第58話 瓦礫の独白と笑顔の銃声
地獄は、夜になっても赤かった。
空は暗いはずなのに、地面の裂け目から滲み出る光が街を照らしている。赤黒い岩が波打ち、ところどころでマグマが泡立つ。熱気は止まることなく立ち上り、空気を歪ませ、遠くの輪郭を揺らしていた。
崩れた建物の骨組みは黒く焦げ、地面と一体化したように沈んでいる。硫黄の匂いが鼻を刺し、呼吸をするたびに喉が焼けた。
その灼熱の中を、牧野が一直線に駆ける。
進路を塞ぐ赤黒い巨岩。
次の瞬間、牧野は躊躇なく踏み込む。
衝撃が走る。
岩が内部から爆ぜるようにひび割れ、粉々に砕け散る。破片が熱風に巻き上げられ、火花のように宙を舞った。
崩れた岩の隙間から、男性が転がり出る。
「ありがとうございます」
男性は何度も頭を下げる。額には汗と灰が混じっている。
奥から、友達らしき男が駆け寄ってくる。
「いや、感謝する必要ねぇって、
こいつらのせいでこの災害が起きたんだぞ? 早く行こうぜ……」
「え、うん……」
肩を支え、二人は足早に去っていく。
その背中を、狩野が黙って見送った。
助けたはずなのに、礼と罵声が同時に残る。
狩野の表情がわずかに曇る。
牧野は振り返らない。
「現想領域内にはコアがある、それを破壊すれば、元の街に戻るから私達のやることはコアを探しつつ、中にいる人の救助」
「頑張りましょう」
淡々と告げる。
「っはい……」
狩野は短く答える。
二人は再び走り出す。
赤黒い岩を踏み越え、崩れた柱を飛び越え、熱気の中を一直線に進む。足元で岩が軋み、遠くで何かが崩れる音が響く。
走りながら、牧野の脳裏に護の姿がよぎる。
(これで……いいんだよね)
一瞬、足がわずかに鈍る。
だが、すぐに前を向く。
苦悶を押し込めるように、唇を引き結び、走り続けた。
◇
防災省は、もう存在しなかった。
巨大なビルは根元から砕け、鉄骨がむき出しのまま地面に横たわっている。瓦礫は山のように積み重なり、その間に無数の死体が転がっていた。
血の匂いと粉塵が混ざり合い、空気は重く淀んでいる。
その奥で、巨人が暴れていた。
腕を振るたびにビルが崩れ、足を踏み下ろすたびに地面が割れる。咆哮のような低い振動が空間を震わせる。
瓦礫の上を、眼帯姿の護が歩いていた。
服は血で濡れ、頬にも乾いた赤が張り付いている。それでも足取りは止まらない。
瓦礫をどけては、去る。
どけては、去る。
「兄貴俺さぁ、ずっと後悔してたんだ〜」
からりとした声。
護は、血に濡れた瓦礫の上に立ちながらも、いつもと変わらない笑みを浮かべている。片目を細め、どこか楽しげにさえ見える表情。
しゃがみ込み、邪魔な鉄骨に手をかける。
ぐっと力を込めると、鈍く軋んでいた鉄骨が持ち上がり、そのまま横へ放られる。
重い金属が地面に落ち、乾いた衝撃音が響いた。
動きは軽い。
まるで掃除でもしているかのように、次の瓦礫へと手を伸ばす。
「あの日、兄貴がスマホを忘れたことにもっと早く気づけていればさ〜」
「兄貴はフィクションに落ちてなかったかもしれないだろ」
優しく微笑む。
血に濡れた頬のまま、それでも変わらない穏やかな笑顔だった。まるで遠い昔話でもしているかのように、柔らかく目を細める。
その背後で。
巨人の腕が振り下ろされていた。
高層ビルが握り潰され、鉄骨が悲鳴のような音を立てて折れ曲がる。ガラスが一斉に砕け、夜空に銀色の破片が散る。
轟音が大気を震わせ、地面の瓦礫が跳ねる。
それでも護は振り返らない。
穏やかな表情のまま、次の瓦礫へと手を伸ばしていた。
「ごめんな……兄貴。気づけてあげられなくてさ」
「……俺、あれ以来、現災署に入ってからさ」
「めっちゃ疑り深くなっちゃったんだ〜」
瓦礫の隙間に手を差し入れる。
引っかかっていた腕を掴み、ゆっくりと引きずり出す。崩れたコンクリート片がぱらぱらと落ち、乾いた音を立てた。
制服の肩章が、かすかに土埃にまみれている。
護は表情を変えない。
膝をつき、手慣れた様子で胸元から腰へとポケットを探る。布越しに形を確かめ、指先で中身を確かめていく。
「しかも疑り深いくせして……肝心な所で、1手遅れる」
「あの同時災害の日、まじでめっちゃ落ち込んだな〜」
軽く肩をすくめながら、指先で布地の上から形を確かめる。
片目は、目の前ではなく、もっと遠いどこかを見ていた。まるであの日の光景をなぞるみたいに。
瓦礫の隙間から吹き込む風が、髪を揺らす。
そのとき、指先に硬い感触が触れた。
「……お」
わずかに口角が上がる。
「あった、あった」
子どもが探し物を見つけたみたいな声音。
護は瓦礫の中から拳銃を抜き取る。粉塵がぱらりと落ち、金属の鈍い光が夜に浮かぶ。
くるりと手の中で回し、グリップを握り直す。
重みを確かめるように、軽く上下に振る。
「うん」
小さく頷くと、立ち上がる。
そのまま、ゆっくりと身体を巨人の方へ向けた。
遠くで、巨人が腕を振るう。ビルの上層が崩れ、鉄骨がねじ曲がり、瓦礫が波のように押し寄せる。
それでも護は慌てない。
赤い光に照らされながら、静かに立っていた。
「兄貴が、壊れていくのをさ……」
「俺は黙ってみるだけで、なんにもしてあげられなかったよな……」
護は小さく息を吐く。
片目を細め、赤い空の向こうを見る。その視線は、暴れる巨人ではなく、もっと遠い場所へ向いていた。
ゆっくりと視線を落とす。
「だから、せめてさ」
拳銃を持つ手を上げる。
冷たい金属が、こめかみに触れる。
一瞬だけ、間。
そして――
護は、笑った。
泣き顔でも、苦笑でもない。
昔と変わらない、どこか照れくさそうな、あの爽やかな笑みで。
「兄貴の罪を……俺も背負って逝くよ」
次の瞬間。
──銃声が夜を裂いた。
巨人の額。
大きな穴が空く。
一拍遅れて、亀裂が走る。
ひびは蜘蛛の巣のように広がり、内側から白い光が滲み出す。
次の瞬間、全身が弾けるように崩れた。
巨大な影は形を失い、無数の光の粒子となって、夜へと溶けていく。
瓦礫を揺らしていた振動が止まる。
轟音が消える。
ただ、風が吹き抜ける音だけが残った。
荒らされたビル群。
折れた鉄骨。砕けたガラス。転がる瓦礫。
そして、無数の死体。
その中のひとつが、大きな責任を背負っていた。




