第57話 地獄の爆炎と滲む不快
いつの間にか、空は夜に沈んでいた。
黒く澄んだ闇の下、街は真っ二つに裂けている。
片側は無機質なビル群。ひび割れながらも形を保つコンクリート、割れた窓ガラスに映る非常灯の残光。
もう片側は、赤黒く脈打つ岩の大地。地面は波打つように盛り上がり、ところどころから赤い光が滲み出している。マグマの泡立つ音が、夜の静寂を内側から侵していた。
境界線は、異様なほどはっきりしている。
コンクリートと赤黒い岩が、まるで世界を縫い合わせたかのように、一直線に分かれていた。
その縁に、現災署の五人が立っていた。
「牧野さんこれ……」
ツグミの声は低く、目は境界の向こうを見据えている。
「うん、多分現想領域『地獄』かな」
牧野はゆっくりと頷いた。
「Σ(゜Д゜)」
「どうしたんですか深海さん、ってうわっ!?」
実が深海の水槽を見て声を上げる。
境界線を越えた瞬間、水槽の中の水が一斉に沸騰した。ぶくぶくと白い泡が弾け、水面が荒れ狂う。次の瞬間、内部は白煙で満たされ、水は蒸気となって一気に消え失せた。ガラス越しでも分かる異常な熱量。
残ったのは、乾いた空気だけ。
「(´・ω・`)」
深海の表情がしょんぼりと沈む。
ツグミは唇を引き結んだ。
「私も厳しそうだけど、深海さんはそもそも戦えないみたいね……」
狩野が肩を竦める。
「まあ、深海さんは橘想とやる時のキーマンなんで現災署で待機しといてくださいよ」
「(*゜∀゜)*。_。)」
深海が小さく頷く。
熱気が頬を撫でる。息を吸うだけで喉が焼けるほど。
牧野は境界線を見つめる。赤黒い岩がゆっくりと鼓動のように脈打っている。
「……私と狩野くんが地獄に対応、実くんとツグミちゃんが橘想か爆谷に対応」
「って感じで別れましょう」
即断だった。
「了解です」
狩野が短く答える。
「わかりまし──」
実が口を開きかけた、その時だった。
「話は終わったっすかあ?」
軽い声が、頭上から落ちてくる。
ツグミの肩がびくりと跳ねる。
「!?」
反射的に視線を上げる。
赤黒い岩の高台。
その上で爆谷が片手を振っていた。
「ここには俺しかいないっすよ〜」
「ちゃっちゃっとやりましょ、隠蔽集団、現災署の皆さん」
ニヤリと笑い、指先で何かを弾く。
小さな影が弧を描いた。
ピッ
──バグオオオン!!
爆炎が夜を裂いた。
衝撃波が地面を叩き、境界線のコンクリートにまで振動が伝わる。
「……めんどくさいっすね」
爆谷の呟きの向こうで、黄金の光が広がる。
実が瞬時に巨大な金の盾を形成していた。爆風が直撃し、火花が散る。衝撃が盾の表面を波紋のように走る。
だが、破れない。
熱風が四人の髪を激しく煽った。
実が歯を食いしばったまま叫ぶ。
「牧野さん狩野さん地獄は任せました」
「わかった」
「気をつけろよ」
二人は境界の向こうへ駆けていく。赤黒い岩を踏んだ瞬間、靴底から煙が上がる。
残されたのは、実とツグミ。
二人は同時に爆谷を睨む。
「実くん、いこう」
「はい!!」
爆谷は肩を鳴らした。
(金を好きな形変える力……威力上げて盾を粉々にするっすかね)
「ほーい!!」
再び投げる。
ピッ
──バグオオオンッ!!
「ぐっ!?」
実が再び盾を展開する。
爆炎が直撃し、黄金の表面に蜘蛛の巣状の亀裂が走る。破片のような光が散る。
爆谷が目を見開く。
「……うおっ!!」
爆風の横から、ツグミが一気に距離を詰めていた。
指先が爆谷へ伸びる。
あとわずか。
指先と肩の距離は、ほんの数十センチ。
だが、爆谷の体がふっと横へ滑った。
熱で揺らぐ空気の中、足場の悪い岩場を踏みしめながら、最小限の動きで身を翻す。
ツグミの指先が空を切る。
そのまま、赤黒い岩肌に触れた。
瞬間。
じゅ、と音を立てて岩が白く染まる。
霜のような白が一気に広がり、ぱき、と乾いた破裂音。
次の瞬間、凍りついた部分が内部から崩れ、白煙を上げながら蒸発するように消えた。
爆谷はすでに数メートル後方へ跳んでいる。
(ヒートショック現象狙いっすかね……触れられたらアウトだなこりゃ)
距離を保ったまま、目だけでツグミを測る。
ツグミは追わない。
わずかに肩で息をしながら、その動きを観察している。
「……やっぱり離れた」
小さな呟き。
爆谷は眉をわずかに上げた。
「なんか、考えてるみたいっすけど——」
赤い岩の上で足を止め、にやりと笑う。
「あんた、もう終わりっすよ」
その視線はツグミに向いている。
「!?」
ツグミの表情が強張る。
ピッ
ツグミの足元。
赤黒い岩の裂け目が一瞬だけ不自然に光った。
──バグオオオンッ!!
次の瞬間、内部から膨れ上がるように爆発が起きる。地面そのものが持ち上がり、岩塊が弾け飛ぶ。衝撃が空気を押し潰し、熱風が渦を巻く。
炎が縦に噴き上がり、夜空を赤く染めた。
破片が雨のように降り注ぐ。焼けた岩が地面に叩きつけられ、連鎖するように小爆発が走る。
視界は一瞬で煙と火花に覆われた。
ツグミの足元の岩場が、内部から弾け飛ぶ。
炎と破片が夜空へ舞う。
「ここら一体、俺が爆弾い〜っぱいしかけてたんすよね〜」
爆谷は後退しながら、爆風を眺めている。
爆炎の余熱がまだ空気を震わせている。
煙がゆっくりと晴れていく。赤黒い粉塵が夜風に流され、焦げた匂いだけが残った。
「……はぁ、めんどくさ」
爆谷が吐き捨てる。
煙の向こう。
巨大な金の盾。
表面は蜘蛛の巣のようにひび割れ、今にも砕けそうに軋んでいる。それでも、確かに二人を守り切っていた。
盾の内側。
実が肩で荒く息をしながら、崩れ落ちかけたツグミの体を支えている。片腕で盾を維持し、もう片方で彼女の肩を抱く格好になっていた。
「ツグミさん大丈夫ですか?」
息がかかるほどの距離。
「う、うん……ありがと──」
ツグミがゆっくりと目を開ける。
視界いっぱいに、実の顔。
「うわあああ!?」
勢いよく立ち上がる。足元がふらつき、岩を踏み鳴らす音が響く。
一歩、二歩と距離を取る。
耳の奥で自分の鼓動が暴れている。熱のせいか、それとも別の理由か、自分でも分からない。
頬がじわじわと熱を帯びる。
爆谷の口元に浮かんでいた笑みが、そこでわずかに止まった。
視線が細くなる。
(……あ?)
その瞬間、頭の奥に声がよぎる。
『爆谷くん、無理に笑わなくていいんだよ』
「……ハハッ」
爆谷が小さく息を漏らす。笑いながらも、目は笑っていない。
(……あぁ、イラッときた理由がわかったっすわ)
手を頭に当て、俯く。指先が前髪をかき上げる。
「ツグミさん、めっちゃ顔赤いですけど大丈夫ですか!?」
実は本気で心配している声音だった。
地獄の熱気は容赦がない。立っているだけで汗が噴き出し、呼吸をするたびに喉が焼ける。
ツグミは慌てて首を振る。
「ええ!? う、うん大丈夫、大丈夫」
声が少し裏返る。
視線を逸らし、必要以上に実との距離を保とうとする。
その様子を、爆谷は黙って見ていた。
赤黒い岩の上に立ったまま、二人のやり取りを一瞬も目を離さずに。
ゆっくりと、顔を上げる。
地面の赤い光が、その瞳に揺らめいて映り込む。
(俺っち……こいつ)
視線が、まっすぐ実へ向く。
さっきまでの軽薄な笑みは、もうない。
口元から力が抜け、代わりに奥歯がわずかに軋む。
「嫌いだ……」




