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『現想 ― フィクションが現実に現れた世界 ―』  作者: 阿井 愛
第3章 兄と約束編

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第48話 ツグミの過去と無邪気な罪

爆発で吹き飛んだ天井から、夜空がむき出しになっていた。


 地下室だったはずの空間は、もはや地下ではない。

 上階と繋がり、燃え盛る書架の炎がそのまま流れ込んでいる。


 焼け焦げた本が宙を舞い、灰となって降る。

 紙が燃える匂いと、薬品の焦げる臭いが混ざり合い、息をするたび喉が焼けた。


 壁際に並んでいた培養液の水槽は、ことごとく破裂している。

 分厚いガラスは粉々に砕け、透明だったはずの液体が床を濡らし、赤く染まっていた。


 その中央で、黒羽ツグミは倒れている。


 手足には、引きちぎられた管がまだ繋がっていた。

 透明なチューブの先から液が滴り、床に広がる。


 全身が傷だらけだった。

 皮膚は裂け、煤にまみれ、呼吸は浅い。


 ツグミは、うつ伏せに近い体勢のまま、ゆっくりと足を動かす。


 視界の端に、自分の脚が映る。


 右足の脛に、大きなガラス片が深く突き刺さっていた。

 根元まで入り込み、抜けば血が溢れるのは明らかだった。


 痛みが遅れて押し寄せる。


(……お兄ちゃんが、私を生贄にしようとした)


 爆ぜる音が、途切れなく続いている。


 天井は失われ、夜がむき出しになっていた。

 黒い空を、火の粉が無数に舞い上がっていく。


 ツグミは仰向けのまま、その空を見上げた。

 炎に照らされた煙が、雲のように流れている。


(当然だよね……)


 焦げた梁が崩れ、火の粉が降る。

 頬をかすめる熱に、まぶたがゆっくり閉じかける。


 視線が、力なく落ちていく。


 床に広がる液体。

 割れたガラス。

 自分の血。


(だって、お母さんとお父さんは……)


 喉の奥が引きつる。

 息がうまく入らない。


 脈打つ鼓動が、やけに大きく響く。


 ──私が殺したんだから──



 サクヤの部屋は、整然としていた。


 本棚には専門書が隙間なく並び、机の上にはノートと論文のコピー。

 パソコンの画面には、数式と見慣れない図式が映っている。


「お兄ちゃん、帰ってきてたんだ」


 ドアを開けて入ったツグミが、嬉しそうに言う。


「……ああ、ちょっと恋しくなってな」


 サクヤはパソコンから目を離し、微笑んで振り返った。


 ──お兄ちゃんは、研究者の卵だった。大学院に行くために、ずっと勉強していたらしい──


「そうだ!! 今日ママがタルト作ってくれるんだよ!!」


 ツグミは部屋の中央まで駆け寄り、両手を胸の前でぎゅっと握った。

 制服のまま、頬を上気させている。

 夕方の光がカーテン越しに差し込み、その横顔をやわらかく照らしていた。


 キーボードを叩いていたサクヤの指が止まる。


「ほんとツグミは甘い物が好きだよな」


 椅子を半回転させ、振り返る。

 口元に浮かんだのは、どこか肩の力の抜けた笑みだった。


 パソコンの画面には、難解な数式や図表が並んでいる。

 それとは対照的に、ツグミの話題はひどく日常的で、あたたかい。


 甘い匂いが、まだここまで届くはずもないのに。

 それでもツグミの言葉だけで、台所の光景が目に浮かぶ気がした。


 ──お兄ちゃんはママとパパとはあまり仲良くなかった。浪人が続いたことが原因らしい──


「今は何の研究してるの?」


 ツグミは机の端に手をつき、背を少し乗り出してパソコンの画面を覗き込んだ。

 目が輝き、興味に満ちている。

 サクヤが集中していた画面の文字列や図表を、じっと追う。


「あぁ、ウチの大学のデータを漁ったら面白いものを見つけてな」

「フィクションっていう集合的無意識が──」


 サクヤは手を止め、画面を指し示しながら優しく説明する。

 専門用語が並ぶ画面を、噛み砕くように。

 言葉は柔らかく、しかし確かさを帯びていて、ツグミの好奇心を刺激した。


 机の上の資料やノートに目を落とすと、サクヤは付箋を指でなぞりながら、視線を交わす。

 理解できなくても、興味だけは伝わるように話す。

 その声に、ツグミは思わず笑みをこぼした。


 ──ママやパパはお兄ちゃんみたいになるなって言うけれど、私はお兄ちゃんの話が大好きだった──


「そうだ、ツグミ」

「面白いもの見せてやるよ」


 サクヤは画面から目を離し、微かに笑みを浮かべて振り返った。

 指先が軽く動く。

 その瞬間、空気のわずかな流れを切り裂くように、糸が伸びた。


「え、なになに!!」


 ツグミの瞳が大きく見開かれる。

 手を小さく握り、ぴょんと跳ねる。


「ほいっ!!」


 本棚の一冊が静かに浮き上がり、糸に沿ってするりと手元へ滑り込む。


「え、すごいすごい!!」

「どうやってやってるの!!」


 ツグミは小さな体を揺らし、飛び跳ねながら歓声を上げた。

 頬は赤く染まり、目の奥は好奇心で輝いている。


「これはフィクションの研究の応用でな、現想っていうマジックみたいなもんだな」


「私もやってみたい!!」


 ツグミの声は興奮で震える。

 サクヤは軽く肩をすくめ、呆れたように笑った。


「フッ、もう中学生だってのにいつまでも子供みたいだな」


「むっ、いいじゃんべつにっ」


 ツグミは口元を尖らせて答え、手を伸ばして浮いた本に触れようとした。

 その様子に、サクヤは微笑を深め、目線を外さず見守った。


 ──お兄ちゃんは、それからもずっと話をそらし続けた。


 今思えば、お兄ちゃんは私にフィクションを繋げたくなかったんだとわかる。


 でも、この時のお兄ちゃんには誤算があった。


 私が、お兄ちゃんのいない間に研究データを見たこと──


 夜。


 サクヤの部屋の明かりは、デスクの上のパソコンだけが淡く照らしていた。


 ツグミは一人、椅子に浅く腰掛け、マウスをぎこちなく動かしている。


 画面には大量のデータファイルが並び、規則的な光が彼女の顔をぼんやりと照らした。


「たちばな……そう?」


 画面に顔を近づけ、そっと呟く。


 その瞬間、


 触れていたマウスの表面が、


 白く曇った。


 霜が指先に沿って走る。


「えっ、なにこれ!?」


 慌てて手を離す。


 マウスは白く凍りついていた。


 胸が高鳴なった。


 嬉しさと、不安が混ざり合ったざわつきが心を揺らす。


「これ……もしかしてお兄ちゃんと同じ力?」


 声は弾んでいる。だが、どこか胸の奥が冷たくざわつく。

 背筋をわずかに強張らせた。


──ドアが開く。


「あ、ツグミ。勝手に人のパソコン見るなよ──」


 軽い声で入ってきたサクヤの表情が、一瞬で固まった。

 瞳が大きく見開かれ、呼吸が止まる。


「っ……ツグミ、その力!!」


 サクヤが駆け寄る。

 眉を寄せ、両手をツグミの肩に置いた。


「お兄ちゃんこれ……お兄ちゃんと同じ力?」


 少し誇らしげに、嬉しそうに呟いた。


 その声に、サクヤはぎゅっと肩を押さえ、ツグミの目を見つめた。


 真剣な瞳。


「ツグミ、その力は二度と使うな」


「え……なんで?」


「……その力は、ちゃんと練習してないと危険なんだ」

「事故が起きて、災害みたいになる可能性がある」


「さいがい?」


 言葉が現実味を帯びず、夢のように響いた。

 ツグミは首を傾げ、理解しきれずにぽかんと口を開く。


「ツグミ……その力使わないって俺と約束してくれ」


「う……ん……わかった」


 ──口ではそう言った。


 でも、現実味を持てなかった。


 災害なんて言葉には。


 だから、私は、


 構わず力を使っていた。


 クーラー代わりに冷やしたり、


 学校の友達に自慢したり。


 なんども、なんども使った。


 でも、お兄ちゃんのいっていた事故は、一度だって起きなかった。


 気づけば、お兄ちゃんとした約束も忘れて。

 

 でもその日は突然。


 避けられないタイミング、最悪の形で。


 すべてが巻き込まれる瞬間が、やってきた──

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