実の身体が宙で折れ曲がった。


 足が地面を離れ、視界が大きく傾く。


 だが、それで終わらない。


 ドガッ、バキッ、ゴンッ。


 打撃が続く。


 身体が左右へ弾かれる。


 腕が防御の形を取る前に叩き落とされる。


 姿勢が徐々に崩れていく。


 衝撃のたびに土と落ち葉が舞い上がった。


 最後の一撃。


 実の身体が後方へと吹き飛んでいく。


 風が頬を伝う感触。


 そのまま、地面に叩き伏せられた。


 背中から落ち、空気が押し出される。


 喉が鳴るが、呼吸は続かない。


 息が、できない。


(……っ、強すぎる……!!)


『異常値26%。チョイヤバイ』


 手首で鳴ったその一言が、静かな電子音として周囲に溶けた。


 うつ伏せのまま、実は指先を動かす。


 土を掻くが、崩れるだけで形は残らない


 乾いた落ち葉が指の動きに合わせて散っていく。


(森の中では……能力が使いづらい……)


 握ろうとした土が指の隙間から零れ落ちた。


(それに、ここまで……強いなんて……)


 視界の端が揺れる。


 焦点が定まらない。


 まばたきの回数が増え、呼吸が短く途切れていく。


 その時。


 指が、わずかに止まった。


『ゾンビが動いてるもんに反応してんのなんて、少しみりゃわかるだろうによ』


(……そうだ)


『あいつも口ん中までかてえことはねえだろ』


 震える腕を地面につけ、体重を乗せる。


(狩野さんは、ただ力で殴っていたわけじゃない)


 肘が沈み、土を押し固めながらゆっくり身体が持ち上がる。


(しっかり視て、 しっかり考えて。その現災に合った対処をしていた)


 視線が地面から離れ、前方へ向く。


(視るんだ……考えろ……)


 荒い呼吸の合間に、目だけが動く。


 井川の足運び、重心、肩の揺れを静かに見据える。


(井川さんに、隙はないのか……)


 立ち位置を確かめるように、わずかに体重をずらす。


 踏み荒らされた地面の跡が視界に入る。


(今までの追いかけっこの中に……何か……)


――その瞬間。


「ゔがっ!!」


 鈍い衝撃が走る。


 遠くから振り抜かれた丸太が横殴りに叩きつけられた。


 空気が押し潰されたように揺れる。


 実の身体が大きく弾かれる。


 足が地面を離れる。


 回転しながら視界が上下に反転。


 木々の隙間の空が流れていく。


 身体が、晴天に吹き飛ばされる。


「あ、おほほほほ……」


 遠くで、井川の声が弾む。


 距離が開き、音だけが遅れて届く。


「ちょっと、やりすぎちゃったかしら」



 掠れた意識の中。


 腕元から響く、ビービーと鳴る警報音が耳に入った。


『異常値67%マジヤベェ、マジヤベェ』 


 規則的な電子音が静かな森に反響する。


 額から血が流れているのが、ぼんやりと分かった。頬を伝った血が顎先から落ち、土に小さな染みを作る。


 大きな木に、頭から叩きつけられていた。

 背後の幹には新しい擦過痕が残り、身体はそこにもたれ込むようにずり落ちる。膝が崩れ、靴先が土を浅く掻いた。


──ガサッ、ガサッ


 草木を掻き分ける音が近づく。枝葉が揺れ、踏み潰された草が戻りきらず倒れたままになっているのが見えた。


「はあ……はあ……」


 井川が、追いついてきた。呼吸に合わせて肩が上下し、足取りは重いが迷いがない。


「ようやく見つけたわ〜」

「ほんと、飛ばしすぎちゃった」


 歩み寄りながら、軽く手を合わせる。指先同士が乾いた音を立てた。


「ごめんなさいね〜」

「力加減ができなくって……」


 口元に笑みを浮かべたまま、首を傾ける。


「私ももう、歳ね〜」


 こちらを見下ろし、視線を上下させる。血の跡を追うように目が動いていた。


「……そんなに血みどろで、もう動けないんじゃない?」


 返答を待つように、片足へ体重を乗せる。


「降参するならね。おばちゃんがすぐ病院に運んであげるけど……どうする?」


 沈黙が落ちる。


 警報音。


 それだけが一定の間隔で鳴り続けていた。


――その時。


「……ふっ」


 実の喉が小さく震える。


「……ははは……」


 肩が揺れ、俯いていた顔がゆっくり上がった。


 手が幹から離れ、指先が滑り落ちた血を引き延ばす。足裏が地面を踏み直し、体重が前へと移る。


 そのまま、ゆっくりと、立ち上がった。


「しませんよ。降参なんて……」


 血が顎先から滴り落ちるまま、視界に井川を捉えた。


「だって」


 一歩、踏み出す。


「もう、僕の勝ちですよね」


 実の口元が、ほんのわずかに緩む。

 荒い呼吸の合間に、短く息が漏れた。


「……あら?」


 井川が、目を細める。笑みは崩さないまま、顎を引いた。


「一体、どうしてそう思うのかしら」

「この状況、誰がどう見てもおばちゃんの勝ちじゃない」


 値踏みするような視線がこちらへ向けられる。森の空気がわずかに張り詰めた。


「……足音です」


「……ほう?」


 井川の眉が動く。細めていた目がわずかに開くのが見えた。


「あなたとの追いかけっこを思い出しました」


 実は視線を外さないまま、一歩、井川の方へ歩み寄る。


『──ドスンッ、ドスンッ』


「あなたの足音は、最初は重かった」


 土を踏む靴底が低く鳴る。一定の歩幅で、距離を詰めていく。


『──ドスッドスッ』


「……でも」


 さらに一歩。落ち葉が押し潰され、乾いた音が短く響く。


『──ドッドッ』


「時間が経つほど」


『──ガサッ、ガサッ』


「少しずつ、軽くなっていた」


 実は足を止める。


 拳がギリギリ届かない距離で。


「……あなたの能力は、食べた物を体内に溜め込み、そのエネルギーを、身体能力に変換する」

「……変換し続ければ体からエネルギー。つまり、脂肪が減っていくんですよね」


 実は声を張り上げることなく、確かめるような調子で言葉を重ねた。


 問いかけるように、語尾を落としながら井川を見据え続ける。


 井川は変わらず柔らかな笑みを浮かべたまま、首を傾けている。試すような視線で、実の全身をゆっくりとなぞっていた。


「逃げ続ければ勝てる。そう悟られないようあなたは」


『――ズウゥゥゥッ』


「……エネルギーのない“空気”を取り込んだ」


 風が動く。


 空気と周囲の葉が震える。


「今のあなたの見た目は、最初に会った時と、ほとんど変わらない」


 実の目が、井川の輪郭を上から下まで静かに追う。


「相当な量の空気を、体内に溜め込んでいるはずです」


 実は、腕元のメディカルチェッカーへ手を伸ばした。

 指先を画面の表面へ軽く触れさせる。


「今からこれを、細い棒に変形して、突き刺せば」


 触れたまま、手は動かない。

 画面は木々を反射して静かにそこにある。


 細く伸ばされた影だけが、地面にまっすぐ落ちていた。


「体内の内圧で、破裂する」


「だから……僕の勝ちです」


 実は声量を変えずに言い切った。


「……どうですか?」


 静寂が二人の間に落ちた。風に揺れていた枝葉の擦れる音さえ遠のいたように感じられ、腕元の警報音だけが機械的な間隔で森の中に響く。


「……おほほほほほっ!!」


 張り詰めていた静けさを突き破るように、井川の高らかな笑い声が森へ響き渡った。


 次の瞬間。

 井川の体表が揺れ、衣服の隙間から空気が抜けていく。


――シュー……。


 輪郭がゆっくりと細まり、膨らんでいた体がみるみる縮んでいく。地面に落ちていた落ち葉が、吐き出された空気に押されて転がった。


「数多の人が夢想し、空想し、想像した存在すべてに」


 井川は笑みを崩さないまま、声の調子だけを少し落とした。


「共通する対処法なんて、存在しないの」


 そう言いながら一歩だけ距離を詰める。踏み出した足が落ち葉を静かに沈ませた。


「だから、おばちゃん達は、その現災に合った対処を」


 軽く肩をすくめながら、言葉を続ける。


「その場、その時、その状況で」


「しっかり見極めて、対処しなきゃいけない」


 井川の目が細まって、柔和な笑みを実へ向けた。


「――お見事。最終テスト、合格よ」



――現災署。


「はい、じゃあここにサインしてね〜」


 護が机の向こうから歩み寄り、書類を差し出してきた。


 実はそれを受け取り、視線を落とす。


 田中 実。


 ペン先が紙に触れ、さらさらと音を立てて名前が書き込まれる。


 そのまま書き終えると、護へ書類を差し出した。


 護はそれを受け取り、軽く目を通す。


「よしっ。これで君は現災署の仲間入りだ」

「これからよろしくね〜」


 ひらひらと手を振りながら背を向け、護は自分の机へ戻っていった。


「……まさか、バイトとは思いませんでしたけどね」


 実の視線が、背を向けて歩く護の手元へ向く。


 ひらひらと振られている書類の表紙が揺れ、その文字が目に入った。


――雇用形態:アルバイト。


「あはは。学生と兼業なら、バイトしかないっしょ〜」

「人助けも、あくまで仕事だからさ」


 護は背を向けたままテーブルへ向かい、受け取った書類を束へ重ねる。

 紙の端を揃え、軽く机に打ちつけながら、振り返らずにそう言った。


「……はあ」


 短く息を吐き、実は肩の力を抜いた。指先で書類の端を軽く整えながら視線を落としていると、


「あ、そういえば」


 護が思い出したように声を出した。書類を仕分けていた護の手が止まり、そのまま肩越しに振り返る。


「君の能力、多分“錬金術”だね」


「え、錬金術ですか!?」


 実は顔を上げ、そのまま護へ思わず聞き返していた。


「うん。ツグミとの座学と、実験運用の結果を見る感じ」


 護は机の上の資料を手に取り、軽く目を通しながら続ける。


「レアメタルと貴金属が一番変形しやすくて」

「次が卑金属、でその他の物質でしょ?」


 護は資料から視線を上げ、実へと首を傾ける。


「その性質なら、一番近いのは錬金術だと思うよ」


「……でも、錬金術って、実在した技術ですよね?」

「架空じゃないような……」


 実は少し首を傾げ、記憶を探るように視線を宙へ向けた。


「あー、その辺ね」


 護は軽く頷き、手にしていた紙束の角を指で揃える。


「“今を生きてる人間”が、想像でしか知らないものが、フィクションなんだ」


 紙を片手に持ったまま、親指で端をとん、と弾きながら続ける。


「昔、現実に存在してても、今は想像の中だけなら、条件は同じ」


 護は小さく息を吐き、言葉を区切るように肩を緩めた。そのまま視線が自然と棚の列へ滑っていく。


「……なるほど」


 実は自分の手のひらに視線を落とした。


(確かに僕の能力は、漫画やアニメで見た錬金術に近いかも。形を崩して、組みなおす力)


 一度、手をくるりと返す。

 光を受けた皮膚の色が、変わるのが見える。


(なんかちょっと主人公になれたみたい)


 口元が、気づかないほどわずかに緩んだ。


「昔存在してた分、そういうのが現災になったら、めちゃくちゃ強いんだけどね〜」

「2年前のプテラノドンとか、被害ヤバかったし」


 護は紙束を棚に差し込みながら、笑みを含んだ軽い声を飛ばしてきた。


「うっ……」


 実の口元が歪み、眉がぎゅっと寄せられる。


(……少しくらい、感傷に浸らせてほしい)


 言葉が途切れると、室内に音が落ちた。

 蛍光灯の微かな唸りと、紙が擦れる乾いた音だけが残る。


「まあ、そういうわけだからさ」


 その静寂に護の声がポツリと落ちた。


 実が顔を上げると、護は体を動かさず、顔だけこちらにゆるりと向けている。


「君には、期待してるよ」


 護の声は普段より少しだけ低く、語尾がふわりと伸びていた。

 目の端で実を追う仕草が、自然に微かな重みを帯びて。


「……!!」


 実の背筋が伸びて、口元がぎゅっと引き締まる。


「……こちらこそ」

「これからよろしくお願いします!!」


 大きく身体を前へと下げる。額に力が入り、唇がきゅっと引き締まる。床が映る瞳が輝いているのがわかった。


「うい〜」


 実がゆっくり顔を上げる。護は書類を棚に差し込み、列を整えるように手を滑らせていた。


 そのまま視線を自分の手のひらへと落とす。


 指先が少しだけ揺れ、握っていた拳がわずかに緩む。


 手のひらをまじまじと見つめ、指の一本一本に目を走らせて、手の感覚を確かめるように少し開いたり閉じてみたり。


 そのまま息を整え、緩んだ口角で手に告げた。


「……これからも、よろしくね」


「……え?」

 護から間の抜けた声が、漏れる。

 そのまま軽く振り返り、眉を細めて実を視た。


「気持ち悪っ」

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