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『現想 ― フィクションが現実に現れた世界 ―』  作者: 阿井 愛
第1章 現災署加入編

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第6話 泥濘の逃走と視られる実 ①

この回は2話完結のエピソードです。

「うわあああああっ!!」


 枝をかき分けながら、実は森の中を必死に駆けていた。人工的に整備されたはずの訓練用森林は、容赦なく足を取ってくる。湿った土が跳ね、落ち葉が滑り、地面から突き出た木の根が何度もつま先を引っかける。


 肺が焼ける。視界が揺れる。呼吸が乱れ、喉の奥で空気が擦れる。それでも足は止まらない。腕を大きく振り、枝を払いのけながら前へ出る。


「ちょ、ちょっと待ってくださいってば!!」


 実は振り返る。目を見開き、肩を跳ねさせて。


──ドスンッ、ドスンッ


 地面を踏み抜くような重い足音が、一定のリズムで迫る。振動が足裏から伝わり、小石が跳ねる。


「そんなに逃げ回ってもね〜、おばちゃんは倒せないわよ〜」


 低く、どこか楽しげな声とともに現れたのは、井川百合子だった。岩のように隆起した筋肉が、迷彩柄の訓練服の下で盛り上がっている。肩幅は常人の倍はありそうで、腕は丸太のように太い。でかい身体が一歩踏み出すたび、地面が沈んでいた。


 井川はすぐそばの大木に目を向けた。


 次の瞬間、拳が振り抜かれる。


 衝撃音が森に響いた。


 幹に亀裂が走り、巨木が傾く。


 バキバキッと鳴る音とともに、倒れた木が隣の木を巻き込む。


 隣へ、さらにその隣へ。


 ドミノのように連鎖し、次々と倒木が生まれる。


 迫る。


 実の背後へと。


「ちょ、ほんとにやばいですってこれえっ!!」


 実は歯を食いしばり、速度を上げた。枝が頬を掠め、息が荒くなる。背後で倒木が地面を打ち、衝撃が背中を叩いた。


(こんなにしんどいなんてっ)


 足がもつれそうになる。それでも前へ出す。出し続ける。



 一週間前。


 東京現災署の会議室は、無機質な白い壁と大型モニターに囲まれていた。机の上には資料端末が並び、天井の蛍光灯が均一な光を落としている。


「というわけで〜」


 軽い声を響かせながら、護は椅子にもたれた。


「実くんには、特別災害即応訓練を受けてもらいま〜す」


 護は口角を上げたまま、椅子にもたれて告げた。


「……特別災害即応訓練?」


「そ。ここに正式に入るためのテスト、みたいなもんだね〜」


「テスト、ですか?」


 実が首を傾けると、護は指を一本立て、空中で小さく円を描いた。


「現災と戦うにはさ、自分のフィクションをちゃんと理解するのが重要なんだよね〜。何ができて、何ができないのかをキチンとわかっとかないとさ」


 言いながら、指先をぱたぱたと揺らす。


「その為に今から一週間。ミッチリギューッとお勉強アーンド実戦訓練をしてもらうから、覚悟してね〜」


「え、ええ……」


「まあ安心して。死なない範囲でやるから」


「え、それ安心要素あります!?」


 実の声が裏返る。思わず身を乗り出し、両手が机に触れた。


「大丈夫大丈夫、死なないようにコレ用意してるから」


 護は胸元のポケットに手を差し入れる。指先がごそごそと動き、布越しに硬い輪郭が浮かんだ。


「テレテテッテレ〜。メディカルチェッカ〜」


 青狸じみた調子で言いながら、机の上にそれを置いた。金属光沢の縁を持つ、ゴツくて太い、腕時計型の装置だった。


 実は瞬きを忘れたまま、それを見つめる。口がわずかに引きつった。


「自分の生命活動の異常値を適宜、報告してくれる優れものなんだ〜」


「へ、へえ……」


 実は手を伸ばしてゆっくりと装置の縁に触れる。冷たい金属を確かめるように、両手で持ち上げた。


「百分率で表示されてね。100%になったら君、死ぬから」


「え、ええ!?」


 装置を持ったまま、顔だけが勢いよく逸れる。視線をまっすぐ護に向いた。


「70%超えたら、素直にリタイアしてね」


 実は手の中の装置に視線を落とす。

 親指で側面をなぞり、表示窓を覗き込んだ。数字のない黒い画面に、自分の顔が小さく映る。

 喉が一度だけ鳴った。指先の力が抜け、装置が少しだけ沈んだ。


(僕は今から何をやらされるんだ……)



 翌日。


 現災署の一室は、会議室にも似た造りだった。壁際には機材と端末が並び、中央には長机と椅子が整然と配置されていた。無機質で、音が吸い込まれるような空間。


 実はその椅子の一つに腰かけていた。背筋を伸ばしてみたり、足を組み直してみたり、また戻したりと落ち着かない。指先で机の縁をなぞり、視線を部屋の隅へ滑らせる。


「……あ、来てたんだ」


 声がして、実は顔を上げた。視線が扉へと向く。


 そこに立っていたのは、白髪のショートカットの少女だった。童顔だが、目元は涼しい。背筋がまっすぐ伸び、無駄な動きがない。


「私、黒羽ツグミ。君とは同い年だよ、これからよろしくね」


「あ、田中実です。よろしくお願いします」


 実は慌てて立ち上がり、ぺこりと頭を下げた。


「そんなに緊張しなくて大丈夫」


「まずは座学からだから」


 ツグミはわずかに口元を緩めた。白い睫毛がゆるく伏せられる。


「あ、そうなんですね」


 実の肩が安心したように落ちた。


 ツグミはパソコンの前に立ち、マウスを滑らせる。カチ、と軽いクリック音が室内に響く。モニターの光が白い横顔を照らした。


「まず君にはね、狙った現想を起こす訓練から始めてもらう」


「……狙った、現想?」


 実は椅子に腰を下ろす。背もたれに触れたまま動きが止まり、まばたきが一度遅れる。


「そ。私たちにはそれぞれ、自分と繋がりが近い現想があるの」


──カチカチッ


 プロジェクターが起動し、白い壁にいくつものシルエットが映し出された。牙を剥いた影、長い髪を垂らす影、異形の輪郭。


 ツグミはその画面を見ながら続ける。


「例えば狩野だったら狼男」

「私だったら、雪女」

「私たちは普段、それをFICTIONからこっちに取り出して使ってる」


 ツグミの視線がスクリーンから外れ、ゆっくりと実へ向く。


「でもね。ちゃんと訓練してないと、取り出す時に“FICTIONが揺れる”危険性があるの」


 その言葉に、実の喉がひくりと鳴る。


(揺れる……)


『……昔そのFICTIONにある人間が“落ちた”んだ。その衝撃で、FICTION全体が大きく揺れちゃったんだよね』


 護の声が実の脳裏をよぎる。


 ツグミはそのまま言葉を続けた。


「もし揺れてしまったら、取り出すつもりのなかったものまで現想して、逆に被害が増える」


「だから重要なのは、自分と繋がりの強いフィクションのイメージをはっきりさせること」


「FICTIONの中で、他のものに衝撃を与えないようにする」


 その言葉を聞いた瞬間、実の指先が強張った。


『お前、よくしらねえんなら、もうその力使うな。色々と危ねえから』


 狩野の低い声が、はっきりと蘇る。


(だから、狩野さんと護さんは使うなっていってたんだ……)


 納得したように首が上下に動いた。


 スクリーンの光を背にしたまま、ツグミは実の様子を一瞬だけ確かめる。白い睫毛が伏せられ、ほんのわずかに息を吐いた。


「ま、最初から完璧じゃなくていいよ。一回、気負わずやってみて」

「何かあった時対処できるよう、私がいるんだから」


 その言葉を聞いて実の肩が、ほんのわずかに落ちた。張りつめていた息がほどけ、口元にかすかな力が戻った。


「……わかりました」


 ふぅと一呼吸おく。


 そのまま実は机の上へ手を置いた。指先が木目へと触れている。


 実は一度、ゆっくりと目を閉じる。

 肩が静かに上下し、呼吸が整っていく。握りしめかけた指の力を抜き、掌をそっと広げた。


 瞼が上がる。


 その瞬間、机の縁がゆるやかに歪んだ。


 角が丸みを帯び、波打つように形が変わる。軋む音も、衝撃もない。


「え……」


 前からツグミのが声が落ちた。


 その反応に、実の喉がひくりと鳴った。

 恐る恐る顔を上げる。


「どうでしょうか……?」


 かすれた声で問いかける。


 ツグミはすぐには答えない。

 歪んだ机と実の手元を見比べ、ほんのわずかに息を止めていた。


 少し間をおいた後口を開いた。


「……すごいね」


 張りつめていた空気が、スッとゆるむ。


 ツグミは一度視線を机に落とし、そこからゆっくりと実を見た。


「ここまでできるってことは、自分の能力が何かもう検討はついてるってこと?」


「いやぁ……」


 実の口元だけを曖昧に動かし、やがて後頭部に手をやった。


「正直、なんの力なのかよくわかってなくて……」


「……え?」


 ツグミの目が見開かれる。


 ツグミは視線を落とし、片手を顎に当てた。

 指先で顎先を軽く押さえたまま、目を細める。体重がわずかに片足へ移っていた。


 ツグミの視線が下から上へ、実の輪郭をなぞっている。


 実は、しばらく瞬きもせずにツグミを見ていた。

口がわずかに開いたまま、言葉が出てこない。


 それから遅れて、口を開いた。


「えーと、とりあえずまずは」


 その声に、ツグミのまつ毛が跳ね上がる。


 実は椅子に座ったまま、背を伸ばした。


「色々試して、自分の能力を知ることですよね」


 曖昧に笑って、身を少しだけ前に寄せる。


「これからよろしくお願いします!!」


 教室に、はっきりとした声が響かせた。


「……え、ええ。こちらこそよろしくね」


 ツグミは少し遅れて、微笑みを返した。



 現在。


――現災署・第2訓練場。


 人工的に整備された森。規則正しく並ぶ木々。踏み固められた土。転がる石。


 実は息を切らしながら駆け続ける。頬を汗が伝い、視線だけがせわしなく動いた。


 木。

 土。

 石。


 眉間に皺が寄る。奥歯を噛みしめたまま、唇の端が震える。


(街中と違って、形を変えづらい物しかない……)


 呼吸が短く刻まれる。吸っているのに、肺の奥まで届かない。


「……このままじゃ、ほんとに死んじゃうかも」


 喉の奥に引っかかった弱音が、かすれて零れた。


『異常値3%マダマダヨユー、アマエンナ』


 間髪入れず、やけに明るい電子音声が下から響く。


「……」


 実はゆっくりと視線だけを落とし、歪ませた表情で、手首のメディカルチェッカーを睨んだ。


 表示は何事もない顔で、規則正しく光っている。


──ドスッ、ドスッ


 背後で地面が震えた。


 実の肩がびくりと跳ねる。


 小石が弾かれ、ふくらはぎに当たる。


「も〜、そんなに追いかけっこがしたいのかしら?」


 背後、低く弾む声。


 実は振り返りかけて、やめる。


 視界の端を、巨大な影が横切り、喉がひくりと鳴る。


「体も暖まってきたしっおばちゃん、そろそろ本気出しちゃおうかな〜」


「え、いや……勘弁してくださ……」


 実が言い終わらないうちに、


「問答無用!!」


 次の瞬間、足元の土が爆ぜた。


 舞い上がった土が頬を打った。


「うわあああああっ!!」


 顔を引きつらせる。


 腕で頭を庇う。


 そのまま前へ逃げるように走る。


 背後で、井川百合子が楽しそうに鼻息を鳴らしている。


 井川が踏み込むたび地面が沈む。振るわれた腕が空気を裂き、風圧が背中を叩いてくる。


「ほらほら〜!!逃げてるだけじゃ、いつまでも終わらないわよ〜!!」



 現災署の廊下には、白い蛍光灯の光が静かに落ちていた。

 磨かれた床に淡く反射し、遠くの足音が小さく響いては消える。


 その廊下を、ツグミがトコトコと歩いていた。


 歩幅は小さく、腕は体の横でゆるく揺れていた。

 視線は前に向いているが、足取りはどこか一定ではない。

 途中でほんの少し歩調が変わり、また元へと戻る。


(なんなの、あれ……)


 天井の照明がツグミの視界の端を流れていく。


(飛び込み競技の完璧な着水みたいな、

 あっちに何の衝撃も伝わってなかった……)


 ツグミは歩きながら、首を傾けた。


(……もしかして彼が、あまりにも“普通”だから?)


 靴底が床を軽く鳴らした。


(架空の力なんて、普通とは真逆。

 だからこそ彼は、繋がりの強いものだけを、綺麗に取り出せているのかもしれない)


 気づけば、扉の前まで来ていた。


 ツグミは取っ手に手をかけ、そのまま、押し開く。


 中では椅子にもたれて大型モニターを見る狩野の姿があった。


 大型モニターいっぱいに、森を駆け回る実の姿が映っている。

 その後方で、井川が木々をなぎ倒しながら追っていた。


「……これ、訓練なんだよね?」


 横目に見たツグミの声が、わずかに引きつる。


「一応な」


 狩野は前から短い返事を飛ばす。


「……結局さ。彼って、どんな子なの?」


 ツグミはモニターを見たまま、問いを零した。


「あ?どんなってなんだよ?」


「うーん。性格とか、考え方とか。

 少し喋ったんだけどよくわからなくって」


 狩野はすぐには答えない。モニターの中で転びかける実を、じっと視ている。


「……おーん」


 狩野が顎に手を当てた。視線は画面のまま、眉を寄せる。


「後ろ向きなやつ」


「……ふーん」


 ツグミは軽く肩をすくめ、視線をモニターの端にちらりと移す。そのまま、淡々と画面を眺めた。


 狩野は視線はモニターから動かない。瞬きひとつせず、そのまま続けた。


「二回後ろ向きになって」

「結果的に、前向きになってるみたいなやつ」


 ツグミはゆっくりと顔を横に向け、狩野をちらりと見た。

 口の端を引き、半開きの口から小さく息を漏らす。


「……え、なにそれ」


──ドッドッ


 モニターでは今も、重みを殺しきれない足音が、実を追っていた。

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