第55話 始まる暴動と現れる巨影
夜。
ひよりの部屋には、淡いピンク色の間接照明が揺れていた。壁にはアイドルのポスターや、かわいらしいイラストが雑然と並ぶ。小さなぬいぐるみがベッドにちょこんと座り、机の上には開きかけの少女漫画と香り付きのノートが置かれている。まるで自分の物語の舞台のように整えられた空間は、ひよりの心の延長だった。
ベッドの上に座ったひよりは、慌てた手つきでスマホをスワイプしていた。画面には、橘想の告発動画の一部が再生され、続いて特定班による現災署隊員の名前リストが表示される。無造作に並ぶその文字列の中に、確かに「田中実」の名前があった。
「そんな……」
ひよりの小さな声が、部屋の静けさに溶けていく。顔は蒼白になり、唇をわずかに噛みしめる。
『国マジでクソすぎだろ』『実験のために一般人巻き込むなや』『防災省も現災署も死ね』『情報隠蔽しまくってんじゃねえよ』『こいつら全員地獄に落ちろ』『説明しろよ、まじで』『こんな組織が存在する意味がわからん』『実験のせいでどんだけ人死んだんだよ』『だんまり決め込んでるとか頭おかしいだろ』『国の犬ども全員まとめて焼き尽くせ』『やべえ、この国マジでやべえ』『これ、マジ?』
ひよりはベッドに座ったまま、荒い息をつきながらスマホを握りしめる。指先が震え、画面の文字が滲む。
「そんな……」
彼女の視界に、あの夜の光景が蘇る。逃げ惑う自分、迫る影、月明かりに照らされた通り。夢で何度も見た、恐怖と混乱と、自分の手を引く少年の横顔。
「違う……」
首を振る。布団の角を握り、膝に顔を埋めながらも、スマホから目を離せない。
『こいつら全員死ね』『人殺しの集団じゃん』『実験のために一般人巻き込むなや』『裏で何やってんだ』『田中実特定17歳高校生。公立武蔵高校。今から凸るわ』
「実先輩は、そんな人じゃないっ……」
ひよりは横に大きく首を振り続ける。その動きはどんどん荒くなり、布団を掴み、身体を揺さぶる。
『……ひよりさんは、普通だと思うよ』
「違う違う違うっ!!」
スマホを思い切り投げ飛ばし、頭を抱える。床に転がったスマホの画面は光を反射していた。
「実先輩は、私の王子様なの……」
「私の……!!」
その瞳は部屋の淡い光を跳ね返す。
唇を噛み、肩を震わせ、体を小さく丸めたままベッドに座り込む。
指先は力強く爪を立て、スマホの端を押し潰すように握り込み、白くなる。
目は画面の文字列と空の彼方を交互に追い、頭を左右に振るたびに胸が上下に揺れる。
まるで現実と夢を押し分け、どちらにも触れようと必死にもがくかのようだった。
◇
翌日。
夕方の薄暗い空の下、東京現災署の前には異様な光景が広がっていた。
庁舎を取り囲むように、何十、何百という人だかり。
スマホを掲げる者、拡声器を持つ者、ただ不安げに立ち尽くす者。
「説明しろ!!」
「動画は本当なのか!?」
「俺たちを実験台にしてたってどういうことだ!!」
怒号が飛び交う。
庁舎のガラス扉越しに、それを見つめる現災署の面々。
「……見事にやられましたね。情報規制が逆手に取った大衆の扇動」
ツグミが静かに呟いた。
「(; ・`ω・´)」
実は人だかりを見つめ、不安そうに口を開いた。
「情報規制してたのは、フィクションが認知度があがると強くなっちゃうからですよね」
牧野は静かに頷いた。
「うん。他にも、一般人が私達みたいにフィクションに繋がる危険性がある」
「だいぶ無理矢理にでも隠すべきだとは思うんだけど……」
パソコンのモニターには、拡散され続ける動画の再生数とコメント欄。
秒単位で数字が跳ね上がっていく。
牧野は視線を落とし、唇を噛む。
画面の向こう。
恐怖と怒りと好奇心。
それらが混ざり合い、制御不能な波になりつつある。
「こうなった以上はどうしようもないかもね……」
低く、重い声。
覚悟と諦めが半分ずつ滲んでいた。
「……おい、俺達の顔まででてるぞ」
狩野がスマホを実とツグミに見せる。
拡散された動画の切り抜き。
現災署のメンバーの写真に、“隠蔽組織”の文字。
「( ;∀;)」
「うわ、ほんとだ……」
ツグミが顔をしかめる。
画面に映る自分たちの写真と、悪意ある見出し。
「完全に僕達が悪役ですねこれ……」
実が苦笑いを浮かべる。
「ところで、護さんは今どこに?」
牧野は一度だけ息を整え、ゆっくりと口を開いた。
その声は落ち着いているが、指先はわずかに強くパソコンを握っていた。
「護は防災省にいって、偉い人と会議してる」
「フィクションを公にするかどうかを──」
そのとき。
──ウゥゥゥゥゥンッ
警報のサイレンが鳴り響く。
全員の表情が一斉に凍る。
牧野がすぐにパソコンを開き、データを確認した。
「このタイミングで、現想災害!?」
実の声がわずかに裏返る。
鳴り止まない警報音が、室内の空気を焦らせる。
「明らかに、人為的だなこれ」
狩野が低く吐き捨てる。
画面を睨む目が鋭く細められる。
牧野は無言のまま、流れ込んでくるデータを追う。
モニターに表示された発生座標。
「……え」
思わず漏れた声。
顔色が一瞬で変わる。
キーボードの上で指が止まる。
「牧野さん、場所は?」
ツグミの問いは静かだが、急いている。
数秒の沈黙。
牧野は画面から目を離せないまま、ゆっくりと顔を上げた。
喉がわずかに鳴る。
「……場所は」
◇
同時刻。
防災省前。
石造りの重厚な庁舎を取り囲むように、人、人、人。
規制線は押し破られ、機動隊が必死に盾を構えている。
「真実を話せ!!」
「国民を騙すな!!」
「現想ってなんだ!!」
怒号が何層にも重なり、空気を震わせる。
投げられたペットボトルが地面で弾け、誰かの怒鳴り声がそれを飲み込む。
庁舎前は、今にも均衡が崩れそうな暴動寸前の状態だった。
最上階の会議室。
分厚い防音ガラス越しに見える群衆は、波のようにうねっている。
だが室内の空気も、それに劣らず荒れていた。
「責任の所在を明確にすべきだ!!」
「今さら公表など論外だ!!」
怒鳴り声と机を叩く音が飛び交う。
その喧騒の中、護だけが窓の外を見ていた。
スーツの背中越しに、夕焼けに染まる街と、怒りに揺れる市民。
護は静かに口を開く。
「俺は、市民にちゃんと説明するべきだと思います」
会議室のざわめきが一瞬だけ弱まる。
「兄貴達以外に現想使える市民が現れるのはもう仕方ない、その人達が俺達の敵になる展開だけは避けるべきかと」
振り返った護の片目は、冷静そのものだった。
「簡単にいうな!! ドラゴンに対処できていないのに、更に強化されたら現災署は対処できるのか!!」
ひとりが机を強く叩く。
書類が跳ねる。
「元はといえば、お前ら東京現災署が、橘想らをキチンと駆除しておけば、こんなことにはならなかったんだ!!」
別の男が顔を真っ赤にして怒鳴る。
護は数秒、黙ってその罵声を受け止める。
そして、ゆっくりと振り返った。
「ま、完全におっしゃる通りです。すみませんでした」
護は迷いなく、深々と頭を下げた。
床に落ちる視線。
拳を強く握り締めることもなく、ただ静かに。
「貴様っ、ふざけてるのか!!」
「すべてはお前の兄が仕組んだことだろ!!」
「お前がキチンと責任を取れ!!」
四方から浴びせられる罵声。
怒鳴り声が反響し、会議室の空気が震える。
護は頭を下げたまま、歯をわずかに食いしばる。
(……兄貴の目的は、知恵の実なはず……大衆の扇動をしたのはなんだ?現想災害の強化か?)
思考が走った、その瞬間。
──ドゴオオオオンッ!!
耳をつんざく爆音。
窓ガラスが粉々に砕け散り、衝撃波が室内を蹂躙する。
身体が宙に浮いた感覚。
次の瞬間、床とも壁とも分からない硬い何かに叩きつけられた。
視界が白く弾け、音が遠のく。
呼吸ができない。
肺から空気が強制的に押し出される。
護の意識が、唐突に途切れた。
◇
「がっ……な、にが?」
薄く目を開ける。
視界が揺れている。
耳鳴りが止まらない。
そこにあったはずの会議室はない。
壁も天井も、机も椅子も。
すべてが消し飛び、空が剥き出しになっている。
防災省は――消えていた。
巨大なクレーター。
えぐれた地面。
ねじ曲がった鉄骨が、焼け焦げながら転がっている。
さっきまで暴動をしていた市民も。
怒鳴り合っていた官僚たちも。
動かない。
静まり返った地獄。
血と煙と焦げた匂いが、夕暮れの空気に混じる。
黒煙が空を覆い、赤い夕日を鈍く滲ませている。
そして。
その煙の向こう。
雲の少し下まで届く、巨大な影。
ゆっくりと動く、山のような輪郭。
人型。
地平線を覆うほどの、圧倒的な質量。
護は瓦礫に倒れたまま、震える視界でそれを見上げる。
「ハハッまじか……」
喉の奥から漏れる、乾いた笑い。
絶望でも恐怖でもない。
理解を超えた現実への反応。
視界いっぱいに広がる異形。
「巨人……」




