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『現想 ― フィクションが現実に現れた世界 ―』  作者: 阿井 愛
第四章 最終決戦編

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第56話 任せる別れと背向けの情け

──東京現災署。


 緊急アラートの赤い表示がモニターを染める。


「防災省に現災が!?」


 実の声が、張り詰めた室内の空気を震わせた。


 次の瞬間、壁一面のモニターに走る赤い警告表示。警報音が遅れて耳を打つ。無機質な電子音が、鼓動のようにフロア全体へ反響していく。


 ツグミの指が、キーボードの上で止まった。


「タイミングからして人為的ですよね……」


 視線は画面から外さない。だが、その声色はわずかに沈んでいる。


 牧野は一歩前へ出る。白衣の裾がわずかに揺れた。


「ええ、恐らく。近くに、爆谷か橘想がいると思う」


 その言葉は冷静だったが、眼鏡の奥の瞳は明らかに焦りを帯びている。画面には防災省の中心部が、赤く染まりきっていた。


「今すぐみんなで向かいましょう」


──ウゥゥゥゥゥンッ!!


 牧野の指示と同時。


 再び警報が鳴り始める。


 甲高いサイレンが、建物全体を貫いた。


「(゜д゜)」


モニターに浮かぶ二つ目の警告表示が、赤く明滅している。


「っ2体目……!!」


 実の喉を締めつけられる。


「チッまた、同時災害かよ」


 狩野が吐き捨てるよう呟いた。舌打ちの音がやけに乾いて響いた。


 ツグミはすでに画面へ身を乗り出している。複数のウィンドウを切り替え、発生地点の座標と拡大速度を確認し、視線だけで牧野を呼ぶ。


「どうします?牧野さん」


 牧野は答えない。


 視線は壁面モニターの二つの赤点を往復している。

 二つの座標。

 戦力は五人。


「二手に別れるしかない……けど」


 言い切る前に、ポケットの中で振動が鳴った。


 その小さな電子音が、やけに鋭く感じられる。


 牧野は取り出し、画面を見た瞬間に息を呑んだ。


「護くん!? 大丈夫なの!?」


『まあなんとかね』


 受話口から届く声は、妙に落ち着いていた。


『とりあえず、時間がないから、必要なことを2つだけ伝える』

『1つ目はこっちに出たのは巨人だったってこと』


 その単語が落ちた瞬間、室内の空気がわずかに変わった。


「え、巨人って……」


 牧野の声が震えた。


 ツグミの指がキーボードの上で止まる。呼吸を忘れたように、画面を見つめたまま動かない。


『多分絡新婦をツグミちゃん代わりに生贄にして現想させたんだと思う』

『だから、爆谷と橘想はこっちにはいないんじゃないかな』


 軽い口調のまま、状況だけが重くなる。


「巨人って……ドラゴンレベルに強いって話じゃなかったですか……?」


 実の声は小さい。まるで現実逃避のようにか細かった。


 牧野は何も言えない。

 眼鏡の奥の瞳が、ほんのわずかに揺れた。


『……2つ目はみんなは全員でもう片方の現災に向かってってこと』

『こっちは俺1人でじゅーぶんだから』


 室内に沈黙が落ちる。


 機械のファンの音だけが耳につく。


 狩野が低く口を開く。


「……それって」


 牧野は俯き、唇を強く噛み締める。眼鏡の奥に滲んだものが、視界を歪ませる。


 数秒の逡巡。


 やがて顔を上げる。


「わかった、そっちは任せる」


 震えを押し殺した声だった。


『んじゃ頼んだよ〜』


 通話が切れる。


 短い電子音が、やけに長く尾を引いた。


 牧野は鼻を啜り、その場に崩れるように膝をついた。手のひらが冷たい床に触れる。


「牧野さん……」


 ツグミの声が揺れる。


「……いきましょう」


 牧野はすぐに立ち上がった。白衣の裾を整える手がわずかに震えている。

 苦悶を呑み込んだ顔のまま、前を向いた。


「……はい」


 ◇


 地面が赤黒く脈打っていた。


 アスファルトは溶け落ち、ひび割れた地面の隙間から赤い光が覗いている。粘つく岩が盛り上がり、泡立つ液体がゆっくりと弾けるたび、熱気が押し寄せる。


 コポコポ、と低い音があちこちで鳴る。


 焼け焦げた車体が横転し、窓ガラスは溶けて歪んでいる。建物の骨組みは黒く炭化し、崩れ落ちた壁の断面からまだ煙が立ち上っていた。


 鼻を刺す硫黄の匂い。

 喉を焼く熱風。


「熱い……助けて……!!」

「誰か……誰かいないのか!!」


 岩陰に身を寄せる人々の声が、熱で揺らいだ空気の向こうから断片的に届く。足を引きずる者、倒れた誰かを必死に揺さぶる者。悲鳴と咳き込みが混ざり合う。


 世界が、内側から煮立っているかのようだった。


 その高台。


 赤黒い岩の上に立つ影が一つ。


 爆谷は腕を組み、灼熱の光景を見下ろしていた。熱風に前髪が揺れても、表情は変わらない。


 耳に当てたスマホから声が流れる。


『爆谷……これが最後の戦いになる』

『そっちは任せたぞ』


「りょーかいっす」


 軽い返事。


 通話が切れる。


「すみません!! 助けてください!!」


 下から必死な叫び声が届く。


 爆谷はゆっくり視線を落とす。


 女性が巨大な赤黒い岩に脚を挟まれていた。岩は地面と一体化したように固まり、逃げ場を塞いでいる。汗と涙で顔はぐしゃぐしゃだ。


「……そういうのは、自分でなんとかするしかないんすよ」


 淡々と告げる。


 ほんの一瞬だけ目を細め、そのまま背を向けた。


「そんな……」


 掠れた絶望の声が追いかけてくる。


 爆谷は振り返らないまま、


 後ろ手に何かを放った。


 小さな影が弧を描く。


 ピッ


──バグオオオンッ!!


 衝撃が空気を押し潰す。


 爆風が熱気を吹き飛ばし、赤い粉塵が舞い上がった。


「っ!!」


 女性は思わず目を閉じる。轟音の余韻が耳鳴りとなって残る。


 白く濁った煙。


 ゆっくりと晴れていく。


 恐る恐る目を開ける。


「え」


 自分の脚を押さえつけていた赤黒い岩は、跡形もなく砕け散っていた。足元には細かな破片だけが転がり、まだ熱を帯びている。


 爆谷の背中は、すでに遠ざかっていた。

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