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『現想 ― フィクションが現実に現れた世界 ―』  作者: 阿井 愛
第四章 最終決戦編

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第64話 狂笑の解放と指す媒体

「ついに……この時が!!」


 橘想の叫びが、崩壊した空間に響き渡る。


 巨大な培養槽は無残に砕け散り、割れたガラスと液体が床一面に広がっている。

 ナナが囚われていたはずの場所には、もはや人影はない。


 その中心で――黄金に輝く果実が、静かに宙へ浮かんでいた。


 脈打つように淡く明滅し、まるで呼吸をしているかのように光を放つ。


 爆発で崩れた壁の奥、遠く後方で実は倒れたまま、それを見ていることしかできなかった。


「間に合わなかった……」


 拳が地面を虚しく打つ。


 鈍い音だけが、反響する。


 橘想はゆっくりと歩み寄る。

 震える指先で、黄金の果実――知恵の実を手に取った。


「これで、灯を蘇らせれる……!!」


 その声は歓喜に満ちていた。


 爆発で崩れた壁の奥、さらに後方では牧野が瓦礫の刺さった肩を押さえながら、ただ見つめている。


「やめてっ……」


 力のない声が、崩れた空間に落ちた。


 橘想は果実を掲げる。


「爆谷。今、約束を果たすからな……」


 ゆっくりと口を開く。


 爆風の余波で水浸しになった床に、深海は手をつき、薄く目を開けてその光景を見ていることしかできない。


 ツグミが走る。


「まって……!!」


 届かないと、わかっている。


 距離が。時間が。現実が。


 それでも足は止まらない。


「灯……灯……!!」


 橘想は笑っていた。


 崩れた天井から差し込む光が、その横顔を照らす。

 血と煤で汚れた頬に、場違いなほど柔らかな笑みが浮かんでいる。


 震える指先で、黄金に輝く知恵の実を持ち上げる。

 果実は脈打つように淡く明滅し、その光が橘想の瞳に映り込む。


「やっとだ……」


 誰にともなく呟き、ゆっくりと顔を近づける。


 甘い香りが、微かに漂う。

 果実の表面に触れた唇が、光を反射して金色に染まる。


 知恵の実が、静かに口元へと届く。


 その瞬間――


──ボゴオオンッ!!


 衝撃。


 鼓膜を引き裂くような爆音とともに、世界が白く弾けた。


「……え」


 実の焦点が、遅れて戻る。


 そこにあったはずの橘想の輪郭が、崩れている。


 肉も骨も、血さえも残さず、光の粒子へと分解されていく。

 金色の残滓が空中に散り、指先から、肩から、顔から――静かにほどけて消える。


 さっきまで確かに立っていたはずの存在が、音もなく消失していく異様。


 砕けた天井からは粉塵が舞い落ち、鉄骨が軋む。

 爆風に弾かれた知恵の実が、床を跳ね、転がり、瓦礫の間で止まった。


 そして――


 影が差す。


 崩落した天井。


 それを押し広げるように、巨大な影が降り立つ。


 瓦礫を踏み砕く重量。

 ひび割れた床がさらに沈み込む。


 全身を覆う黒光りする鱗。

 折り畳まれた巨大な翼。

 長くうねる尾が、ゆっくりと床を薙ぐ。


 二つの眼光が、暗闇の中で爛々と光っていた。


「ガハッ……アハハッ!!」


「アヒャハハハハアアッ!!」


 狂った笑い声とともに、その巨体が歪む。


 鱗がひび割れるように浮き上がり、ばらばらと崩れ落ちる。

 黒く硬質だった外殻が内側から溶けるように崩壊し、巨大な翼は骨ごと軋みながら縮んでいく。


 長くうねっていた尾が床を引きずり、やがて霧のように霧散する。


 黒い塊は収束し、圧縮され、輪郭を細め――


 焔堂がそこに立っていた。


「なんで……」


 実の喉から、掠れた声が漏れる。


「アヒャハハッアハハハハハハハァッ!!」


「ハァ……ハァ……ハハハ」


 焔堂は肩で息をしながらも、腹を抱えるように笑い続ける。

 瞳孔が開ききり、呼吸は荒い。だがその顔には、抑えきれない恍惚が浮かんでいる。


「ようやくだ……!!ようやく鎖を噛みちぎったぞおぉ!!」


 両腕を大きく広げる。

 崩れた天井から差し込む光が、その全身を照らす。


 解放された獣のようだった。


 実は理解できないまま、言葉を絞り出す。


「何が、したいんだお前……」


 焔堂は首を傾げる。


「んあ?ハハハッ俺さっき自己紹介したよなあ?」


 にこりと笑う。


 あまりにも無邪気な笑み。

 だが、目だけは違う。


 奥底に沈んだ狂気が、揺らめいている。


「俺ぁ現実の力を超えた殺し合いがしたいんだよ……!!」


 声が弾む。


「知恵の実なんてさいっこうの相手じゃねぇか!!」


 焔堂はゆっくりと歩き、瓦礫の間で止まっていた 黄金の果実を拾い上げる。


 掌の上で転がし、光を確かめるように眺める。


 その瞳に映るのは、欲望だけだった。


 牧野が震える声で叫ぶ。


「訳がわからない……じゃあなんで橘想を殺したの……!!」


 崩れた壁にもたれ、肩に刺さった瓦礫を押さえながら、必死に顔を上げている。

 血が指の隙間から滲み、それでも視線だけは逸らさない。


 焔堂は鼻で笑った。


 乾いた、感情のない笑い。


「はぁ?あいつが知恵の実を食らえば、俺のフィクションの繋がりをすぐ消すに決まってんだろ」


 軽く肩をすくめる。


「そして、そのまま殺されてるのがオチだ」


 当然の結論を述べるような口調だった。


 焔堂は知恵の実を指先で弄びながら、前へと差し出す。


 黄金の光が彼の顔を下から照らし、不気味な影を作る。


「だからこいつは、別の奴に食らわす。そして俺の遊び相手になった貰うんだあ」


 楽しげに、まるで新しい玩具を見つけた子供のように微笑む。


 ツグミが叫ぶ。


「橘想しか神の媒体になれないんじゃなかったの?」


 足を止めたまま、拳を握り締めている。

 否定してほしい現実が、目の前に転がっている。


「ハッ違うなあ!!」


 焔堂の口角がさらに吊り上がる。


 瞳がぎらりと光る。


 崩壊した空間の中心で、彼だけが心底愉しんでいた。


「あいつが神の媒体になれるっつうのは、現実との繋がりがつええからだろ?」


 焔堂は知恵の実をくるりと回しながら続ける。


「確かにあいつほど繋がりが強くはねぇが……力を使える奴ぁいるぜ」


 その声音は確信に満ちていた。


 牧野の顔から血の気が引く。


 理解してしまった者の表情だった。


「……まさか」


 焔堂はゆっくりとツグミへ視線を向ける。


 怯まず睨み返す彼女を、値踏みするように眺める。


「現実との繋がりが強い現想を使えるや奴……実際にサイズは違えど、この世に存在する現想生物『巨大蜘蛛』と繋がる黒羽サクヤ」


 わざとらしく間を置き、視線を横へ滑らせる。


 空気が、重く沈む。


「そしてもう一人」


 血の滲んだ指で、ゆっくりと前を指す。


 その先。


「現想技物『錬金術』と繋がるお前」


「……え」


 視線が絡み合う。


 焔堂の瞳は愉悦に細められていた。


「……田中実だ」

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