第63話 血染めの策と弾む背中
──ゴオオオオオオッ!!
大きな黒龍が、肺の奥から絞り出すように灼熱を吐き出した。
爆音とともに炎が奔流となって押し寄せる。熱風が皮膚を刺し、空気が一瞬で焼ける。
実は咄嗟に地面を蹴り、横へ転がる。ツグミは床を滑るように退き、牧野は最小限の動きで死角へ跳ぶ。深海は水槽の陰に身体を沈めた。
炎が通り過ぎた後、床には赤く焦げた痕が残る。
牧野が短く呟く。
「じゃあ、みんな作戦通りに」
実は強く頷くと、黒龍の脇を抜け、その奥に立つ橘想へ向かって一直線に駆け出した。
黒龍が首だけを巡らせる。
「あ?そっちかよ」
(橘想が深海さんのディープネプチューンを警戒していたのはわかってる……恐らく透過できるサイズに制限があるんだ)
実は低く踏み込み、掌を地面へ叩きつけた。
瞬間、地面が波打ち、形を変える。
巨大な長方形の塊が隆起し、橘想へと襲いかかる。
橘想は無言のまま、大きく横へ跳んでそれを回避した。
重い塊が空を裂き、壁に叩きつけられる。
(やっぱり避けた……となると僕の役目は、動きが遅い金属以外の形状変化で、深海さんのディープネプチューンの隙を作ることだ)
対峙したまま、実は周囲の動きも逃さない。
黒龍が牧野を睨み、低く喉を鳴らした。
「俺に人数割かなくていいのかよ?」
その巨体へ、ツグミが一直線に踏み込む。
黒龍の熱が、離れていても肌を刺す。
だがツグミは止まらない。
鱗へ手が触れた瞬間――
白い霜が一点から弾けるように広がった。
凍気が鱗の隙間を走り、黒龍の足元を一気に飲み込む。
黒龍が鼻を鳴らす。
「なんだ、しょーもねえ」
凍っていない方の足が振り上げられ、ツグミへ向けて振り下ろされた。
当たる寸前、横から伸びた触手がツグミの身体に巻きつき、強引に引き離す。
ツグミの身体はそのまま後方の壁へと叩きつけられた。
鈍い衝撃音が響く。
金属を変形させたまま、実は次の手を頭で反復する。
(焔堂を2人で対処するのは困難だ……僕はツグミさん達のサポートをしながら対処しなきゃいけない)
ツグミは壁に足をつき、強引に体勢を立て直す。
視線はすぐに牧野へと向く。
「牧野さん!!」
凍りついた足元、その氷の前に、すでに牧野が立っていた。
黒龍の視線が落ちる。
ほんの一瞬、目が細まる。
次の瞬間――牧野の姿が掻き消えた。
空気が裂ける。
「いっでえええっ!!」
遅れて、黒龍の小指が音もなく消失していた。
肉と鱗が円形に抉り抜かれ、血飛沫が宙に散る。
その直線上に、牧野の身体がすでに抜けていた。
「痛えんだけどおっ!!」
黒龍は反射的に振り向き、後方で止まった牧野へ炎を吐き出す。
だが、牧野の身体に再び触手が巻きつき、横へと投げ飛ばされた。ツグミのいる壁際へと叩き込まれる。
黒龍が目を細め、奥を睨む。
「ああ、なるほどなあ」
視線の先、水槽に手を沈め続ける深海の姿。
戦場の喧騒など届いていないかのように、
微動だにせず、水面だけがかすかに揺れている。
「お前らは橘想を対処しながら近距離組の機動力を確保してんのか」
壁際の牧野へ目を向ける。
「眼鏡のねえちゃんは防御不可の突進攻撃、反動でしばらく動けないって感じか?」
牧野は息を整えながら眉をわずかに寄せる。
「……ちゃんと頭もキレるんだ」
黒龍が肩を鳴らす。
「まあでも関係ねぇな」
──ドゴオオオオンッ!!
黒龍が突然天井をぶち破った。
上空へと飛び上がる。コンクリートが砕け、瓦礫が降り注いだ。
「なっ!?」
ツグミが目を見開き、降り注ぐ破片を跳ねるように避ける。
その頭上――
朝日を背に、黒龍が悠然と空を滑っていた。
逆光に輪郭だけが浮かび上がる。
翼が一度、大きく打ち下ろされる。
次の瞬間。
空気が圧縮される。
巨大な影が地面を走り、
黒龍の巨体が一直線にツグミへと落ちてきた。
迫る影に歯を食いしばり、ツグミは足を止める。
両腕を大きく開き、落ちてくる巨体へと伸ばした。
──ドゴオオオオンッ
衝撃と煙。
爆ぜたような音のあと、白煙が視界を塞ぐ。
煙がゆっくりと晴れていく。
その中で、ツグミの身体は触手に巻きつけられたまま、壁へと叩きつけられていた。
鈍い音。
床に破片が転がる。
「深海さん、ありがととう」
息を整えながら顔を上げる。
奥で、水槽に腕を沈めたままの深海が頷いた。
水面だけがわずかに揺れている。
「でも、これは……」
視線を戻す。
黒龍はすでに上空へ舞い戻り、
朝日の中で旋回していた。
◇
その頃、実は再び地面に手をついていた。
掌の下で、コンクリートが軋む。
波打つように床が盛り上がり、
橘想の立つ足場が持ち上がっていく。
(このまま、ぺちゃんこにするか、避けた所を深海さんのディープネプチューンで仕留める!!)
指先にさらに力を込める。
床はさらに膨張し、逃げ場を削る。
顔を上げる。
――橘想は動いていない。
崩れゆく足場の上で、逃げもせず、
静かに拳銃を実へ向けていた。
(なっ!!まず──)
床から足を切り、横へ身を流した瞬間。
──バァンッ!!
銃声。
空気が裂ける。
「ゔっ……」
肩に焼けるような衝撃が走った。
身体が横へ弾かれ、制御を失う。
肩を貫いている。
実は片膝をつき、そのまま崩れた。
咄嗟に地面へ手をつくが、力が入らない。
指先が血で滑る。
赤が、ひび割れた床をゆっくりと染めていく。
荒い呼吸のまま顔を上げる。
視界の先――
天井に届くほど隆起した地面の頂から、
橘想が静かに見下ろしている。
「……まずは、1人」
拳銃が再び持ち上がる。
引き金にかかった指が、わずかに沈む。
倒れ伏したまま、実は血のにじむ指で床を掴んだ。
肩から熱が滴り落ちる。
それでも喉を裂くように叫んだ。
「これで逃げ道は塞ぎました!!」
その声で橘想の目が、わずかに横へ流れる。
違和感。
視界の端に影が増えている。
次の瞬間、前方以外を囲うように、
地面から分厚い壁がせり上がっていることに気づいた。
崩れた破片ではない。
意志を持つように、計算された角度で立ち上がっている。
(……こいつ、倒れながら地面を形状変化させていたのか)
銃を構えたまま、橘想の視線が正面へ戻る。
その奥――
深海は水槽の中へ全身を沈めていた。
水面だけが、不自然に波打っている。
次の瞬間。
建物の影が、膨れ上がった。
そこから這い出るように、巨大な影が姿を現す。
幾重にも重なる触手。
一本一本が太く、湿った質量を孕んでいる。
それらが壁のように前方を塞ぐ。
隙間はない。
透過を許さない密度。
囲う。
そして――同時に叩きつけた。
空気が圧縮され、衝撃が爆ぜる。
その刹那、橘想は迫る触手へ、迷いなく何かを放った。
倒れたままの実の目が見開かれる。
(……勝った!!)
だが、
──バグオオオンッ!!
爆音。
橘想のいた地点が白く閃き、次の瞬間、爆圧が外へ弾けた。
衝撃波が広がり、
クラーケンの触手の外側が削ぎ落とされる。
分厚く重なっていた肉塊が、
表面から抉られるように、
裂ける。
外殻が弾け、
触手は外側から崩れ、千切れ落ちた。
「な……」
実の喉から、掠れた声が漏れる。
衝撃を受けた巨体は、そのまま時間制限とともに影へと還った。
輪郭が薄れ、
黒い残滓だけを残して消えた。
檻のように築かれていた壁も地面も、
爆圧に耐えきれず外側から砕け散っている。
瓦礫が舞い、煙が立ち込める。
その中心に――
無傷。
橘想が立っていた。
「爆谷の現想技物『窒素爆弾』は爆谷が威力を好きに設定して生み出し、それを爆谷の任意のタイミングで爆ぜさせる」
倒れたまま、実がかすれた息を吐く。
肩から流れる血が床を濡らし、
指先はまだ地面に触れたまま震えている。
爆煙の中心を見上げ、実は呟いた。
「爆谷さん……だと?」
橘想がゆっくりと息を吐く。
「7時丁度。あいつの覚悟を信じてよかったよ」
──ボゴオオンッ!!
その直後、天井が激しく軋んだ。
黒龍が再び飛び降り、砕けた天井材が雨のように降り注ぐ。
「ゔぁ"っ!!」
牧野はとっさに身を翻すが、跳ねた瓦礫が肩を強く打つ。
「ハハハハッ!!」
黒龍は哄笑を響かせながら、粉塵を巻き上げて再び上空へ舞い上がった。
「くそっ……」
舞い落ちる破片の向こう、ツグミが拳を強く握りしめ、空を睨みつける。
深海は水槽の外で、地面に手をついている。
濡れた髪から水が滴り、床に小さな水溜まりを作る。
肩が荒く上下する。
その呼吸ははっきりと乱れていた。
倒れたままの実は歯を食いしばる。
肩から流れた血が床に滲み、力を込めようとするたびに腕が小さく震えた。
立ち上がれない。
それでも視線だけは逸らさず、前方に立つ橘想を睨み上げる。
「くっそ……!!」
「……終わりだな」
橘想はゆっくりと拳銃を持ち上げる。
三度目の銃口が、実を捉えた。
その瞬間。
──ウゥゥゥゥゥゥン……
サイレンが鳴り響く。
甲高い警告音が、崩れた天井と割れた床に反響する。
「時間だ……!!」
橘想の口元がはっきりと緩んだ。
張り詰めていた指先から力が抜け、拳銃が床へ落ちる。
乾いた金属音がやけに大きく響く。
「……は?」
実の喉から、かすれた声が漏れる。
状況が理解できない。
橘想はくるりと背を向けると、
何の未練もなく奥へと駆け出した。
瓦礫を軽く飛び越え、
弾むような足取りで。
その背はまるで、
待ちに待ったゲームを買いに行く、子供のようだった。




